心と身体④
病院の受付事務
病院での仕事は大好きだった。大きな総合病院の医事課の事務員。
大した事ない、誰にでもできる仕事だと思われる方も多いであろう。
そうなのかもしれない。病院という組織の中では事務は下に見られがちだと思う。
ドクターは苦手だった。
何回応援で外来受付に行っても、名前さえ覚えてもらえず、診察室から
『おーい、事務う~』と大きい声で呼びつけられた。院長、あなたに!
何度、書類の記入をお願いしておいても書いてもらえず、約束の日にちに患者に渡せず、しょっちゅう謝った。診察もオペもカンファレンスも回診もドクターの仕事量はとんでもなく多く、目を通さなくてはならないもの、書かなくてはならないものも大量なので、こちら依頼の書類を後回しにされても仕方ないという気持ちではいた。忙しい中、やっと書いてもらえた書類の文字は、字ではなく読めない線だった。
私は、この病院に就職してから退職までずっと医事課でした。
総合受付、計算窓口、患者入力、伝票入力などを主に行い、各外来の受付窓口にも配属されたりした。救急車が来ると、救急外来に走って向かい、救急隊や付き添いの家族に名前や性別などを聞きカルテを作った。処置室が戦場の様だったところも何度か見た。そんな中で処置をしている医師や看護師には惚れ惚れしたし、尊敬した。
工業地帯が近い職場だったので、工場での事故によるけがの方も、救急でよく来た。今では失神してしまうと思うけれど、落ちてしまった指を綺麗に冷やしてケースに入れたものを受付カウンターに置かれたり、火傷で運ばれた方の真っ黒な腕だけを持ってこられたこともある。冷静とはいかないまでも、慌て焦っている付き添いの方を落ち着かせて対応できていたと思う。
一時期、救急科の担当になったことがあり、医局へ行くこともあったのだが、救急科の医局は異様だった。ぐちゃぐちゃだし、ドクターが死んだように寝ていた。そーっと用事を済ませ静かに扉を閉めた。お疲れ様です。
医事課はとにかく女性の強い職場だった。役職のついた男性の職員よりも女性の上司が圧倒的に強かった。お局的な立場の方々は怖かった。入職1年目、カルテを抱えて、診察室へ向かう私の前に通路を塞ぐように足を上げ、通せんぼ。
『あなた、耳悪いの?』震えた。蛇に睨まれた蛙ちゃんだった(笑)
それは間違えている私への指導をする為の引き留めだったのだけど、怖いわ!
総合受付は毎朝長蛇の列、外来も人だらけ、病院にはあるあるだけど、常に『まだですか?』『いつまでまたせるんだ』と聞かれていました。申し訳なかった。それでもこの仕事をしていると本当によく『ありがとう』と仰っていただけた。嬉しかったし、充実していた。
お相撲の〇〇場所があるときは、身体の大きな力士がきた、甘い鬢付け油のかおりと浴衣姿の大きな男、素敵だった。引いたのはK-1の外国人選手が来た時。試合があって、頭を打ち脳外科へきた。私は、たまたまその時脳外科の受付だったのだけど、マネージャーらしき付き添いが『〇〇選手は、今、非常に苛立っている。すぐ診てもらえないとここで他の患者にも何をするかわかりませんよ。』と何度も早く診るように言ってきた。絶対、優先したくなかったけど、結果、早めに呼ばれていた。
10年以上勤めたので、病院でのエピソードは山ほどある。
私の今までの仕事の中で、正社員として勤めたのはこの病院勤務の時だけです。一番大変だったけど、とても充実して、大好きな仕事だった。
出来ることなら、ずっと続けたかった。
今も、勤め続けている、同期が羨ましい。
心と身体と眠ること
2人目も1歳になり、また残業も休日勤務も始まった。
予定しておけることは十二分に考え備えても、大体上手く進まない。
過ぎた日々はあっという間だけど、この頃の私は、1日が長かった?短かった?それすら思い出せません。
思い通りにならない事がどんどん増え、上手くいかない日々が増え、当たるところは主人と子供にどうしてもなった。
楽しい日より、辛い日が多くなっていった。
これは、私の大好きな尊敬するアーティストが発した言葉。
眠れていなかった。確かに。
あの頃の自分はぐっすり眠れる時間なんてなかった。
過ぎてしまった事は仕方ない。もし、私の周りで眠れていなくて、心まで不安定になり悲しい気持ちでいる人が居たら、ゆっくり眠らせてあげたい。
自身も、辛くなったら眠ろうと・・・。50代になった今なら思える。
眠りは大事。
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