特別なことではなく、「永遠の命」について、普通に考えてみる
永遠の命を考えてみます。
縁起とは情報的な因果関係
縁起は物理的な因果ではなく、心などの情報的なレベルで起こります。
縁起とは 『他との関係が縁となって生起すること。自己や仏を含む一切の存在は縁起によって成立しており,したがってそれ自身の本性,本質または実体といったものは存在せず,空である,と説かれる。』
とされています。
これの解釈がよく、「現実場面での出来事」から縁が生じるという解釈が良くされていると思います。
そうなると、
「物理的現象≧心などの情報的現象」という不等式が成り立ってしまいます。
例えば・煙草を吸ったから病気になった、・事故にあったからそのショックで心の病気になった、・応援しているチームが勝ったから気分が良くなった、・天気が晴れだから気分が良い、・天気が雨だから気分が落ち込む、・宝くじに当たったから気分が良い、・今日の星座の運勢が悪かったから、気分が悪い・・・
というように、外側の環境の要因で自分の心の状態、気分、幸せ度が決まってしまうことに帰結してしまいます。
これは日常的な感覚としては正しいのですが、物事の一方向しか眺めていない解釈です。
外側の要因で自分の気分や感情が決定してしまうのなら、それは奴隷の状態になってしまいます。
容姿が悪いからもてない、お金がないから出来ない、病だから駄目だ、能力がないから駄目だ・・・
こういうように言い訳の文化が出来上がってしまいます。
「心を含む情報現象≧身体的物理現象」
物理的要因を、現象の原因と考えず、縁起では関係性として出来事を捉えます。
関係性とは、ちょっとイメージしにくいですが、「親子関係」というものを考えてみると分かるかもしれません。
「親子関係」を物理的に出せ、といわれてもできません。
親と子の主観的な証言では、客観性が保てません。ひょっとして福山雅治出演の映画「そして父になる」でテーマになった、「新生児取り違え」事件だって世の中にはあるわけです。
ではDNA鑑定ではどうなのか!?と考えると、自然的血縁関係でなくとも、法律上では、養親子関係という関係性もあります。
これは人間の集団が心の中で決めたルールにのっとって、親子関係が出来上がっていることを意味しています。
つまり、親子関係とは、身体を優位とした血縁関係を超えて含むことを意味しています。
情報的親子関係≧血縁的親子関係
というような図式が成立しますよね。
ここで言いたいのは、親子関係という関係性である縁起という現象を考えてみると、その本質は
「心を含む情報現象≧身体的物理現象」
が成立します。
この宇宙は全て「出来事」という情報
DNAなどは物理的な身体現象として認識されるかもしれませんが、DNAこそ、ATGCの配列パターンによる情報的な設計図です。
DNAによる設計図から五感を持つ身体が生成され、
そして、その身体の5感の窓から物理世界を「観察」し、観察した身体感覚「情報」を組み合わせ、文明を築いているのが人間です。
物理的な天体や堅い石、大きな建物、動植物は、すべて人間の5感の窓を通して変換された記号に、シンボルをラベルして解釈しています。
例えば望遠鏡で火星を覗いた景色や、火星の軌道、気温、すべて数値や画像という「記号」、つまり情報の集まりです。
この火星、動物、人間などの「記号」はさまざまな歴史的な出来事の連続によって生成されました。
これらの記号は、背景にある「数式」から出力された結果として現象化しています。
例えば何らかの「宇宙の数式f(x)」を考えてみます。
この数式に位置、時間、という値を入力するとその時の出来事が出現します。
・位置座標:天の川銀河>太陽系>第三惑星地球>アジア>日本>東京都
・時間:人間の西暦で2021年7月23日
というパラメータにデータ入力すると、「東京オリンピック開催」、という現象が現れます。
東京オリンピックは、日本がホスト国となり、世界各国から選手が集まりそれぞれの競技を行ったという「出来事」です。
もっと座標フォーカスの制度を詳細にすると、東京オリンピックの時の個人個人の様子まで見ることが出来ます。
金メダルを取った選手、予選で敗れた選手、観客の人々・・・それぞれ一人一人の様相は異なります。
その時その時に感じていた気分や感情は、脳内ホルモンや置かれている立場によって全く異なってきます。
人間個人がオリンピック競技場だとすると、一人一人の細胞やホルモンの変化によって、感情の起伏も異なってきます。
「東京オリンピック」というものは、国立競技場、埼玉の競技場、神奈川の海でのセーリング会場など様々な場を共通し、一つの「東京オリンピック」という出来事が生成しています。
「東京オリンピック」を見て触れる実体として捉えるというよりは、出来事として捉えるという方が正確な表現の様に、
人間の個人という存在もその時その時の脳内や心拍数、血圧、感情、気分、考えが集大成した「出来事」です。
私たちの自我(エゴ)がそれを実体の在るものと錯覚しているのです。
開催期間と寿命
「東京オリンピック」は2021年7月23日に開催され、8月8日に終わりました。
16日間の大会です。
人間は平均寿命が80~90年の出来事です。
東京オリンピックは終わり、次は2023年にフランスでオリンピックが開催されます。
東京オリンピックは輪廻転生して、また行われるのでしょうか!?確かに2021年に開催された東京オリンピックは1964年に開催されたオリンピックから2回目で名前も同じです。
しかし、それらは全く同じものでしょうか!?
全く状況は異なります。
場所も名前もほとんど同じですが、その出来事の内容は全く異なります。
これが釈迦の言っていた輪廻転生です。
アートマン思想で解釈すると、東京オリンピックは実在する現象です。「東京オリンピック」という実体があって、未来永劫にさまよい続けるということは、なんだか恐ろしいですね。
話を戻すと、人間社会がどこまで続くか分かりませんが、いつかはオリンピックという概念も無くなります。
始まりがあれば終わりがあるのです。
生と死
このように考えると、人間という現象も平均寿命80~90年の出来事です。
オリンピックの本質は、どこで開催されたか、何時開催されたかということは、殆どの人がどうでも良いことです。
どのような選手が、どのような記録を確立し、ドラマが生まれたか。そして次世代の選手がどのような記録を出すのか・・・という感動が大きなメインなはずです。
確かに、オリンピックビジネスという大きな枠組みでの解釈もありますが、それは裏での話で本質ではありません。
オリンピックとは、つまり「選手たちや、大会をどう解釈するか!?」がメインであって、それは人間の「心」のなかで起こっている情報現象です。
その心の中の「解釈」によって、一人一人のオリンピックの意味が異なります。
金メダルを取った選手、悔しい思いをした選手、それらを胸に刻み付けた聴衆それぞれの解釈は、時と共に移り変わります。
そして、その解釈は意味を生み、生命の情報空間の中で引き継がれていき、次の現象(例:パリオリンピック)に引き継がれます。
その解釈は、ネガティブにもポジティブにも自由に捉えることが出来ます。
人間の生と死も同じです。
大会が始まったり終わったりとか、人間が生まれたり死んだりという現象は、目に見える現象で、現れては消える、数式f(x)から出力された出来事です。
この現象の背景には、5感では見えず、触れず捉えられない数式が存在します。
戦争、災害、不幸と呼ばれる現象をネガティブに「捉え」、破壊的な現象を生成させるのも、
これらの現用を、何らかの意味あるものとして「捉え」、より人々や生命に意味がある現象に繋がる者へと変換するのも、
その現象を「捉える」意識の状態に左右されます。
宇宙という現象の背景には、その現象を描いている数式が存在し、
その数式は現象を「解釈」し「捉え」ます。
意識の水準が低いと、破壊的な現象が繰り返され、
意識の水準が高いと、より創造的な現象が生成されます。
ここで言う「意識の高い、低い」という表現は水の温度が低いとと氷になり、温度が高いと液体になる、という単なる現象のことです。
そして、人間は「解釈できる」意識のスケールがこれまでは少ない範囲で、多くは生きていましたが、
これからは集団でより大きなスケールでの解釈が出来るようになりました。
それはA「出生」~B「死」という短い幅でしかこれまで自分や人間の存在を認識していなかったのが、AからBという枠が無くなり、無限の視点から自由に解釈できるようになることです。
その自由な解釈を妨げているのが、自我(エゴ)であり、生理的な機能では扁桃核による生存欲求による強烈な不安と恐怖という生理現象です。
この生理現象を人工的ではなく、自然に超えて行くことが、スピリチュアルな探求過程でもあり、現代の文明の課題であり、日常生活での様々な課題の解決につながっていきます。
それは、前頭前野と心臓脳の同調に関連し、伝統的な瞑想訓練がその機能開発に繋がっています。
私のnoteの記事は、この機能を認識し、活性化するための記事を更新しています。