僕の気づきのお話
「毒親の子供は、自分のオヤが毒親だということに気づかない。」
そんなことを何処かで聞いたことがある。
自分も例に漏れず、その言葉を見るまではその教育方法が普通だと思っていた。
自分がこんなにも気に病んでいるのは自分の心が弱いからだ。
他の人も必ずこの道を通る。
なんて、考えていた。
この言葉に出会ったのは自分が自分の異変になんとなく気がついて興味本位で調べてみたときだった。
「虐待」「過保護の延長線上の毒親」
言葉として認知はしていたが、このときでさえ、まだ自分のオヤが毒親であることを認知していなかった。
いや、したくなかった。
毎日の「殴られる」「大きな声で罵詈雑言を浴びせられる」「物を投げられる」という行為は、自分が大切にされている証だと信じ込んでいたから。
自分のオヤが毒親であることを確信したのは、それから約2年後の話だ。
中学3年生の秋、長袖を着るようになって自分の腕の傷が増えてきた頃。
友達と自分のオヤについてなんとなく話していた。
「オヤにこの前初めて殴られたんだよね〜」なんて言葉を聞いて、
「あぁ、こいつは過保護に愛されているんだ。羨ましいな。」なんてことを思っていた。
自分のターンになる。
「この前さ〜、3時間位殴られて、リモコン投げられて、蹴られて、耳鳴りがするまで耳元で叫ばれて、挙句の果てには追い出されちゃったんだよねー」
だいたいそんな話をした。
周りの視線はおかしかった。
「あ〜あるよね〜」という反応を期待していたのだが、周りから来た反応は哀れみの視線だけだった。
どうして?皆もあるでしょ?
そうなんだ。
自分のオヤは普通じゃないんだ。
自分は愛されていなかったんだ。
自分の絶望は、当時の自分の小さな心ではこらえきれないものだった。
笑けてきた。
「あーあ。自分は何で生まれたんだろ。」
あの日から、僕のオヤに向けた憎悪は加速することとなる。
自分の腕の紋章が増えたのも、まさにこの頃だった。
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