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不審な女と寂れた男

のどかな風景が広がる片田舎。田舎と呼ぶには人工物が多く、都会と呼ぶには田畑が多い。なんとも中途半端なところが俺の今住む街だった。
 もともと都会っ子の俺がこの街に引っ越したのは、祖父母の残した家を引き継ぐためだ。両親は足腰が悪いので庭付きのあの広い家を管理するのは難しい。かと言って売るには思い出がつまりすぎていたので、両親としては手放すことが出来なかったらしい。ちなみに祖父母はすでに他界している。
 そんなわけで、孫の中でも比較的暇人の俺に白羽の矢が立ったというわけだ。別に俺も暇なわけではない。ちゃんと仕事もしているが、基本的に自宅での作業が主だ。本社に行くのもひと月に一回程度なので多少不便なところに住んでいても支障はない。しいて言えば、その一回が死ぬほど面倒だということくらいか。
「…………。」
 窓の外を見る。緑が風に揺れる、穏やかな景色だ。まるで現実味がない。ここに住んで数年は経っているにもかかわらずどうにも馴染めない。異物感があるといえばいいのだろうか。なんとなく、胸に小骨が刺さったような感じがして、俺はため息を付いた。

夕方。仕事が終わった俺はいつものように散歩に出た。家に籠もりっぱなしも健康に悪いだろうということで、一時間程度、こうして歩くことにしている。緑を眺めながら歩くのはからだだけでなく心にも良いだろうし。……まぁ、そんな気がするだけなんだが。
 いつも通りぼーっとしながら家から離れた場所にある公園に向かう。公園と言っても遊具なんてない、だだっ広い空き地だ。昔は多少は遊具もあったらしいが、危険だからと撤去されて気づけば硬い地面だけが残された場所だ。その公園をぐるりと回って家まで帰るのがいつものコースだ。だいたいそれで一時間になる。
 だから今日も特に考えずに公園へと足を踏み入れ――視界の橋に動く人影を見つけてしまった。
 俺よりも小さいだろう小柄な人影が、地面にうずくまっている。その小ささと細さからおそらく女性だろう彼女はうずくまりながらもちょこちょこと忙しくなく動いている。彼女の荷物なのか、バックパック程の大きさがあるリュックが彼女のそばに置かれていた。
「…………。」
 思わず思考がフリーズする。この数年間、ほとんど毎日この公園に来ているが誰か他の人を見かけたことはなかった。いや、正確にはこの公園の近所の人間以外の人は、だ。それでも近所の人だってそうそうここには来ないし、ましてやあんな怪しい動きなどしようはずもない。
 そう、怪しい。怪しすぎるのだ。こんな人気の少ない田舎の公園で、大きな荷物を持った女がコソコソしているのだ。怪しいと思わない方が無理がある。
「(これ、警察に通報するべきか……?)」
 判断に迷う。いや、不審者なのは間違いないが特に危ないことをしている訳では無い。……と、思う。今の状態だとこの付近では見かけない女が公園の地面にうずくまっているだけなのだ。警察にお世話になる程のことではない。これが凶器を振り回していたり、誰かを恫喝していたり暴力を振るっていたりすれば間違いなく通報するんだが……。というか、そもそもあの女は一体何をしようとしているんだ……?
「…………。」
 不審な女は徐に大きなリュックを漁ると何かを取り出した。四角くて、少し光沢があって、五徳の付いた鈍色に輝く物体。
「…………。」
 コンロだ。カセットコンロだ。カセットコンロだった。
「(……いや、まさか、あの女ここであれを使うつもりじゃないだろうな)」
 なんとなく嫌な予感がした。そしてそれが杞憂でもなんでもないことは、あの女がカバンから食材を取り出したことで証明されてしまった。
 俺は思わず天を仰ぐ。ここは人気はないが公園なのだ。バーベキューが許可されていない、火気厳禁の、普通の公園だ。
 完全にアウトだ。俺はポケットに手を伸ばす。警察に連絡しようとして……その前に一言声をかけるべきじゃないかと思った。普段なら何も考えずに警察に連絡しただろうし、そもそも注意なんてしても逆上されるかもしれない。危険な橋は渡るべきではないのだが、このときの俺は仕事終わりということもあって頭が回っていなかった。通謀する前にひと声かけるべきだと本気で思っていたのだ。
 俺はゆっくりと人影に近づいた。近づけばより彼女の小ささがわかる。俺より頭一つ分くらいは低いだろうか。小柄だが意外としっかりとした体つきをしている。あの大きなリュックを背負えるくらいだ、思ったより華奢ではないのかもしれない。
「あ、あの……」
 不審な女に声をかける。思ったより小さくなってしまったが相手にはちゃんと届いたらしい。女は俯いていた顔を上げ、こちらを振り返る。
「はい、なんでしょうか?」
 少し大きめな瞳が不思議そうにこちらを見ている。快活そうな眉に、こぶりな唇。かわいい系の顔だ。首を傾げる彼女と一緒に一つに結んだ髪がさらりと揺れた。
「あー……っと、その、ここでそれ、使っちゃまずいん、だけど……」
 言っているうちに妙に気恥ずかしくなって、彼女から視線をそらす。……悪いことをしているのは俺じゃなくて彼女の方なのに、どうしてこうもいたたまれないのか。
 俺の言葉に彼女は一瞬キョトンとしたが、すぐに気づいたのか「あぁ、すみません!」と言いながら慌ててカセットコンロをカバンの中に押し込んだ。
 ……良かった。不審者だったが常識のある不審者だったようだ。ホッと胸をなでおろす。これで問題ないだろうと家に帰ろうとした俺の眼の前で、彼女はカバンの中から白い板のような物を取り出した。
「普通の公園は火気厳禁だってことを忘れていました。こっちを使わないと」
 彼女が取り出したのは卓上タイプのクッキングヒーターだ。超最新型のもので、災害時にも使えるようにとソーラー充電が可能になっているものだ。俺には原理がさっぱり分からないが、ものすごく高いものだということはわかる。それを彼女は取り出したのだ。あの大きなズタ袋のようなリュックサックから。
「…………。」
 どうやらこの不審者は料理するのを止めないらしい。今度こそ俺の思考は固まってしまった。眼の前で起きていることが認識できるのに理解できない。なんで、どうして、という言葉がぐるぐると頭を回る。
 混乱していても目の前の出来事が無くなるわけではなく、むしろ悪化していく。彼女はものすごく手早く材料の下拵をし、次々と鍋に放り込んでいる。かなり手際が良いことから普段から料理を良くしている人なんだろうなと思った。……普段からこんなことをしているんだろうか。そう考えると頭が痛くなってきた。
 ごきげんに鼻歌を歌いながら料理を続ける不審な女に気味が悪くなった俺だったが、徐々に美味しそうな匂いがしてきて嫌悪感が薄れていった。……現金だな、俺。食欲には勝てないってことか。そういえばすごく久しぶりに『お腹が空いた』と感じた気がする。自分の空腹を自覚した瞬間、俺の腹が小さく鳴った。
「…………。」
「ふふっ。もう少し待ってくださいね、すぐにできますから」
 彼女はそう言ってニコリと笑った。俺は思いっきり顔を背けた。……恥ずかしくて死にそうだった。

彼女の言う通り、程なくして料理が完成した。鍋からは味噌のいい匂いがしてくる。彼女はカバンからお椀を取り出し、鍋の中身をよそう。ほわり、と湯気が立ち上る。心が穏やかになる、なんとも言えない光景だ。
「はい、具だくさんの豚汁です。召し上がれ」
「…………え゛」
 目の前に、お椀が差し出された。
 視線を上げる。ニコニコと、悪意のない笑みを浮かべる女がいる。視線を落とす。木の器に入った美味しそうな豚汁がある。
「(これは……食べろって、いいたいのか)」
 思わず顔がひきつる。いや、たしかにうまそうだなとは思ったし腹も減って入るが、こんな場所でいきなり料理を始める不審な女の手料理を食べるほど、俺は常識を捨ててはいない。子供ではないが『知らない人から物をもらってはいけません』だ。流されやすいと言われる俺でもやって良いことと悪いことの分別くらいはつく。
「いや、ちょっと……」
「お代とかは気にしないでください。私が作りたくて作っただけですし、お腹も空いているみたいですし」
「そうなんだけど、違うっていうか……」
「冷めると美味しくないですよ? 温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに、です。……あ、しまった、お箸を出すのを忘れてました! はい、持ってくださいね!」
「え……」
 そう言うやいなや彼女は俺に無理やりお椀を持たせた。木の器からじんわりと暖かさが手に移る。彼女はカバンをあさり、器と同じ木製の箸をこちらに差し出してきた。反射的に受け取ってしまった後「しまった」と思った。……完全に流されている。
「さぁ、召し上がれ」
 ニコニコと、不審な女は無邪気に笑う。悪意も何もなく、むしろ善意にしか見えない無垢な笑顔だ。断られるとは到底思っていない、純粋な笑顔だ。
「…………いただきます」
 その幼子のような笑顔に負けた俺は、彼女の作った料理に口をつけた。
「――!」
 口いっぱいに広がる味噌の味。どこか懐かしさを感じる味だ。素朴な味とでも言えば良いんだろうか。高級料理店で出されるようなものではなく、母親が作ってくれるような家庭的なもの。毎日食べても飽きない、舌に馴染む味だ。
 ……そういえば、いつもはコンビニやスーパーの惣菜ばかり食べていたな。自炊なんてほとんどしないから食べるものはいつも決まっていたし。こんな風にうまい豚汁を食べたのはいつ以来か……。
 気がつくと俺はぺろりと一杯平らげていた。お腹が暖かくなったが、それ以上に心が暖まった気がする。
「……ごちそうさま。美味かったよ」
 嘘でも社交辞令でもなく、心からそう思った。ただ味がいいだけじゃない、心まで満たされる料理だった。
「え、へへ。本当ですか? 嬉しいです……!」
 俺が満足そうにしていたのが伝わったのか、彼女は嬉しそうに頬を染めた。
「お、おう……」
 ……それが、少し、可愛いな、と思った。
「え、と、なんかお礼したほうがいいよな。もらいっぱなしってのも悪いし」
 なんとなく気まずくなった俺は、顔が熱くなるのをごまかすように彼女にそう提案した。彼女はびっくりしたように少し飛び跳ね、慌てたように胸の前で両手を横に振った。
「い、いえいえ! そんな! 私が勝手に作ったんですし、お礼なんていいですよ!」
「いーや、それじゃ俺の気が済まない。金銭がダメっていうなら、他のものを考えなきゃな……。って言っても俺が渡せそうなものなんてないし……」
 何かないかと記憶の底を浚う。俺は物欲が少ないからものも持っていないし、あのだだっ広い平屋の家にあるのは何もない庭と数だけはある部屋だけだし……。
 煮込むのに少し時間がかかったからか、もう空は茜色から藍色に変わっている。後少しもしないうちに完全に日が落ちてしまうだろう。
「ん、そういえば、あんた今日泊まるところはあるのか?」
 俺が彼女に今日の宿を尋ねると、彼女は少し固まったあと、目に見えて肩を落とした。
「いえ……特に、ありません……」
「まぁ、だろうな……」
 溜息がこぼれる。こんな田舎にホテルも宿も民宿もない。だからこそ他の街から人がやってくることなんて滅多にないんだが……彼女は何を思ってこの街に来たのやら。
「なら、うちに泊まっていくか?」
 だが丁度いい。うちは部屋だけならある。一晩泊めてやることくらいなんてことはない。いい案が思いついたと俺は思ったが、彼女にとっては寝耳に水だったらしい。
「ふぇ? え、えぇ!? と、とと泊まりですか!?」
「ん? そうだ。飯のお礼になるかわからないが、一晩泊めるくらいは問題ないだろう」
「も、問題ですよ!? お、女を家に泊めるのはイケナイことだと思います! ……ハッ!? も、もしかしてご家族と一緒にお住まいなんですか? 田舎で家族三世帯で暮らしているとか?」
「いや、両親は病院に近い別の街で住んでるし、祖父母はすでにいないぞ」
「一人暮らしです!?」
 彼女がひーっ、と情けない声を上げる。くるくると変わる表情に思わず吹き出してしまった。……最初は公園で急に料理を始める不審な女だと思っていたが、今ではそれも可愛く思えてしまうから不思議だ。
 笑われたと思った彼女は涙目でこちらを睨んでいる。が、怖くはない。小動物が威嚇しているように見えて、思わず反射的に彼女の頭をなでてしまった。
「? ふ? へ??」
「別に手を出すつもりもないし、何かしようとも思ってない。言っただろ、料理のお礼だって。もう日が暮れるし、気にせずうちに泊まっていけばいいさ。大丈夫、うちは無駄に部屋が多いから」
「で、でも……」
「それでも気になるって言うなら、晩飯を作ってくれないか? 俺、料理全くしない人間でさ。人の作ったあったかい料理を食べたの久しぶりなんだよ」
 俺がそう言うと、彼女の目の色が変わった。逃げ惑うように宙を彷徨っていた目がぴたりと合う。意思のこもった強い目だった。その視線の強さに思わず息を呑む。
「――はい、分かりました。そういうことなら私、あなたのために料理を作ります。私でお役に立てるなら、喜んでおさんどんします!」
「お、おう、まかせた……」
「はい、任されました!」
 妙に気合の入った彼女に逆に押し切られ、俺たちは暗くなる前に急いで家に戻った。

あの後、彼女とはなんだかんだ言いながらも家で一緒に過ごしている。料理が出来ない俺を放っておけないのか、彼女は「生活が乱れてます! 不健康です!」と小言を言いながらも楽しそうにしている。
 彼女が来てから、毎日が明るくなった。ただ無表情で窓の外を眺めるだけの日々を過ごしていたが、彼女が来てからは笑えるようになった。彼女が教えてくれたのだ、生きることの楽しさを。
「わ、わぁー! シュウさん、シュウさーん! 大変です、猫さんがー!! 襲撃されてますー!」
 ……遠くで、俺を呼ぶ声が聞こえる。騒がしい声だ。相変わらず彼女は騒がしい。一緒に過ごすようになってから知った彼女の一面だ。よく笑い、よく泣く彼女はとても愛らしく思う。
「なっ、なんで笑ってるんですか!? ニヤニヤしてないで助けてくださいよ!」
「あぁ、分かった分かった。すぐに行く」
 バレないように笑っていたが見つかってしまったらしい。怒る彼女に謝りつつ、俺は縁側でたくさんの猫に襲われている愛しい彼女のもとへと向かう。

――少し騒がしくて、とても暖かい。こんな生活も悪くはないなと思った。

photo by Ferdinand Stöhr(https://unsplash.com/@fellowferdi)

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鷲仙そらまめ
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