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らしさが消えて行く時

とりあえず幸せそうな方を見かけたのでどちらもフォローしてみたりした
過去の私はそんな事したことも無い
私は人の幸せそうな姿を見るのが嫌いだ。ずっとこの歳になっても
知っていたんだ人の幸せはいつか悲しみに変わるってことを…だからとても冷ややかな心で見てしまうんだ…
続きは…


これはさっきXで見た何かをそのまま感想と気付きとして書いたもの。
幸せを知ってるってことはその分悲しみも沢山知ることが出来る。
私は身内の誰が亡くなっても悲しいと思ったことがない。
でもそれは幸せではなかったということでは無い
幸せを知っていても悲しむ事を知らない知る必要が無いそれが私だった
私はおかしいんだよ
人と違い過ぎる
私が悲しくなるのは私を雑に扱う人を見て「またか」と思ってしまう私に対してなのだ
私は私に対して感じる事は沢山ある
でも誰かの何かに対してはとても冷静客観的に見てしまう
私自身に起こる感情すらもそうなのか私…ととても冷たいのだけれど

どうやらこの感じは「悟り」らしいとブッダの色々な物語を聞いていた時に知った
私は過酷な家庭環境で育った
そして大人になってからもそれなりに過酷な家庭環境のまま生きている
誰にも頼れず助けを求める事も出来ず
頼れたのは神仏や真理だったと
心理学やスピリチュアルや占いなんてものだったりもしたけれど
どれもが私をここまで導くというか
私を私として存在させるために見せられてきた物事だったのだとこうして書きながら気付かされている

そしてその縁とでも呼ぶべきなのか
その状況に気付けたのは他ならない
あの作品の影響なんだろうな
馬鹿みたいな幼稚な話だが
社会生活の端の方で社会的立場も持たない
世の中に属することも避けられて生きている私にははなにかの物語や作品と出会うことで人という社会を見聞きしたり知る事しか出来ない
リアルで知れることはほんの僅かなのだ
自分から出ていってしまうとまた自分を苦しめるし人をも巻き込んで全て壊してしまうんだ
誰かの理想の中では生きられないからね
馴染めないんだよ世の中に

努力して見た事もあった
子供の頃からずっとなにかしら
人の見よう見まねで試しては
そうじゃないんだと知らされた
大人になってからも
誰かの見よう見まねであれこれしてみたが
もうそこに対応できるような心のチカラも無くなってしまっていたんだ
人と対話するってものすごくエネルギーが必要でね…私にはそれが無いんだ
これは社会生活の中の訓練によって得られるものなのだろうけれど
人のように何かをしたくてももうできないのだ

何書いてるのか分からなくなってきた
きっとこれは全て言い訳なんだと思う
ずるいねこんなふうに逃げてしまうなんて

ダメなんだ何もまとまらない
心が壊れてるから
言葉も扱えない
社会に触れていないからね
人と話す事もできない理由が何となく分かるだろ?諦めてしまうんだ説明出来なくて
話してる途中で「それは甘えだ」とか「それは自己責任だ」と遮られてしまうから、ちゃんと話を聞いてもらえることなんて無いんだ
もちろん行間なんてものも存在しないんだ
そんなもの作ってしまったら伝えたい事もまともに伝わらないだろう?
分かってくれ!というかとほど傲慢な考え方は無いんだよ
話さなきゃ伝わらない分からないし理解されない例えしっかり話したとて理解されないのに
誰も他人に興味などないのだから仕方ないのだけれど、そのくせして知りたがるし理解出来たふうにして来る
まぁ理解出来てないのは私の方なのだろうけれど…何もかも欠けているからね

諦めてるんだ
何もかもを

一縷の望みをかけて何か書いている
そんな感じなんだ
それだって傲慢だよな
うん

もうやめよう
今日はこの辺で終わらせよう
楽しくもなんともないこんな話
誰のためにもならないよ

雨の散歩道☔️
やっと咲いた桜

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