高校時代の自分にアートを教えてくれた人
こんばんは大久保です。
今日12/29は渋谷WOMBで開催されるNUOと言うイベントの撮影にお邪魔させていただける事になったので、皆さまぜひお時間ありましたら来てください!
URL→https://www.womb.co.jp/event/2019/12/29/n_u_o-14/
今日のnoteは、先月、高校時代の恩師である小久保 碧先生とお父様の小久保 裕さんの展示にお邪魔させて頂いだき、色々と思い出したので書きたいと思います。
自分にアートを教えてくださった、碧先生は自分の高校の美術の先生をしながら、東京を拠点に陶芸家をしていて、
お父さんの方が、画家をずっとしていて非常に有名な画家らしいです。お母さんはピアニストとして活躍されていて、指導者として今ピアノをやられていて、芸術一家の先生なのです。
そんな碧先生には、高校時代3年間美術の先生をしていただき、今こうしてアートを好きでいられてる理由が先生のお陰なのです。
小中学とサッカーをやってきて、美術の授業以外一切アートには触れる事がなく高校に入学してきました。
中学でも美術はやっていたのですが、碧先生の授業とは全く『違う点』がありました。
それは、『演らせられるアートではなかった』という事です。
中学ではテンプレートな教科書にそった授業でとにかくつまらない、演らせられたアートでした。
でも碧先生は、教科書で扱ってるものを多少抜粋するが一味も二味も付け加えてアートの時間を使ってくれたのです。めちゃくちゃ楽しい。とにかく授業の妨害にならなければ自由。その授業は良い意味で授業では無く、アートを触れる時間だったのです。
そのように感じた根本的な理由はよく分からないですが、芸術一家に生まれ、大学も美大に進み、ほぼ一生をアートと主に生活している先生だからこそできる、最大のアウトプットフィールドであったし、
アートの魅力を高校生ながらでも感じさせてくれる力があったのは間違いありません。
とにかくアートは自由で良いのだ、気になったもの好きなもの好きな心情を形にするだけで、アートとして価値ある存在として形成されるのだと高校生ながら感じさせてくれました。
日に日にこの基本的な事を忘れてしまうので、思い出せて非常に良かったです。アートとデザインの境界線は一生悩み続ける難問であると思いますが、自分なりのアートを見つけ出せれば意外と簡単なのかもと思いました。