生きられないこともない
でも
生きてる感覚は薄れて行く
楽しいことがないと
死んだように過ごす
生きてる感覚は無くなっていく
生きる事は肉体を維持するということと、心とかいう見えないなにかを満たすことなのだと個人的におもう
それが人と人との関わりなのか
誰彼構わず金儲けする事なのか
株で勝ち負けする事なのか
車を走らせることなのか
絵を描くことなのか
文を書くのか
歌う事なのか
スポーツなのか
人助けなのか
田畑を耕すことなのか
宇宙へ思いを馳せることなのか
人それぞれ
みな
違うだけ
だと
私はなにで満たされるのか
何十年も答えを探して来たけれど
なんだかんだ音楽というか歌なんじゃないかと思うのだけれど
最近全く歌うことをしなくなって
生きている意識が消えてきていると
なんとなく思う
意識を維持できてるのは歌を聴いているから
誰かの歌う歌を常に聞き続けているから
そこで救われているような気がする
とはいえ薄れてきている事に変わらない
魂に響かせる事ができる何かをしなくてはいけないのだと思う
ただただ瞑想をして心静かにし続ける事だけしてしまうと、生きている意識が薄れてしまう
神ではないので
少なくとも今はまだ神ではない人であるわけなので
人として生きなくてはいけないので
感覚を消してしまわないように気を付けなくてはならないなと
神の世界には感覚がないので
意識帯のみ存在してるので
たまに肉体に降りてきて感覚を思い出してまた意識帯に戻るような事をする
修行と言えばわかりやすいのかもしれないがその人として生きる事をするために人の体に降りてくるということをしているのだと私は何故か知っているので
なぜ知っているのかは分からないけれど
それぞれ役割があるのだが
その種類も多い
歌う事をしたいなぁと今ふと思い
なぜ同じ問答を繰り返して行動しないのか不思議なのだが環境に依存しないと生きられないのが人なのでその環境をどうやりたいことに向けて変えていくのか形作っていくのか
というのが私の課題だと
通達が来たような気がしてる
体感したことだけが真実
とするならば
過去の歴史や未来の予測なんてものは
全て絵空事だよな
なんて人の言葉で言い伝わる口伝なんてのもそうだろうし
都市伝説の話なんてした者勝ちなんだろうし、それを考えると占いなんてのもそんなもんだなぁ〜と
ちょっと前まではタロットやオラクルカードで占いなんてのをしてた時期もあるけれど、知人の事を見るくらいしかしたことがなかった。
仕事にするにはあまりにもインチキすぎて馬鹿正直な私にはむいてないよなぁと、占いの内容に信ぴょう性もないし保証もできないからクソバカ真面目な私にはそんな無責任な事を人様にするなんてとんでもない事だと...
能力がある無い関係なく
私は勘が鋭いのと、培った洞察力観察眼でこの人がどんな答えを求めているのかなんとなく当てずっぽうでも当ててしまうところがある。
霊能力とかなんとかいうより、私自身が生まれ落ちてここまで生きてきた中で見聞きしたそれぞれの何万通りの事象を切り貼りすることで、その知りたがる人のなにかを知れるだけなのだ。
カードを使うのは、表向きであって大抵は話を聞いてるうちに「こんなこと言って欲しいんだろうな」とか「これ言っとけばいっか」と分かってしまう
あえてカードなどの道具を使うことでそれっぽく見えるのと、自身の感じたそれが合ってるかどうかの答え合わせも兼ねてる。自分自身にも疑うことを忘れないので、ほんとインチキしてる訳じゃないのにめちゃくちゃインチキしてるように感じてしまうのです。
天気予報のような感覚
というよりは
飲食店の前でメニューを見てこれはこんな味だろうな?と予想していざ食べてみたらやっぱりね!というそっちの方が近い感覚だなぁ
まぁ占いなんてエンタメですからね
神事とかなんか昔の祈祷師が神々と繋がって的なシャーマンのようなもではないので...ってあれ?いや、待てよシャーマンに近いのか?
常に言ってる事がインチキクサイから自分が何言ってるのか分からなくなるよね〜根っからのペテン師だ。
(´▽`) '` '` '`
偶然見た
なんかそうねって
その下に並んで出てきたのがこれ
どうにも世の中狂ってるよなぁ
上手いこと生きるのは難しい
しかし
試行錯誤繰り返すことに飽きさえしなければ生きられないこともないよなぁ〜と
お?
今いいこと聞いたぞ!
そういう事か!
(´▽`) '` '` '`
私の依存そこだったかもな
ちょっと動くかね
(何度目かなそれ)
さて、どこから手を付けようか?
目の前のやらねばならぬことからだろうな〜