最近の記事

愛を贈る、

近しい人の愛がわたしにまっすぐ届かないのは、 あまりにもわたしにとって存在が当たり前だからかもしれない。 紆余曲折して届いた愛にも意味があるけれど、 まっすぐに届いてほしかったなと思う。 20年の紆余曲折の愛を、これからどうやって贈ろうか。 わたしに贈られた愛の数なんて、分からない。 もしかしたら、まだ気づいていない愛もあるかもしれない。 これから発展する愛もあるかもしれないね、 わたしがわたしに贈る愛も、誰かに贈る愛も、 擦り切れずに、余裕で溢れるくらい、持って

    • さざんかの奇跡

      わたしの実家の庭には、花を咲かせる木がたくさんある。 椿、梅、金木犀、山茶花、わたしが生まれる前はもっとあったらしい。 山茶花 今はもう寿命が来て咲かなくなった、その山茶花の話をここでしたい。 山茶花は鮮やかなピンク色が綺麗だけれど、散ってしまうと風でどんなとこへでも飛んでいってしまうほどの軽やかさを持っている。 小さい頃はぶつぶつ文句を言いながら掃除をするのが冬の定番。 寿命が来て咲かなくなったのは、わたしが一人暮らしを始めた年だった。 もう実家に帰っても山茶

      • 「若さ」で評価されてもね。

        わたしは、よく「その年でそれ考えられるのすごいね」と言われることが多いです。 自慢したいわけでもなんでもない。 周りの影響からそういう思想が生まれるだけで別にわたしがすごいわけではないのです。 もちろん、その言葉で嬉しさも感じます。でも、それよりも虚しさのほうが勝つのです。 若さで褒められることも褒めることもある。尊敬の念があるからこその発言だってわかる。それでも、大人になれば当たり前。 ギャップが生まれてしまう。 こどものときに褒められたのはただこどもだったから

        • 「熱源」を読んだ、高3のあの一週間

          「知る世界の広さは人生の可能性の広さだ」 この文章を読んだ瞬間、わたしはこの本に出会えてよかったと自然と思えたのです。 「熱源」を読んだきっかけは高校生直木賞というイベントに参加するためでした。だから、あくまでも自分で選んだ本ではなかったのです。 それに、それまでのわたしは、歴史小説ってちょっと読むのきつそうだなと思ってほとんど読んだことがありませんでした。 ちなみに、高校生直木賞というイベントは5作の候補作のなかから、全国の高校生が集って、投票で1作の受賞作が決まる

          私なりオシャレ定義

          おしゃれができる人という定義はよく分からない。 わたしは、自分を犠牲にして新たな自分になれる人のことだと思っている。 スカート履きたいと言ったのは小さい頃だけで、基本はパンツスタイルのわたし。 寒いし、スパッツはピタピタして何だか鬱陶しく感じるし、といろいろ文句を言って履かなくなった。 ヒールのある靴も小さい頃は憧れで、ヒールのあるサンダルをおねだりしたこともあった。 だけど、今のわたしは、大体の靴は靴ずれをおこしやすいために入学式で履くつもりだったパンプスはスーツ

          私なりオシャレ定義

          小説 だいだい色という彼女

          彼女の部屋の小物はだいだい色で固められていた。 オレンジと言うと頬を膨らませて、違うの、と言った。僕には違いがわからない。 彼女がどうしてそこまでだいだい色という呼び方を好きでいるのか。 『小さい頃、背の高いお兄さんがね、言ったの。「赤も黄色も青も漢字なのにオレンジだけカタカナなのは仲間外れみたいで僕は苦手なんだ。だから、だいだい色って言ってるんだ。」って。』 幼い彼女はまだ名前も知らなかった、マリーゴールドを見ていた。そこに現れた、背の高いお兄さんがそう言ったらしい

          小説 だいだい色という彼女

          想い出のレンタルビデオ屋。

          地元のレンタル屋さんが近々閉店するということを知って、衝撃が止まりませんでした。 小さい頃から、連れていってもらっては、たくさんの物語にワクワクを貰っていました。 幼稚園のころ、自分の身長を大きく上回る棚いっぱいの映画たちに囁かれたかのように一緒に来ている家族と離れて迷子になりそうになったこと、 いつの日か借りるときがくるまでに観たい映画リストを心踊らせながら書いたこと、 自分がまだ知らない映画がいっぱいあると思うと、楽しくなって心がうきうきしたこと、 また今度来た

          想い出のレンタルビデオ屋。

          SNSこそポジティブ人間になりたい

          普段のわたしはすごくネガティブ、でもSNSでは明るい投稿を心がけています。 もともとはいろんな感情をSNSであらわにしていました。でも、3.4年前にわたしがあるものを批判している投稿で悲しませてしまったことがきっかけで自分のSNSの使い方を見直しました。 目の前で、ある人が好きなものをわたしが嫌いだと言えば誰だって悲しむと当たり前なことをSNSという壁をおけば大丈夫だと思ってしまった。最低だなと今では思います。 SNSこそポジティブ人間になって、見ている人や偶然目に入っ

          SNSこそポジティブ人間になりたい

          25卒が運営として就活イベントに参加したはなし。

          5月に運営として学生団体に入り、ミーティングを重ねる日々。 そのときのわたしは、1ヶ月後、お揃いのアイコンと背景を使って運営として就活イベントに参加して、自分の仕事である出席確認が済んだ後、必死でメモを取ってリアクションをするなんてことは思っていなかったと思う。 いちばん驚いたのは人事の方の振る舞いだった。思ったよりも良い意味でも悪い意味でも人間味があり、やっぱり話し上手であること。続々と出るそれぞれの価値観に圧倒されながらイベントは進んでいった。 なぜインターンをやる

          25卒が運営として就活イベントに参加したはなし。

          部活史上いちばんのわがまま

          高校二年生の秋、顧問の先生に大きなわがままを言いました。 高校生直木賞というイベントがあって、それに参加したいんです、と。 先生がなんとか校内で話を通してくれて参加できることになりました。部員たちで回し読みをしたり議論したりを繰り返して、2020年4月には東京にある文藝春秋のオフィスに向かえる、そのはずでした。 しかし、新型コロナウイルスという猛威を振るうウイルスのために延期、オンライン開催となりました。去年の様子をホームページで見て楽しみにしていたのにと正直落ち込みま

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          洋服は男の子だったあのとき。

          これはわたしが小学生の頃の話です。 突然、小学生のわたしはメンズ服を選ぶようになりました。母は驚きました。わたしが女の子だから。 そのときは理由が無かったと思っていましたが、高校生にもなったある日。その日の会話のなかでこう聞かれました。 「 何であのとき男の子の服を着ていたのか 」 理由なんてないと思っていたわたしでしたが、一度考えてみて、 「 お母さんが選ぶ服を着て学校に行ってクラスの子と同じ服だったとき、表でも裏でも「被ってる」「パクりだ」「パクるとか笑」って言

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          受験ばなしでもしませんか

          受験生としては間違いだらけだったと思うけれどわたしは過去の自分を肯定する。 高校一年生のわたしは国立大学を受験することもできないくらいの出来だった。 現実を甘く見ていたと本当に思う。 三年生になって点数は500点ちょい。何ともいえない点数である。冬休み前、先生にこう言われた。 「1か月で30.40点、本番上げた先輩がいる」と わたしでもできるかもしれない。本気でそう思った。 結果としては50点上がりました。それでも第一志望の国立は諦めないといけなかった。もっと辛か

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          ときめいた"唯一"の数学の公式

          文系女子、圧倒的数弱のわたしが授業中、唯一ときめいた数式があります。 世界一美しい数式を産み出した数学者、オイラーが説いた、オイラーの多面体定理。 まさか算数から数学までとにかく苦手なわたしが、数式に一目惚れするなんて誰がおもっていたんでしょうか。 大体の数式はイコールの後は0か1。 それがオイラーの多面体定理は2。 きっと少しだけ欠けている部分にときめいたのだと思います。0でも1でもなく2である、二つも違うのになぜだか何よりも綺麗だと思えたんです。 受験じゃほぼ

          ときめいた"唯一"の数学の公式

          校内知名度下位クラスの部長

          わたしは、とある高校で部長をしています。 もう少しで後輩に受け渡すこの役割、わたしはとても好きでした。 生徒会誌で書かせてもらった、わたしのずっと大切にしていたモットーが、 「 わたしの言葉で誰かを救ってみたい 」 でした。 恥ずかしくて誰にも言っていなかった、    わたしの密かな夢は誰かにとってのエンターテイナーになること。 わたしの書く文章を楽しみにしてくれていた人がいてくれたことが本当に誇りだった。少ない知名度の中でも誰かのためにできることがあった、3年間

          校内知名度下位クラスの部長

          ことばの芸術

          わたしは読書が好きです、 でも、なかには苦手な人もいるでしょう。大好きなわたしからすれば少し悲しくなりますが、わたしにも苦手なものがあるので、同じだと思っています。 部活ではことばで伝えることをしていますが、なかなか大変です。どういうものを読者が望むのか考えなければならない。企画ひとつ出すのにも苦労します。 それでも自分が書いたはなしが何かひとつでも、心に残ってくれると嬉しいのです。読書が苦手な人ならなおさら。 読書が苦手な先生に読んでもらったことがありました、 頑

          ことばの芸術

          "勉強"

          とある先生が授業中、こう言いました。 "勉強する意味を他の先生たちに聞いてほしい" それからの授業でクラスメイトはいろんな教科の先生に聞きました。 "様々な文化を持つ人たちからその国の文化を知り、そして日本の文化を知ってもらうため" "今までの歴史から多くの視点をもってほしいため" "真実なのかそうじゃないのか、正しいことなのかそうじゃないのか、それらを自分で見極めるため" それ以外にも聞きました。 全てなるほどなと思いました。 今、自分が苦手な教科をなぜ勉強

          "勉強"