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UFOや高次元存在の正体とは!?―アセンション現象や、新しい時代への移行について考える―

(※この記事で独立した内容ですが、前回までの記事の流れから繋がっている記事になります。)

ホログラフィック宇宙の構成要素である「生命素粒子」

この物理宇宙は量子的な観点で言えば、量子の海のような状態です。

それは、波の性質でもあり粒子の性質でもあります。

物理学では素粒子が宇宙の最初構成単位とされています。しかし、この物理宇宙はホログラフック宇宙論では、映画のようにスクリーンに映った写像として考えます。

こうなると素粒子もスクリーンに映った写像になります。映画はプラトンのイデア論のように洞窟に映った影です。

洞窟の比喩でいうと、本質的な実体は別にあります。この本質的な実体の最小構成要素が生命素粒子やインドヨーガで言われるプラーナ、気功の気にあたるものです。

その生命素粒子の結果として、物理的な素粒子が生成しているという考えです。

生命素粒子(プラーナ、気)の性質

粒子の性質の場合を「生命素粒子」や「プラーナ」といった粒子的な状態で、これは時空間や生命場を超えて通信する粒子です。

これらの粒子が集まって組織化し、知性を持つようになり、個々の生命現象を表現します。自分という肉体の受信機も、その生命素粒子の一表現として存在します。その受信機に体験としての記憶から人格が形成されます。

人格とは、一連のパターンで示されるアルゴリズムであり、何らかの数式で表現できる方程式です。

つまり、人間という存在は肉体というTV機器にあたる受信機を持ち、

かつ人格や感情、情緒というTVでいえば番組内容のような「心」があります。

これらは全て生命素粒子の総合作用から生じている現象です。

戦争や虐待の解決:常に通信している生命素粒子

その心という個別のアルゴリズムは生命素粒子で構成されています。それは数式として記述表現できるようになるかと思います。

AIが優れた絵画や音楽を作り、人間の悩みの相談に答えているということは、人間という生命現象が作り出した芸術作品や心の問題なども何らかのアルゴリズムで表現できるということを指し示しています。

つまり全てではないにせよ、人間と人間が作り出した創造物は何らかのアルゴリズムパターン=数式で記述できるということが言えます。

この数式による軌跡は一定の記号やシンボルを作り出します。例えば楕円の方程式の軌跡は、下図のように楕円の形を形成します。

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生命の方程式の軌跡は様々な形を形成し、それがシンボルとして人間に認識されます。丁度フラワーオブライフの幾何学模様のように。

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そして、数学的な性質を持つのならば、「対称性通信」という原理(ごく簡単にいうと、似た構造、性質をもつもの同士は、繋がり通信しているという原理)から常に似通った記号やシンボルと、生命素粒子で繋がり通信しています。

これらが集まると、ある一定のパターンを形成し、これが思考や信念となります。これは、宗教観、思想、価値観、信念、パターンを形成し、通信します。

似通う情報パターン(信念や価値観など)が繋がると、波動共鳴を起こし、さらなる波長を生み出し、より似たようなシンボルパターン(人々)を引き付けます。

類は友を呼ぶで、ある特定の考え、常識、情動、行動形式、価値観を作り出し、結果として団体、集団、家族を形成します。

つまり、この方程式の軌跡が3次元の現実に現象化されると、宗教的な儀式や特殊な礼拝、教義として現実世界に現れ、より繋がりを強固にします。

その形成パターンは、より抽象度の高いパターン程大きく繋がり、抽象度が低ければ分離していく運命になります。

抽象度の低い現象の例として、例えばキリスト教と仏教、イスラム教は、異なる教義と慣習を持ちます。言語も文化も違うので、この水準でキリスト教徒と仏教徒は交わることはありません。無理くりまとめようとすると、争いが起こり分断と分離が生じます。

それぞれが生き残りをかけて、お互いの信徒をいじめ、虐待するようにもなってしまいます。

そしてその崩壊パターンを持つ生命素粒子が、ウィルスの様に次世代に受け継がれ虐待や戦争などの、憎しみの連鎖を形成します。

逆に抽象度の高い例としては、キリスト教、仏教の本質的な部位―利他、愛、空、非二元―という概念では言語、文化、価値観、教義を超えて繋がることが可能になります。その際はお互いの文化や信仰、言語と慣習をそのまま大切に活かすようになります。

そして、より長く受け継がれ、継承され、整合性のある調和的な現象を創造していきます。

ここに虐待やいじめの解決へのヒントがあると私は考えています。

人間は意識しようがしまいが、常に何か通信している

問題を抱えていたりしても、急にインスピレーションが湧いて解決したり、病や人間関係、経済的な問題を抱えるという状況から、ふとしたきっかけで状況が一変し好転するということがあります。

問題や課題を抱えているということは、その状況においては自身が抽象度が低い状態に自身がアクセスしている可能性があるということになります。

暴力や、戦争、いじめ、といった否定的な状況の解決策に走ったり、そのような状況が繰り返される場合は、抽象度の低い情報場に自身が繋がっているのかもしれません。

混沌とした状態が整合的ですっきりとした状況に好転する場合は、心身も安心しすっきりするものです。

こうした状況は、抽象度の高い高次元の存在とアクセスしているということなります。

こうしてみると、抽象度の高い存在が肯定的な高次元の宇宙存在や天使、精霊であると考えられます。

そして抽象度の低い情報場の存在が、否定的な霊体(情報場)などの存在として考えられます。悪霊や悪魔の形は、その情報場の数式により描かれた軌跡による、シンボル(象徴)として視覚化される現象であるということです。

「世界は比喩でシンボル」―偶像崇拝は本質ではない―

しかしそれらの姿かたち(翼の生えた天使や龍神、神々の姿など)は3次元的なメタファーであり、本質ではないということは先に述べたとおりです。

しかしそのようなメタファーがあったほうが、よりイメージしやすく、抽象度の高い場にアクセスしやすいのであれば、このメタファーをきっかけとして用いても問題はないでしょう。

しかし、「それらの姿・形が実体として存在する」、と頑なに信じることは、TV番組の内容よりも、TV機器に執着しているような状態で、本末転倒であるということが言えます。

こういう状態を「偶像崇拝」と呼べます。

これが何が問題かというと、偶像崇拝を繰り返すと、高次元存在への依存から自我(エゴ)が強化され、結果として幻想が強まり、抽象度の低い場にとどまっていることを意味します。

「形」とは肉体の5感で捉えられる現象であるので、本質は「形」の水準よりもより抽象度の高いところにあります。

結果、「形」という偶像崇拝にこだわるということは、抽象度の低い物理的世界に執着することでもあり、繰り返される輪廻転生が生じてしまうということです。

輪廻転生による「生まれ変わりがあることで安心できる」、という情動は一時の慰めになるかもしれませんが、覚醒とはまた違い、死後の世界という幻想を生み出します。

そして死後の世界を含めた、偽りの『覚醒へのヒエラルキー』をつくり、宗教や信仰としてこの思考パターンは、永代に渡って受け継ぎます。

これは宗教的・スピリチュアル的教義と文化をつくり、今世にも後世にも影響しています。

本来は輪廻が幻想であるということを知るのが本質なのですが、アヘン的なスピリチュアルな教義はそうではありません。

高次元の存在とのコンタクトを行う際には、このことを理解したうえで、高次元の存在とのコンタクトの道具として、姿や形(様々な神々の姿など)をイメージし利用することが大切です。

世界の全ては比喩で、シンボルだからです。

「スピリチュアルという学習」を効率よく進めるために、シンボル(神々の姿)を用いる

数学という学問の正解を例に、スピリチュアルという学習領域を考えてみます。

丁度、足し算を覚えたての子どもが、「算数ブロック」という具体的な媒体があったほうが、学習の初期は算数の理解と体得が進むのと同じように、

天使や高次元の存在のビジョンや、死後の世界、輪廻転生といった概念もいずれは卒業する「算数ブロック」としての役割として扱えばよいのではないのでしょうか。

スピリチュアルの探究過程は、『自身が「私」というエゴの存在ではなく、ありとあらゆる存在であり、誰でもなく、なんでもない、神である』という「気づき」の学習過程です。

数学では、必要なπ、√、+、-といったシンボルがあると、暗算するよりもより効率的に、計算しやすくなります。そして、その考えを他者に伝えることが可能になります。

その結果として、数学や宇宙の神秘などの問題や課題が結果として解決出来、新たな原理原則が発見したり、新しいパラダイムが発見されたりもします。

どんな大天才でも、それら数学的な記号や関数を用いずに思考し、他者に伝えることが出来る者はいません。

スピリチュアルも数学と同じで、法則や言語、シンボルを持ちい思考し、学習します。つまり、偶像としての神々、死後の世界などは、ある一定の時期はあった方が良いということです。

それら偶像も、物理的なホログラフックと同様の幻想です。

アセンション現象を考察

スピリチュアルというものを、「学習過程」として考えると、

学習過程が効率よく進むために、神々や精霊、天使、そして最終的には「私」という存在を算数ブロックのように捉えることが出来ます。

スピリチュアルの学習のためにそのシンボル(比喩)としての「私」を活用する、ということになります。そして、算数ブロックがいずれ無くても足し算が出来るようになるように、「私」という自我が無くてもスピリチュアルの学習が進めるようになります。

算数ブロックからの卒業は、「私」という自我(エゴ)の死を意味します。

その学習の経過現象として、多くの人と本質的な交流と通信を行い、より人間の意識進化に繋がります。

それは抽象度の高い通信課程に移行するということなので、抽象度の低いいじめや虐待、戦争などの現象は、過去のものとして消滅し、無くなっていきます。

丁度、太古では王の為や、神々の怒りを鎮めるために生贄の心臓を捧げる儀式がありましたが、そのような現象は現代では誰しもが意味のない野蛮な行為だと理解しています。

その様な形でいつの間にかいじめや虐待、戦争というコンテンツが消え去っているのでしょう。

この現象は、科学技術と意識進化の発展度合が目覚ましい現状を考えると、この地球上にその世界が現象化されるのは、思っているよりも早く実現するのではないかという思いも抱いています。

これがアセンションや地球、宇宙のリセットに関する内訳であると考えています。




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