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僕と病気の父と生きてきた1万ちょいの日々の思い出を記録しておきたい人。その①

こんにちは、SORAです。

ここ最近というか数週間、絵日記の更新がなかった理由は
父の介護と諸々がありまして自分の自由時間が無かった事と
更新する精神力を少し失っていた事にあります。
正直、まだどうなるか自分自身でも判らない状態で
今、こうして書き込んでいます。

まず今回、これを書いて残そうと思った理由は
人の記憶が簡単にその人の中から消え去っていく事に
若干の寂しさを覚えたのと同時に自分からも
ポロポロと消えていってる事に気付いたから、です。

覚えてるうちに記録しておきたい、今後の為にも…
ただ、それだけです。

ここから文章のおかしい部分が出てくるかも知れませんが
とりあえず更新しようと思うのでお付き合いくださる方が
居ましたら宜しくお願いいします。



予兆?いや現実です。


父の会社から連絡が入ったのは今から3年前でした。

「◯◯さん(父)の様子がおかしいので一度、会社で相談したい」

家族の誰でもいいのでその話し合いに来てくれ、と言われ
母が忙しい時期だったので僕が代わりに行くことに。

向かったのは父の会社の会議室。
向こう側には人事の方二人が座り、片方はPCで記録していました。

そこで知らされたのは、その日までの父の全てでした。

「正直お父さんはここ最近はともに仕事が出来ていません」

そう人事の方が話してくれた内容は家族からしたら衝撃で
思ってる数倍早く、父の身体に異変は起きていました。

そもそも父の会社は普通の会社とは違い特殊な部類になるので
普通の会社員のような仕事とはちょっと違うのですが
本来やって欲しい仕事どころか簡単な作業すら出来ず
ただ職場で自分の席に座らせているだけだというのです。

ゴミ拾いをさせても危険を知らせる音に気付かないので
危なくてどうしてもさせられなかった。
その他の仕事も不安があって任せられない。
契約上すぐに辞めさせられず、ただ座らせていたと。

家での父はそんな自体になっている事を言わず
日々ちゃんと早朝から仕事に向かっていました。
だから普通に仕事しているのだと思っていました。
ですが実際はただ職場で座って1日を終えていた…

「病院ではっきり診断して貰う事をおすすめします」

元々昔から忘れっぽいところがある人だったので
そういうもんだと思い込んでた長年の家族としての
慣れが外から見れば違うんだと思わされた瞬間でした。


病院との戦い~忌憚なく言いますね~


何はともあれ、医者に病名や診断をして貰わないと
何を出来るのか、何をすれば良いのか?が判らないので
普段、通っている病院の神経科に予約を入れました。

消化器内科、皮膚科、耳鼻科などの王道系科目を
横目に置くへ奥へと進むと、そこだけ空気が違う。

一番奥にひっそりとある神経科だけが扉の奥に
待合室が有り、置いてある冊子や張り紙も特殊で
待ってる間も何とも言えない空気。

でも実際に呼ばれて診察室に入って先生と対面したら
空気は一変し、かなり安心して話せる感じがしました。
これは単に先生の人柄もあるのかも知れませんが。

最初は質問されてそれに本人が答えていくのですが
簡単なプロフィールや家族の事がメインでしたが
ここで父は子供3人のうち、一人だけ生年月日を思い出せず
思い出した!と言っても数年ズレていたりと引っかかりました。

そこで今度は脳の状態を詳しく検査するのと知能検査を
しっかりとすることになりました。

そして検査の結果、柔らかく話すのか?忌憚なく言うのか?を
先生はどちらが良いですか?と聞いてくれますが
はっきり言って貰わないと家族としての動きも判らないので
そこは忌憚なく全て話してくださいとお願いしました。

するとまず、若年性アルツハイマーであるのは確実だと。
それと父はそもそも頭が良くないのを若さと記憶力で
カバーしてこれまで仕事を熟してきただけだと。

それがアルツハイマーになった事で追いつけなくなり
仕事ができなくなったのではないかという事でした。

人事の方との会話も昔の作業についての話が多くて
今は変わったんですよと言い聞かせてる感じがあって
それはアルツハイマーも原因ではあるけれど…と。

そこに加えて小さな脳梗塞の跡が3つほどあるので
運動機能にも問題が出ているのでは?と言われました。

普通、この場合は飲み薬で脳の進行を抑えるのですが
父の場合は長年、糖尿病を遺伝で患っている上に
心不全もあるので飲み薬を使うことが出来ない。

ただ流れに任せて病気がじわじわ進むのを見ているしか無く。

医師は色んな可能性について話してくれたのですが
このままでは職場にも迷惑になるので辞めるしか無く
シルバー人材センターでも健康な方メインなので
父はこのまま家で治療を続けていくしか無いと言われました。

「完全介護の覚悟は出来ますか?」

その瞬間、祖父母のことが頭を過ぎりました。


介護とは~自由のない日々~


祖父母の介護は伯母がメインで見ていたのですが
どちらにも奇行や徘徊があったので僕も参加する事に。

高校生の頃は祖父や祖母が散歩に出たら伯母に連絡し
後ろをある程度まで追いかけて声をかけて家に帰す
という事を何度か繰り返していました。

その間に何度か警察のお世話になる逃走劇も有り
本人はお祭りに行っただけだとニコニコ話してるけど
探し回ってた家族からしたら気が気じゃない。

いつでも電車に乗り、バスに乗り、徘徊してしまうから
24時間気を抜く時間はなくて疲労していく。

信号の赤と青も分からなくなってしまうのか
点滅から赤に変わったそこそこ交通量のある
信号をふいに渡ろうとした事も。

それと介護には要介護度や介護保険がありますが
そこに至るには面談というものが存在します。

市や区の職員さんが本人と面談して認定するか
認定するとして何級になるのか?を決めるのですが
自分の身の回りの事を出来てしまったり会話が成立すると
どうしても厳しくなってしまうのは仕方ない事かも知れません。

どんなに脳の写真が真っ黒でシワがなかろうと萎縮しようと
風呂入れて、着替えが出来て、歯が磨けて、顔が洗えて
ご飯が食べられて人と普通に会話が成立してしまうと厳しい。

そうすると今度は要介護度も低くされてしまうので
受けられるサービスや使えるサービスも少なくなる。
例え、介護してる側が入院手術があるからと言っても
長期では預かってはくれません。
使えてもショートステイの二泊三日くらい。

普段の生活もお風呂を空焚きして壊してしまったり
当時はガスだったのですが火を付けたまま台所から離れたりと
そういう面も見ていかなくてはならない。
そこに各種病院の送り迎えもあるのだから大変ですよね。

介護、その経験値と現実と。


介護の日々を長く傍で見てきたからこそ簡単には言えませんが
何となく寝る時間さえ取れればなんとかなる!と思って。
祖父母ほどまだ進んでなかったってのも大きいですが。

結果、神経科には定期的に通って脳の状態を観察する事になりました。

が、色々出来てしまうので簡単に仕事をやめろとは言えずに
うだうだと仕事という名のただの着席に通うこと二ヶ月ほどたったある日。

朝、父がベッドに横になったまま動けなくなっていました。

痛いとも苦しいとも言わず、ただ一言…

「情ねぇなぁ…」

そう零して。

救急車を呼ぼうと電話をしたら血糖値を計ってほしい、
血圧を計ってほしい、薬や保険証の用意をして欲しい、
入院の準備をして付き添いをして欲しいと矢継ぎ早に言われ
そこで初めて色々と知らないことに気付きました。

父が全部してきたから、父がまだ一人で熟していたから
血糖値を計るなんてことすら出来なくて兄弟と共に
どうやればいいんだ?と父に聞きながら必死に計り
救急車が到着するのを待ちました。

この時に父をただひっくり返す、その動作すら出来なくて
本人が重いのもあるけれど少しズラすだけでも難しくて
介護を行う上で大事なことの基本すら出来ないなと思いました。

介護の勉強をしていた兄弟も研修ではやっていたけれど
いざ父を、となるとやはり難しかったようで。
祖父母との差や介護というものの難しさを
改めてここでも感じました。

初めて親のおむつを交換したのもこの時で動けない大人を
相手に交換するというのはとても難しいことだな、と。

今後、介護になった時に果たして僕らに出来るのか?
という疑問が湧いた瞬間でも有りました。


介護の前に緊急事態発生!!


介護の覚悟、それを考える間もなく運ばれた病院で
もう猶予がないので手術させてくださいと言われました。

心臓や肺の辺りに水が溜まっていて圧迫している
まずはそれを取り除かなければならないと。

そしてもう一つ、糖尿病の患者にとっては避けて通れない未来…

糖尿病というものには沢山の余病が有りそれが怖いんです。
ならないのが一番ですが父のように遺伝だとどうしようもなく、
何より糖尿病の人って世の中に沢山いますが避けるの難しいですよね。

その糖尿病の余病の一つに腎臓の病気がいくつかあって定期検査で
腎臓機能の数値が低いと透析の準備が徐々に始まり、
最終的には透析生活開始です。

アルツハイマーが発覚する少し前、数値が悪いので透析の前段階で
本格的に悪くなったら透析を開始しましょうと言われていました。
が、今回の緊急搬送で数値が一気に悪くなっていたので開始したいので
その手術も同時に行うということになりました。

手術をすると言う事は細かく検査しなければなりません。
この場合、透析に必要なシャント造設術には血栓の有無など
確認事項が沢山あるのでついでに全部検査してもらいました。

すると今度は肝臓に影が…しかも2つ!!そしてそこそこデカ目。

定期検査も受けてきて、会社の健康診断も受けてきて
毎月一回は血液検査をしていて過去には大腸がんを
乗り越えているのでガンのチェックをしていても
早期発見とは余っ程の幸運な人なのでしょうか?

とりあえず今は心臓や肺周りの水を抜いて透析の準備をし、
大学病院に連絡をしてがんの治療について相談しながら進める事に。
介護どころじゃない戦いがこの瞬間から始まったのでした。

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