古道具を楽しむ #7 幻のオリンピック
幻の東京オリンピックという言葉は皆さんご存じだろうか。
2020オリンピックのように延期開催ではなく、そのものが行われず中止となったオリンピック・・・。
1940年東京オリンピック
欧米諸国以外で開催される、はじめてのオリンピック。
かつて、その計画があった。
簡単に時系列をまとめると
①第一次世界大戦で勝利し、ノリノリだった日本が各国へ自国の威厳を示すためにオリンピックの開催を予定した。
※紀元二千六百年記念行事としての意味合いも濃かった。
②日中戦争の長期化により国内外から批判、開催を見直す声が高まっていく。
③中止へ・・・。
かなり端折っているがこんなところ。
④いつから呼ばれているのかは不明だが、その出来事は「幻の東京オリンピック」と呼ばれるようになる。
古物のいちジャンルとしての"幻のオリンピック"
「オリンピックのグッズ」はファンも多く古物の中では人気のあるジャンルだ。
全世界が熱狂する大会、そりゃそうだ。
しかし、幻のオリンピックは例外だ(と、僕は思う)
開催されなかったのだから。
幻のオリンピックグッズを見せつけたところで世界にいるオリンピックファンもきっとピンとこない。
しかし、日本国内においてはある一定の、ニッチなジャンルではあるが認められたカテゴリだ。
そればかり集めている、という方は私も何人か知っている。
「幻の東京オリンピックのノベルティが好き」という気持ちはとてもわかる気がする。
存在自体もおもしろい、そして若年層に向けたものが多いためか、どこか間の抜けたデザイン。
・・・文明開化からおおよそ半世紀、文化が少しづつ欧米に近づいていく頃、ようやく欧米と娯楽もが並ぶ。
同時開催予定の万博もおおいに関係しただろう。
※万博は無事開催された。
きっと誰もが開催へ、浮足たっていた。
そのウキウキ感が伝わってくるのも好印象だ。
幻のオリンピックが幻たるゆえん
以上が幻のオリンピックの概要である。
「開催できなかったから幻なんだね」
そのような解釈はけして間違いではない。
ただし、僕は幻と言わしめるに、それ以上大きな部分があると思う。
上記の通り、オリンピックの開催決定は1936年冬。
開催権の返上が1938年夏。
わかるだろうか、その間たった1年半ほど。
たった1年半で、たくさんのノベルティが作成・配布された。
「戦争と大東亜共栄圏」それらの意味は分からないけど、「万博と五輪」にはあこがれた。
そんな人が大半だったのではないだろうか。
ふるいモノを「面白い」と思う
評価の基準は様々だが、超絶技巧やロストテクノロジーに代表される"お宝"
そのようなモノを見つけだし、評価するのはもちろん僕・僕たち古物商、骨董商のやるべきことであると思う。
しかしそれらは"すでに誰かに評価されているモノ"だ。
中には「古い」と「面白い」を完全にイコールで結ぶ方もいる。
・・・本当に「ふるいモノは無条件に面白くて、評価に値するモノ」だろうか。
幻の東京五輪は、血なまぐさい理由で中止となった。
しかし開催へ向けた国民の気持ちの高まりはホンモノであったろう。
戦争、ヒエラルキー、プロパガンダ、忘れられるべき思想、忘れられた文化、マヌケさ、無秩序さ、整合性の欠落やみっともない部分、そして純真無垢なエモーション、情景・・・。
発展という光、衰退という影。
すべて理由があったり/なかったり。
それらを確認したうえで「ふるいモノは面白い」を再提案することこそが僕の目指すべき古物商なのではないか、と。
僕は近頃思うのだ。
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