企画展示を行う -B面- ネガティヴに後ろ歩き
来月の末、僕の経営するお店で企画展示を行う。
…この企画は、僕と僕を取り巻く環境への1つの警笛でもある。
ネガティヴな僕が、後ろ向きに後ろに歩いた結果だ。
その思考プロセスを表明してみたいと思った。
実は古物業界において扇風機はブーム
実はレトロな扇風機は数年前から異常に高額だ。
どこかの国の誰かが意図的に?
火がついたブーム。
以前FB上で「日本に住んでます、日本のレトロ扇風機を代理で買ってあげます」という仕事を募集している東南アジア生まれの男の子を見つけた。
そのスレッドにはなかなかの数の人が集まっていた。
彼に仕事を依頼するのがどこの国の人なのかまでは分かりかねるが、少なくともそういう仕事すらあるようだ。
…ブームの最中、「これまでそのジャンルが好きだった」人が落胆する姿を見た。
前回の記事で紹介した"菊菱工廠のOくん"もきっとそうだ。
-自分が好きだったモノが日の目を浴びる-
「自分には先見の明がある!」と喜ぶ人もいるだろう。
でも、ひっそりこっそり、楽しむのが好きだ…
そんな人だっている。
Oくんはその類だ。
僕も比較的その類だ。
そして、そのような「好きの在り方」は僕の原点-イノセントな部分でもあったりする。
誰も知らないことを知れることで1人ニヤニヤしてしまう。
※ちょっと古いネット言葉で言えば「マイオナ厨」とでも言うだろうか。
僕は古物の探求者でありたい、だけど古物商だ
僕の商売、古物商は中古・骨董の中から"売れる"モノを探して、売る商売だ。
古けりゃいいわけじゃない。
売れるモノの勉強は必須。
その勉強とニオイの察知をする能力、それを総じて「目利き」と言ったりするのであろう。
僕はなるべくなら好きなモノばかりで商売をしていたいが、なかなかそうはいかない。
売れるモノを探して、売る。
ブームを察知して、利用する。
商売人としてはアタリマエだ。
僕ももちろん行う。やらなければいけない。
つまり、Oくんと似た感傷に浸ることはあれど、それはそれとしてブームに乗っかり現金をゲトろうとする浅ましさもそなえもつ。
イノセント と 商売っ気
僕は"僕の中のイノセント"も大事にしたいけど、商売も大事にしたい。
両方を大事にする、しかしその二輪は相反するものなのかと心沈む時がある。
周りの皆は僕に「稼ぐパーソン」でいて欲しい
僕は小さな企業の社長である。
僕の周りの人物は、僕に「稼げる人であってほしい」のだと感じることがある。
それは希望、羨望、可愛さからであったり…
それ自体は身に余る光栄だ、もちろん嬉しい。
「期待してくれていてありがとう」
心に余裕のある時ならそう言える。
ただ、僕らのイノセントな知識欲からくる考察が「稼ぐため・金のための勉強」ぐらいに思われるなら、と落胆してしまう時がある。
僕は金持ちが偉いとも、なりたいとも思わない。
売れるモノがイイモノであることはあっても、売れる=イイモノという方程式が必ず成立するとも思わない。
ましてや、売れるモノ=心が動くモノ、とはとても言えない。
扇風機に限らずブームは品を変えやってくる-踊る場所は選びたい-
当たり前だが流行の波は扇風機に限ったことではないし、骨董に限ることでもない。
その時勢に乗る、乗った上でお金を稼ぐ。
経営者としてはあるべき姿、おかしいことではない。
※ここで「次に来るブームのために勉強して、稼ぐぞ〜!」と言えるまっすぐな自分であればどれだけ楽だろう。
僕は様々な古いモノが好きだ。
きっと僕の好きなモノはこの先の骨董人生において、ブームの波に乗るモノもあるだろう。
きっと僕はその波を利用することは多々ある。
ただ、いちいち踊らされるために古物商を選んだわけではない。
皆が踊るなら僕は踊りたくない。
仮面だらけの国で、僕は素顔でいたい。
踊るなら自分の意思で、たった1人で雨の日に踊りたい。
I don't wanna dance
自分の中のイノセントを見つめなおすために
僕は商売人だ、古物商だ。
しかし、ビジネスの勉強はするけど、ビジネスマンではなくていい。
最近このように結論付けて、口に出すことにしてみた。
少し楽になった。
お金の勉強もする、お金にならない勉強もする。
仕事として古物が好きだ。
ただし仕事でなくとも古物を愛している。
「こんなモノが買えてしまった、と心震えて眠れない夜がある。」
旧知のおじいちゃん骨董屋が言ってた。
僕の願う"古物商のあるべき姿"だ。
それを確かめて、発声する場が欲しいと思った。
noteも、もちろんその発信の場だ。
その試みをリアルにも移したいと思ったのが今回の企画だ。
これをやったから、どうなるわけではない。
ニッチな業界の、ちっぽけなレジスタンス。
精一杯警笛を鳴らしても虚空に消えてしまうかもしれない。
でも時勢にガッカリばっかりしていられない。
この試みは僕が後ろを向きながら、後退りした結果生まれたplanなのだ。