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思い込みは「気づく」と外れる

認知科学では、心と体は同じもの

一般的には、心と体は異なるものとして考えられます。

なので、体の分野と心の分野とでは違うアプローチで治療が行われます。精神科と内科、とでは心と体という領域を別のものとして扱う傾向にあります。

しかし、心と体は密接に関連しているものとして経験されます。

良く扱う例としては、梅干しやレモンなどの酸っぱい果実を口に含んだ時のことをイメージすると、口の中にたくさんの唾液が分泌されます。

実際に口の中にレモンや梅干を入れていないのにです。これは、イメージ(心)の作用が身体という物質に繋がり作用しているという好例です。

こうして心と体は密接に繋がっている、という解釈が主流になりました。

しかし、心と体はどこで繋がっているのでしょうか!?心と体の境界になる部分とは何なのでしょうか!?

長年このような議論が続けられてきましたが、それは認知科学では解決した問題のようです。

つまり、心と体が繋がるハブのような部分があるのではなく、「心も体も、情報の一部分である」という考え方です。

考えてみると、映画「マトリックス」では、仮想現実に繋がれている人間たちは、バーチャルな世界では、物理的な建物や食べ物、人間、岩などの感覚は全て情報に還元されるものとして処理される世界です。

堅いと思っていたり、実際に存在すると思われた物質は、単にそう「思っている」だけで、全てコンピュータのプログラミングで処理され表現できる情報です。

物理的に触った感覚は全て、コンピュータの情報処理に原理上還元されます。

こういうわけで、心という情報も物質という情報も、どちらも見えるか見えないかというだけの差で、「情報状態の現れの差」の違いということになります。

物質も心も、虹のグラデーションの様に、情報状態の現れ方の違いであり、それは繋がっている一つの布のようなものです。

宇宙を、一つの布のようなものと例えると、物質のような模様の部分と、心というような見えないが宇宙の布の一部として繋がっている部分として考えることができます。

思い込みを外す

よく心理学や自己啓発で、「思い込み」を外す、というテーマで本が売れたりセミナーが開催されています。

「思い込み」ということは、それは心の部分の情報状態のことを指します。

しかし、その心の部分の情報状態も、先の宇宙という一つの布の例えで考えると、「思い込み」という一部の箇所の連続体として体の部分や物理的な現象がグラデーションの様に繋がっていることになります。

例えば「自分は弱い」という「心」の思い込みがあるとすると、その思いこみの作用する「身体」部分は、どことなく力が入らない、弱々しい身体感覚を生み出します。

そして、そのような「自分は弱い」という思い込みと、それに連なる「身体感覚」は、現実世界で関連する現象を表すことが容易に想像できます。

「心⇔体⇔現象」というように相互作用を起こしながら現実が創造されます。

ここで、すべてが情報状態ならば、心も体も現象も全て同時に連なり起こっている現象だということが言えます。

気づき

ところで「気づき」という作用は、それだけで力を持つ作用があります。

体をリラックスして、身体感覚に足先から頭まで順に、気づきの注意を向けていくと、それだけで緊張がほどけていきます。

それが気づきという「意識」の不思議な作用です。「気づき」そのものに、リラックスや癒し、治癒の効果が存在します。

これを応用しているのがマインドフルネス瞑想や、ヴィッパサナ瞑想です。

「気づき」とは、「今ここ」の瞬間の作用であり、時間も空間も存在しない意識の作用です。

「思い込み」という現状は、必ず過去や未来、そして現在という時間軸の中に存在して身体や現実に作用しているものです。

しかし、「気づき」は思い込みよりも抽象度が高く、時空間に縛られる現象ではありません。

自分が「思い込んでいる」と気づくことで「思い込み」があることが分かります。その「思い込み」には必ず身体感覚が伴っています。そして、何らかの現実的な現象と繋がってもいます。

ネガティブな思い込みを外すには、まず自分の身体感覚に気づきを向けることが最初のステップになります。

そして、その身体感覚を抑圧したり、外そうとしたり、無視したり評価したりせずに、ただ気づきを向けておくと、その身体感覚は霧のように消えていきます。

それに伴って現実の現象も変わってはいるのですが、人間の認識は時間という連続性のある中に存在しているという強烈な「思い込み」があるので、再度過去の思い込みにからめとられてしまっているというわけです。

しかし、このようなからくりを頭の片隅に入れて、何度も練習して自身の思い込みに気づき、その身体感覚を解放するワークを続けていけば、徐々に全ての現象がいつの間にか変化しています。

そうなると、受け継がれてきたり、習慣的な悪習や悪癖を徐々に解除することが出来ます。

これが昔から瞑想修行が受け継がれ、実践され続けてた背景の一つだと考えられます。



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