あきらめた恋が教えてくれたこと

雨の音が窓を叩く。
今夜も、あの日のことを思い出していた。

春の終わり、桜の花びらが散り切った後の季節。新緑の香りが漂う中、彼女は私の前で静かに首を横に振った。

「ごめんね」


その言葉が、何度も繰り返される。

カフェの窓越しに見える街並みが、急に色を失ったように感じた。テーブルの上のアイスコーヒーは、とうに溶けきっていた。私は黙ってストローをくるくると回していた。何を話せばいいのか、分からなかった。

あれから3年。
今でも、雨の日は特に鮮明に思い出す。

初めて本気で好きになった人。そして、初めて本気で諦めなければならなかった恋。22歳の私には、世界が終わってしまったように感じた。

駅までの帰り道、彼女は何度も振り返った。私は無理に笑顔を作った。「気をつけて帰ってね」そう言えたことが、精一杯の優しさだった。

その夜、実家に帰る終電の中で、私は涙が止まらなくなった。誰にも気付かれないように、窓に顔を向けて。でも、隣に座っていたおばあさんが、そっとハンカチを差し出してくれた。

「若い時の痛みは、きっと宝物になるからね」
その言葉の意味が、分かるようになるまでに、少し時間がかかった。

今、振り返ってみると、あの経験は確かに私を変えた。

相手の気持ちを、より深く考えるようになった。「好き」という感情の、様々な形に気付くようになった。そして何より、自分自身ともっと誠実に向き合えるようになった。

先日、久しぶりに彼女のSNSを見た。結婚したらしい。白いドレス姿で笑っている写真を見て、不思議と胸が温かくなった。

「あの時はごめんね。でも、ありがとう」
そんなメッセージを送りたい気持ちになった。でも、それはやめておいた。過去は過去として、そっと大切にしておきたかった。

カフェで働き始めた新入りの女の子が、昨日、失恋したと泣きながら話してくれた。

「先輩は、失恋したことありますか?」
「あるよ。今でも、雨の日は思い出すんだ」
「それって、もう治らないってことですか?」
「違うと思う。それは傷跡じゃなくて、大切な思い出の印なんだ」

彼女は少し考え込むように黙り、それから小さく笑った。

恋をあきらめることは、確かに辛い。
でも、それは決して無駄な痛みじゃない。

その経験が教えてくれたこと。
気付かせてくれたこと。
成長させてくれたこと。

それらは全て、今の私をつくっている。

雨は、まだ降り続いている。
でも不思議と、今夜は心が穏やかだ。

きっと、誰にでも訪れる。
あきらめなければならない恋が。
でも、それは終わりじゃなくて、
新しい自分に出会うための、始まりなのかもしれない。

窓の外で、新しい朝を告げる雨上がりの光が、そっと差し始めていた。

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