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森の中の小さなカフェと私

 いつもの帰り道で変なものを見た。
「……ドア?」
 住宅街の細い路地裏の向こう、暗がりの向こうに木のドアが見えた。コンクリートの塀に張り付いている。丸みがあって、でも少し歪で。まるで童話の中の小人の家のような変わった形のドアだった。
 私は誘われるようにふらふらとドアへ近寄った。……夢でも幻でもないらしく、手を伸ばすと暖かな木のぬくもりを感じた。どこか懐かしいような気さえしてくる。
 そのドアは明らかに異質だった。この街並みから明らかに浮いている。現実的じゃない。どう考えてもおかしい状況だったのに、疲れていたのか何なのか――私は違和感を覚えることなくそのドアを開いた。
「…………え?」
 ――扉を開けた向こうは、カフェだった。
 カランカラン、とドアベルが鳴る。ふわりと薫るコーヒーの匂い。チチチ、と鳴く小鳥の声。窓から差し込む柔らかな陽の光と、その光を照り返すあめ色の木のテーブル。硝子瓶に生けられた白い花がなんとも素朴な感じだ。
 そこは、木のぬくもりを感じるあたたかい世界だった。
「――いらっしゃいませ」
「ひゃいっ!?」
 急に声をかけられて思わず変な声が出た。慌てて振り返るとそこには優しそうな笑みを浮かべた人がいた。ここのお店の人だろうか? 柔和な笑みを浮かべるその人は、このあたたかい空気の店によく馴染んでいた。
「お席へどうぞ」
「あ、は、はい……」
 私は言われるがままカウンター席へと着いた。木のカウンターも優しい色合いでどこかほっとする。ふと顔を上げるといつの間にかカウンターの上に猫が座っていた。黒猫さんだ。毛並みがつやつやとした美人さんだった。
「ご注文をどうぞ」
「え……えっと、こ、コーヒーを……」
「かしこまりました」
 そう言って店長さんらしき人はにっこりと笑った。
 ――こぽり、こぽり。かちゃり、かちゃり。
 静かな店内に色んな音が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
 ふと外を見ると、窓の向こうには大きな木がさわさわと揺れていた。木を揺らす風の音がここまで聞こえてくる。
「…………。」
 家の近くに、こんな場所があっただろうか? 都会の真ん中にこんな深い森があるなんて知らなかった……。ここは一体どこだろう?
「おまちどうさま」
 店長さんの声にハッとする。慌てて正面を向くとにっこりと笑う店長さんと目が合った。なんだか気恥ずかしくなった私が俯くのと、店長さんがカップを差し出してくれたのは同時だった。
 白いカップに白いソーサー。金のティースプーンが添えられている。どれも丁寧に磨かれていてピカピカと輝いていた。
「……いただきます」
 宝物を触れるように、ゆっくりと手に取った。そのまま一口飲んでみる。瞬間、口の中いっぱいにコーヒーの薫りが溢れた。
「おいしい……!」
 思わず声を上げていた。それほどまでに美味しいコーヒーだった。コーヒーの味なんて分からない私だったけれど、これが美味しいということだけはよく分かった。
「ほぅ……」
 思わずため息が零れる。日頃の疲れが抜けていくようだ。体の奥からじんわりとあたたかくなる。とても幸せな気分だった。
「ねぇ、motohiroさん。お客さんに聞かないの? せっかく企画を、考えたんでしょう?」
 どこからともなく声が聞こえた。高い声だ。女の子だろうか? 小さい女の子のような、でもしっかりとした口調の声だった。誰かお店に入ってきたのだろうか? 気になって辺りを見回してみる……が、店の中には店長さんと私以外に人影はなかった。
「???」
 空耳だろうか? 首をかしげる私をじっと、目の前の黒猫さんが見つめていた。
「そうだった、そうだった。忘れていたよ。せっかくお客さんが、来てくれたのに」
「もう、しゃきっとしてね」
「ごめんね」
 店長さんはそう言って黒猫さんに謝った。
「…………。」
 私は目の前の光景が信じられなくて口をぽかんと開けたまま呆然としてしまった。今、明らかに目の前の黒猫さんがしゃべっていたのだ。女の子の声は黒猫さんのものだった。
「しゃべった……」
 思わず心の声が零れた。それを聞いた黒猫さんはこちらを見ると、こてり、と首をかしげた。
「えぇ、そうよ?」
 当然でしょう? そう言わんばかりの顔だった。その反応に言葉が出てこなかった。もしかすると私が知らないだけで猫さんってしゃべるのが当たり前なのかもしれない。猫飼いさんの間では当然なのかも……。
「お客さん。急でびっくりするかもしれないけれど、お店のメニューを考えてほしいんだ」
「え……えぇっ!」
 本当に急な話だった。驚く私に店長さんはにっこりと、それでいてしっかりと頷いた。
 ……困った。とても困った。私は何か新しいものを考えるのが苦手なのだ。企画書だってうまく書けないし、誰かのお話をまとめるのは得意だけど自分から意見を言うのも苦手で……。
 店長さんと黒猫さんの方をちらりと見ると、二人とも期待に満ちた目で私を見ていた。……逃げることは出来ないらしい。私はうーんうーんと唸りながらも必死に考えた。
 何かヒントがないかと辺りを見渡す。優しい色の壁紙、落ち着いた木の柱。アンティークなランプに風に揺れる白いレースのカーテン。向こうにはたくさんの木が見える。とても深い森だ。森林浴をすれば気持ちいいだろう。秋になれば木の葉が真っ赤になってさらに美しくなるんだろうな。紅葉狩りも楽しそうだ。あれだけ豊かな森なら、きっと実りも多いだろう。恵みの多い豊かな森の中、あたたかな雰囲気の洒落たカフェ……。
「……そうだ、どんぐり!」
『どんぐり?』
 店長さんと黒猫さんの声が重なる。二人は同じように首をかしげていた。
「どんぐりを使ったパンケーキとか、どうでしょう!」
 何かの本で見たことがある。どんぐりを粉にしてお菓子に使うのだと。下準備に手間がかかるけどちゃんと食べられるって話だった。色んなお菓子が紹介されていたが、粉の色が出るのかどれも茶色いお菓子になっていた。
 どんぐり粉を使ったパンケーキは派手な色ではないし、味も素朴なものになる。カフェに出すにはいささか華やかさが足りないが、このあたたかな空間にはとても合うと思ったのだ。それに、バターをひとかけ、ハチミツをたっぷりとかけたパンケーキはこの美味しいコーヒーにぴったりだと思う。
 二人にそう話すと、店長さんと黒猫は「いいね、美味しそうだ」と言ってくれた。私はほっとした。喜んでもらえたみたいだった。
 手元の腕時計を見るとそろそろいい時間になっていた。私は慌ててカウンターから降りた。
「ごちそうさまでした、おいしかったです」
 そう言って鞄の中から財布を取り出す。……そういえば値段を聞いていなかった。
「あの……お代はいくらでしょう? 私、聞くのを忘れていて……」
 私が問いかけると、店長さんはゆっくりと首を横に振った。
「お代はいりませんよ」
「えっ!? いえ、でも……」
「また来ていただければ……そして、またお話しできれば。それで十分ですよ」
 店長さんはそう言って笑った。その笑顔にはどこにも無理したところはなく、本心で言っているのだと分かった。
「……分かりました。じゃあ、また来ます」
「はい、ありがとうございました。またのお越しを、お待ちしております」
「またきてね」
 私は一度振り返って二人に頭を下げ、そのままドアを開けて外に出た。
「…………あれ?」
 踏み出した足はふかふかな土の上ではなく硬くて冷たいコンクリートの上で。目の前は深くて優しい森ではなく薄暗い裏路地だった。
 急いで振り返ってみる。そこにはコンクリートの塀があるだけだった。
「あれ……?」
 ぺたぺたと壁を触ってみる。コンクリートの感触がするだけでどこにも木のドアはなかった。
「夢でも見てたのかなぁ……」
 それにしてははっきりとした夢だった。あのあたたかな空気も、美味しいコーヒーの味も、優しい店長さんの顔も、可愛い黒猫さんの姿も、全部はっきりと覚えている。
 困って思わず空を仰ぐと、視界の端に何かがはらはらと舞い落ちるのが見えた。慌てて手を伸ばした。
「……葉っぱ?」
 落ちてきたのは小さな葉っぱだった。優しい緑色をした瑞々しい葉っぱだ。あの森の木を思い出させるような色だった。やっぱり、夢じゃない……?
 私は葉っぱをポケットの中に大事にしまい込んだ。上から軽く撫でるとなんだか元気が湧いて出てくるような気がした。
「――よし、明日も頑張ろう!」
 握りこぶしを空に突き上げる。……今なら、何でもできそうだ。

Unsplash(https://unsplash.com/
photo by Nathan Dumlao

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鷲仙そらまめ
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