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その扉の向こうは

ある街に、不思議な噂があった。
 街の郊外には大きくて古びた洋館があった。いつからあるのか、誰が住んでいるのか、何も分からない不思議な洋館。その洋館には金銀財宝が山のようにあるという。財宝の噂を聞いて多くのハンターが洋館へと向かったが誰一人として帰ってこなかった。その洋館には恐ろしい魔物が住んでいるとも、死んだ館の主の呪いだとも言われている。
 ……確かなことは、噂の洋館は存在し、その洋館から帰ってきた人は誰もいないということ――。

***

その日、俺はいつものように道場へと来ていた。
 スメラギ家であるウチは武道の一門で代々国に仕える優秀な騎士を排出している。親父は騎士団長……つまりこの国のトップであり、兄である長男のタイガもまた優秀な騎士で次期騎士団長と言われている。そして次男の俺だが、このスメラギ流武闘術の継承者でスメラギ家の跡継ぎだ。普通は長男が継ぐのだが、兄は王に気に入られ何番目かの姫を下賜されるらしい。その時、新しく家を起てることを許されたそうだ。なので次男の俺にお鉢が回ってきた、ということだ。
「(……俺としては、家を継ぐより外の世界を見て回りたかったんだがな)」
 俺は兄ほど優秀だとは思っていない。俺にあるのはこの拳だけだ。政はてんで分からない。親父も兄も「お前なら大丈夫だ」というんだが何を根拠にそう思っているのか……。ため息をつきたくなるのをぐっと堪える。ここには弟子たちがいるのだ、情けない姿は見せられない。
 この道場はスメラギ流武闘術を教える場所だ。弟子すなわちスメラギ家の騎士になる。彼らを立派な騎士に育てるのが今の俺の役目だ。他人に教えるというのはかなり難しいが、教えるうちに自分の足りないところも分かってくるのでこれはこれでやりがいのある鍛錬だ。
 今日も今日とて弟子に稽古をつけていると、表の方から複数の人が近づいてくる気配を感じた。……誰だろう。今日は来客の予定もなかったはずだ。訝しんでいると門番の男がこちらへやってきて、数歩手前で頭を下げた。
「ヤマト様、ギルドの方がお見えになられています」
「『ギルド』の?」
 門番の男の言葉に首を傾げる。『ギルド』というのは『ハンターギルド』のことだろう。魔物を狩って生活をしている者たちが所属する組織で、どんな街にも存在する。魔物が脅威のこの世界では必要な存在であり、ギルドのない場所は生活するのも困難になる。それほどまでに影響力がある組織だ。当然、それ相応の権力を持っている。
 そんなハンターギルドの人間がうちになんの用だ? 基本的にギルドは国に所属しておらず中立の立場である。対してウチは代々国に仕える騎士の家だ。そんなウチがハンターと関わりなどあったか? 特に仲が悪いわけではないが、特別仲が良いわけでもない……。いくら考えても答えは出そうになかった。
「……分かった。とりあえず会おう。客間に案内してくれ」
「ハッ」
 門番の男も不思議そうな顔はしているものの不快感はなさそうだ。向こうがこちらに敵対するつもりではないのなら話くらいは聞いてもいいだろう。今は親父も兄もいない、決定権は俺にある。
「お前たち、しばらくは組み手だ。一巡したら一旦休憩を挟んでもう一巡だ。いいな」
「ハッ!」
 威勢のよい声を背中に聞きつつ、俺は身だしなみを整えてから客間へと向かった。

客間では少し身なりの良い男がいた。小麦のような髪にアンバーの瞳。眼光が鋭いのは不快感からではなく元々の人相だろう。服の下の筋肉と傷だらけの顔が彼が『元ハンター』であることを物語っている。纏う雰囲気も騎士たちに近い。
 俺は待たせたことを詫びて席につく。
「ハンターギルドの職員とのことだが、我がスメラギ家にどのような用か」
 本来ならいくつか世間話をしてから本題に入るのが礼儀なのだろうが、俺はそういうまどろっこしいのが嫌いだった。単刀直入に訪問の理由を尋ねたが、相手の男は気を悪くするどころか少し笑みさえ浮かべている。……どうやらこの男も俺と同じ感覚の持ち主らしい。
「えぇ。ヤマト様にひとつ、討伐していただきたい魔物がおりまして。そのご相談をさせていただきたく思います」
「魔物の討伐だと?」
「はい」
 思わずつぶやいた言葉に男はしっかりと頷いた。
 魔物の討伐はそれこそハンターの仕事であり最も得意なことだ。俺たち騎士は魔物を相手にすることもあるが基本的に対人戦専門だ。俺も例外ではない。そんな俺に魔物討伐を相談するとは……。
 訝しげな顔をしていたのだろう、男はゆっくりと説明をし始めた。
 ことの発端はある新人ハンターが戻ってこなくなったことだ。新人が自分の力を見誤り危険な地域に足を踏み入れて帰らぬ人になることはよくある話だが、その新人ハンターは無茶なことはしない堅実な人柄だった。だからこそ彼が戻らなかったことに職員たちは不思議に思い調べてみたところ、あるパーティに誘われてどこかへ向かったことが分かった。依頼を受けていたのなら目的地も分かったのだが、彼らは依頼も受けずに町の外に出たのだ。ギルドを介さない依頼は問題が起きてもギルドが関与することが出来ない。そのため、依頼料を踏み倒されたりトラブルになるケースも多々存在する。消えた新人もトラブルに巻き込まれたのかもしれないとギルドが更に調べてみると、どうやら街の郊外にある洋館の噂を確かめに行ったようだった。噂というのは『洋館の財宝』というもので、ある古い洋館に山のような財宝があり、しかし恐ろしい魔物が財宝を守っているという、ありきたりな話だった。
 噂だけならよくある話、で終わったのだが……どうやら消えたハンターは新人だけではなかった。誘われたパーティはもちろん、最近失踪した多くのハンターがこの洋館に向かったことが分かったのだ。こうなれば『噂』だからと放っておくことも出来ない。ギルドは捜索隊を組んで本格的に洋館の攻略へと向かったのだが……――。
「結果は芳しくはありませんでした。上位ハンター5名1パーティ、中位ハンター16名3パーティ、そして付き添いのギルド職員2名。……全23名、失踪しました」
「それは……」
 あまりのことに言葉が出ない。ハンターが弱かったとも思わない、ギルドの見込みが甘かったとも思わない。万全の体制で挑んで……生還者がゼロ、とは。己の眉間にシワが寄っていくのが分かる。これは……俺が想定していた以上だ。
「私共としてもこれ以上の犠牲は望みません。ハンターたちには洋館へ近づかないように厳命しております。ですが……」
「そこに財があるなら挑みたくなる、か」
 俺の言葉に職員の男は重々しく頷いた。
 人間、欲望には勝てない。金があると分かっていて、それが手の届く場所にあるというのなら……手を出してしまうものだ。たとえ命を失うとしても。逆にハンターだからこそ、か。彼らは常に命がけで生きている。多少の危険は承知の上ということなのだろう。
「俺もここの領主の子として、そのような恐ろしいものは見過ごすわけにはいかん。その魔物も今は洋館にいるようだが、いつこの街に向かってくるとも限らんしな」
「はい……」
 重い静寂があたりを支配する。目の前の男は覚悟を決めた顔をしている。おそらく俺にこの話を飲ませるまで帰らないつもりだろう。あるいは国と繋がりのある俺に頼るということでギルド職員としての立場を捨てざるを得なかったか。
 ……これは、断れんな。
「分かった。魔物討伐の件、こちらで引き受けよう。ただし、報酬はそれなりに用意するように」
「はい、ありがとうございます」
 男はそう言って深く頭を下げた。その姿にため息をつきたくなる。……彼も追い詰められていたのだろう。命を預かる者たちがことごとく失踪するなど、俺も考えたくはない。見知った人間がいなくなるというのは何度経験しても慣れないことだ。……彼の心中を思うといたたまれなくなるな。
 重い足取りで去っていく彼の背を見ながら家令に家のことをいくつか指示をしておく。もしかすると長期間家をあけることになるかもしれない。異変があれば家令から親父へと連絡が行くのでスメラギ家として問題はないだろう。
「坊っちゃん、本当にお一人で行かれるのですか?」
 ……問題があるとするなら、俺の方だ。今も昔からウチに仕えてくれている執事が死にそうな顔をしている。
「心配するなマサ、俺はそう簡単に負けんさ」
「坊っちゃんがお強いことはこのマサがよく存じております。ですが、今坊っちゃんの身に何かあれば私はどうすればよいのか……」
「問題はない。俺がいなくとも弟がいる。最悪兄上を呼び戻せばいい。国としてもスメラギ家が無くなるほうが困るだろう。弟は……まだ若いからな、次期当主は荷が重いだろう」
「私が心配しておりますのは坊っちゃんのことでございます! 何故お一人で行かれるのですか!! せめて手練の騎士をお連れになってください!! あまりにも無謀でございます!」
 執事が叫ぶ。まぁ……当たり前か。今まで誰も戻ってこなかったというのは、つまり皆殺されたということだ。そんな危険な魔物と戦おうというのだ、普通はこういう反応になる。だが、俺はやると決めたのだ。今更逃げることはしたくない。
 俺は青い顔をするマサに向かって「なんとかなるだろうさ」と笑ってみせた。
「今までもなんとかしてきたのだ。『破邪の英雄』は伊達ではないぞ?」
「坊っちゃん……」
 執事はそう言ったきり黙り込んだ。俺が一度言えば聞かないことも、やると決めたことはやる男だということも知っているからだ。心配させて悪いとは思うが、こればっかりはもうどうしようもないことだ。
 俺はいくつか書き置きをして、その日のうちに屋敷を後にした。

***

目的の古い洋館は思ったよりも近かった。一日歩いた森の中に、隠れるようにしてソレはあった。門や塀があったのだろう場所は崩れて瓦礫の山になっており、殆どが森と同化していた。蔦がびっしりと生えた洋館は、言われてみれば『洋館』に見えるが言われなければ岩壁がそびえ立っているようにしか見えなかった。
「ここが、『呪いの洋館』か……」
 呪いの洋館。それがこの洋館の呼び名だ。あまりにも俗っぽい名前に苦笑いが溢れる。だが、その名前に負けないほどおどろおどろしい雰囲気が目の前からしているのも確かだ。
「行くか……」
 俺は意を決して扉を開けた。錆びついた扉が悲鳴を上げ身を捩るようにしながら開いていく。
 中はかなり老朽化が進んでいた。床は抜け落ち、壁紙は剥がれ、家具はその面影を残していない。荒らされた形跡もある。無事なものは何一つ存在していなかった。
 俺はゆっくりと奥へと進んだ。時折住み着いた魔物が襲ってくることがあったが拳で黙らせていく。出てくるのは雑魚ばかりでハンターたちがコレらにやられたとは思えない。……他にいるのだろう、手練を殺すナニカが。
 薄暗い廊下だった場所を進んでいくと、徐々に気温が下がっていく。肌に感じる魔力の気配も強くなり、気づけば呼吸が浅くなり心臓が早鐘をうつ。……いる。間違いなく、いる。
「フゥーッ……」
 ゆっくりと息を吐く。いつの間にか強張っていた体から力を抜いていく。焦るな、焦れば全力を出すことは出来ない。適度な緊張は必要だが、緊張しすぎて体が動かなくなっては意味がないのだ。
 俺は何度か深呼吸をして呼吸を整えてから閉じていたまぶたをゆっくりと開けた。目の前には、大きな扉があった。壊れた世界の中で唯一形を保っているものだ。塗装は剥げているが細かい装飾が施されており、ところどころ金を使われているような形跡もあった。意匠は古いがとても立派な扉だ。……そして、その扉の奥から今まで感じたことのない力を感じるのだ。痛いほどの魔力の波動。血の気が引くほどの殺気。走り出したくなる衝動をギリギリで抑え込む。
「なるほど、確かにコイツ相手にゃキッツイよなァ……!」
 気づけば、口元に笑みが浮かんでいた。
 久方ぶりの『強者』の気配だった。昔は強者を求めて各地を巡った。強い人のときもあれば、強い魔物のときもあった。ただ強いヤツと戦いたくてガムシャラに戦いを挑んだ。ギリギリの戦いの中で強くなっていく実感があった。あの頃はとても充実していた。生きている実感があったのだ。
 しかしスメラギ家を継ぐことが決まり、外に出ることも叶わず道場で鍛錬をする日々を送ることになった。代わり映えのない毎日の中でいつしか『強者と戦う』という気概が埋もれてしまっていた。どこか生きていることに実感が持てなかった。だが……。
「――ハハッ」
 己の中に『歓喜』が渦巻く。命を脅かすほどの恐ろしい気配によって忘れていた闘争心に火がついた。死んでいた心が蘇った。俺は今、生きている。この地で確かに生きている。そうだ、俺はこのために生きてきたのだ。強いヤツと戦うために! 己の力を示すために! さらなる高みへ目指すために!!
「向こうで待ち構えているのは、どのような『強者』か……!」
 今にも飛び出したくなる気持ちを抑え、俺は意気揚々と扉を開けた。
「――――。」

――扉の向こうにいたのは、黒い鎧を身に着けた《《美しい女性》》だった。

***

サラは騎士の家に生まれた。そんな彼女にとって騎士になるのは当然のことだった。騎士である父に手をほどきを受けた彼女はみるみるうちに頭角を現し、齢12で正式な騎士となった。
 彼女の家はブラッシャー家に仕えていた。だから彼女もブラッシャー家に仕えた。ブラッシャー家は田舎の貴族だったが領民に慕われており、サラとしても仕えるに申し分のないとても良い主だった。真面目な性格の彼女はブラッシャー家の人々にも可愛がられ特に不自由なく暮らしていた。問題があったとするなら当主の息子の方だった。息子は当主に似ず愚かな男だった。若く美しいサラが己の言うことを何でも聞くので勘違いを起こした息子はサラに手を出そうとしたのだ。当然サラは拒んだ。サラは騎士であって売春婦ではない。サラの拒絶は当然のことなのだが息子にはそれが分からなかった。激怒した息子はサラにあらぬ罪を着せ、主家に歯向かった反乱者としてサラを罰した。
 サラは悲しみに暮れた。主家に忠誠を誓い真面目に尽くしてきたのに何故この様な仕打ちを受けるのか。彼女は嘆き、悲しみ、そして――力が開花した。
 息子の勝手で断罪されようとしたまさにその時、彼女の中の『才能』が花開いたのだ。その才能は『暗黒騎士』。騎士としての力と邪悪なる闇の力が合わさった恐るべき力だった。
 彼女が気がつくと辺りは死の海になっていた。彼女は全てを葬り去ったのだ。愚かな息子を、優しい同僚たちを、愛しい家族を、そして――守るべき主人を。
 彼女の心は耐えられなかった。心は粉々に崩れ去り、ただ『騎士として守らなければならない』という想いだけが残った。彼女は唯一つ残った館を守ることにした。人も魔物も、館に入ってくるものは皆殺した。いつからか、侵入者はある場所に立ち入ろうとしていることに気づいた。彼女はその場所の中で侵入者を待つことにした。部屋の中でただ静かに待つ。そしてやって命を残らず刈り取る。それだけが彼女の存在意義となった。

どれだけの月日が経っただろう。その日もまた、館の中に何かが侵入してきた気配を感じた。侵入者は周りの魔物を倒しながらこちらへと向かってくる。その速度は早く、侵入者がかなりの手練であることが分かった。感じる魔力も大きい。この前の奴等よりと比べるまでもない、『強者』の気配だった。
「(一撃で終わらないかもしれない……)」
 私はいつものように扉の正面に立ち、侵入者がここへ来るのを静かに待った。
「(来た……!)」
 ゆっくりと目の前の扉が開く。分厚い扉の向こうに見えたの姿に、私は肩の力が抜けるのを感じた。
「(なんだ……?)
 入ってきたのは奇妙な男だった。黒髪短髪に黒目の地味な男だが、前を掻き合せるような変わった形の麻の服に靴も履かずに素足のままだ。剣も槍も持たず、装備らしいものといえば片腕に着けられている仰々しいまでに大きくゴツい小手のみだった。
「(拳闘士か……珍しい)」
 私は擦り切れた記憶を探る。ここに侵入してきた人間は多数いたが、拳を使うものはほんの一握りだった。それほどまでに素手というのは難しいものだ。人間相手ならともかく魔物ではただ殴るだけではダメージを与えることすら出来ない。硬い皮膚を貫く拳は並大抵の努力では身につかないのだ。
 強者としての風格を漂わせながら使う武器は己の肉体のみ……この男は人間としてかなり強いのだろう。だがしかし私には関係ない。侵入者は全て皆殺し。ここを守るのが己の存在意義だ。私はゆっくりと背中の大剣を抜いた。
「――――。」
 そして、いつものように大剣を振るった。邪悪なる魔力を纏わせた、生者を殺す破壊の一撃だ。この一撃を受けて生き延びたものはいない。男が魔力に飲まれたのを見て彼の死を確信した瞬間、背後に焼け付くような魔力の気配がした。
「(なッ……!?)」
 とっさに振り向くと、いつの間にか奇妙な男が背後に回っていた。ありえない、私は唖然とした。私の放った一撃は間違いなく男を飲み込んだはずだ。あれを受けて生きていられる人間などいやしない。なのに男は生きている。
 男との距離が近すぎて大剣を振るうことが出来ない。距離を取ろうとするが男はさらに距離を詰めてくる。牽制として大剣を振るがあの大きな小手に弾かれてしまった。全力ではないにしてもびくともしなかったのだ。まるで巨大な岩を殴ったような衝撃に思わず大剣を落としてしまう。取りに行く隙もなく、男は私の両肩を掴んだ。
 このまま殴られるのか、それとも投げられるのか。どちらにせよ何が来ても良いように私は身構えた。
「――お前に惚れたぞ! 俺の妻になってくれ!」
 ……身構えた私に浴びせられたのは、拳でもなく、魔力でもなく、熱の籠もった視線とありったけの『好意』だった。
「俺はお前ほど美しい女性を見たことがない! 練り込まれた魔力、鍛え上げられた闘気! そして見事な太刀筋!! こんな美しい女性がこの世にいるとは思わなかった!」
「な、にを……」
「おぉ、声まで美しいな!」
 男は顔を近づけてくる。距離を取ろうにも力が強すぎて振り切れない。男はなお熱の籠もった目で私を見つめてくる。……こんなもの、生前の私でも受けたことがない、はずだ。擦り切れてもう思い出せないが、これほど強烈な感情を向けられていれば嫌でも記憶に残っているに違いない。
「な、なんなのだ、お前は! お前は財宝を狙う侵入者だろう!」
「あぁそうだ! 『お前』という宝があれば男は皆狙って当然だ!」
「話を聞け!!」
 相手の勢いに飲まれる。こんなハズではなかった。殺し合いをしていたはずなのに、何故こうなったのか分からない。分からないが……このままでは不味いことだけは分かった。
「俺の名前は『ヤマト・スメラギ』だ。お前の名前を教えて欲しい、触れれば切れる宵闇のような騎士よ」
「こ、断る! お前のような不埒者に名乗る名などない!!」
「そうか、名前がないのは困るな!! ならば俺がつけてやろう。『タマ』などはどうだ?」
「却下だ!!!」
 私はヤケになって相手を突き飛ばした。ビクともしないだろうと思っていた男は簡単に剥がれ、数歩分だけ距離ができた。その隙に大剣を拾い更に距離を取る。殺気を込めて大剣を相手に向けるが男は意にも介していないようだった。それが無性に腹立たしかった。
「……私は暗黒騎士だ。人ではない。力に飲まれ、魔物に成り果てたものだ。お前は人間として魔物を討伐する。私は侵入者を殺す。それだけだ」
「そんなもの関係あるものか。結婚しよう、妻になってくれ。必ず幸せにすると誓う」
 『幸せ』。その言葉が私に重くのしかかる。それは遠い昔に置き去りにしたものだ。私が失ったものだ。私が手放したものだ。私が血で染め上げたものだ。
「幸せになど……なれるものか……」
 全てを奪い去った私が幸せになどなれるはずがない。全てを奪った相手が憎く思えるが、それ以上に全てを無に帰した己自身が憎くてたまらないのだ。その憎悪が私の魂を焦がす。私の全てを蝕んでいく。
 それなのに、目の前の男はニヤリと笑みを浮かべた。その自信たっぷりの笑みに思わずギョッとしてしまう。
「いや、幸せにする。俺がそう決めたのだ、なんとしてもお前を幸せにする。邪魔するヤツは全て殴り倒してやろう!」
「私は幸せになってはならない! 私は許されてはいけない! 私が殺したのだ、私だけが生き残ってしまったのだ! そんな私が、何故……!!」
 叫ぶ私の手を暖かいものが握っていた。いつの間にか、あの男がすぐそばまで来ていた。男は私の手を握り、じっとこちらを見つめる。とても真剣な眼差しだった。……恐ろしいほどに、強い眼差しだった。
「お前の幸せを許さぬものがたとえ神だったとしても、俺は相手を殴り飛ばす。お前の不幸を望むものを、俺は全て拒絶してやる」
「何故、何故そこまでする……どう、して……」
 分からない。男が何を考えているのか理解できない。ここまでする理由はなんだ。初めてあった、人でもなんでもない私のために何故そこまで言える?
 動揺する私に向かい、男はニカッと豪快に笑った。
「言っただろう? お前に惚れた、と。男というのはな、惚れた女を死んでも守るものだ」
「!」

その時、訥々に思い出した。昔の記憶だ。幼い私がいて、父がいて、母がいた遠い日々のことだ。
『あなた、あまり無茶をなさらないでください。またこんなに怪我をして……』
『何を言う。惚れた女を守れないで何が男だ、何が騎士だ!』
『もう、すぐそんな事を言うのですから……。いいですか、サラ。あなたはこんな風になってはいけませんからね』
『はい、おかあさま』
『ははっ、手厳しいな……。だがな、サラ。惚れた女のために本気になれない男など碌でもないぞ。そんな男に捕まるなよ。選ぶなら父のような男にするんだ』
『はい、おとうさま』
『もう、あなたったら……。サラにはまだ早いですよ』
 ……それは、なんでもない、暖かな日々だった。失うとは何も思ってない、当たり前で、ありふれた日常で――。

気がつくと、私はあの男の腕の中にいた。鎧越しでも分かる、生者の体温だ。どくどくと血を運ぶ音が聞こえる。
「……そんな顔、するな。泣いても良い。だが、泣くなら俺の胸の中だけにしてくれ。お前を一人で泣かせたくはない」
「…………。」
 彼に言われて初めて気づいた。私は、泣いているらしい。頬が濡れている。涙など……何十年ぶりだろう。最後に泣いたのはいつだったか。全てを血の海に沈めたときか、それとも全てを失ったと気づいたときか。
「私は、暗黒騎士だ。魔物だ。人間ではない」
「そんなもの、気にもならないな。魔物だろうとなんだろうと、お前はお前だ」
「私は……殺したんだ。主を、仲間を、家族を。この手で、私の手で」
「殺したくて殺したんじゃないんだろう。後悔するのは望んでいなかった証だ。お前は悪くない」
「私は、殺したくなどなかった。望んでなかったんだ。ただ、平和に過ごしたかったんだ。皆で一緒に、幸せになりたかっただけなのに」
「あぁ……そうだな。皆で一緒に、幸せになりたかったんだな」
「私は、私は――しあわせに、なってもいいのだろうか。しあわせを、のぞんでも……いいの、かなぁ……っ」
「当然だ。お前は幸せになっていいんだ」
「――――っ!!」
 私は大声を上げて泣いた。子供のように、ひたすら泣きじゃくった。彼はただ優しく抱きしめ、頭を撫でてくれた。まるで、父と母が生きていた優しい日々のようだった。暗い水底に光が差すように、私の中の闇が薄れていくのを感じていた。
「愛している、俺の騎士。誰よりも幸せにするから、ずっと、俺とともにいてくれ」
 返事をする代わりに、私は彼の背に腕を回して力いっぱい抱きしめた。すると、私を抱きしめる彼の力が強くなった。拒絶されないことが嬉しかった。誰かに受け入れてもらえることがこれほど幸せなことだと知らなかった。
「(おとうさま、おかあさま。私……見つけたよ。おとうさまみたいに、私を愛してくれる人を)」
 心のなかでそう呟くと、私の中の二人が笑ってくれたような気がした。

暗い闇の中で待ち続けていた私が出会ったのは、あの日失った「愛」だった。

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鷲仙そらまめ
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