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破壊・変化・受容 生き続ける能

能と日本はにている。

日経COMEMO「日本流イノベーションの可能性」、能楽師  安田登さんのお話を聞いて感じました。


能について

初めて能を観たのは学生時代、好奇心から受けた歌舞伎の講義でした。
能は難しくてよくわからなかったというのが正直な感想です。
言葉があり、色鮮やかで動きの大きい歌舞伎のほうがわかりやすいと思いました。
無知とは勿体無いものだと今では思います。

数年後、能楽師の方のお話を聞く機会に恵まれました。
短い時間でしたが様々なことを教えていただきました。
視界の制約・呼吸・体の使い方を確認したくて、その足で神社の境内で行われる公演を観に行きました。

霧雨の降る夜、ほのかな明かりの中。
本殿で舞われた能はとても幻想的で。
幽玄の世界とはたいへん美しいものだなと引き込まれたことを覚えていす。
同時に、能楽師という人たちの身体の鍛錬、精神性にも強く興味を惹かれました。

しかしなかなか機会がなく、今回のCOMEMOが久しぶりの能に触れる機会となりました。


初心忘れるべからず

現在使っているものとは意味が異なるそうです。

初心の初の左側の衣へんは「すでに完成されている」反物、右は刀。
初とは「すでに完成されている」反物に「新しいものを作るため」刀を入れること。

能は「次の段階に行く時、過去の自分を切り刻んで」「どうなるかわからない変化を待つ」そうです。

能の650年の歴史の中で突然の変化が4回。
装束、場所、舞う速度、対価を得る方法が変わりました。
能楽師は初心的身体があるから受け入れることができたそうです。

ここで「能は日本と似ている」と思いました。

災害により突然破壊され、復興により変化して生き続けてきた日本。
精神性とか、受容とか、どう言えば良いかわかりませんが、日本人には初心的身体があるのではないかなと思いました。

(気分を害された方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。)


能を観たい

COMEMOから一日経って、色々なことを考えています。

能を観たい、観ていない人に体感してほしい。
義務教育で教えるのはダンスではなく、能・歌舞伎・狂言が良いのではないか。
背景も学習したほうが良いのではないか。
もっと能を身近に感じられるようにするにはどうしたら良いのか。

全くまとまらなくて困っています。
書きたいことがたくさんありますが、今日はこれまで。
少しずつ追記するかもしれません。



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