山羊座上弦の月
2024年10月11日 3時55分ごろ 山羊座にて上弦の月となります。
天空に目立つ十字架が描かれています。
葛藤、抵抗などの激しい心の動きが、それぞれの世代がもつ「世代としてのコンプレックス」を激しく刺激するような雰囲気があります。攻撃的なエネルギーも絡み、個々人の心もかなり激しくざわつくような気配を見せていますが、忘れてはならないのは
この十字架はただの試練ではなく、その先に得られる「大いなる力」があること。
葛藤があるからといって、自分の心に向き合うこと自体を目的や目標にしてしまってはもったいないのです。社会での「世代がもつコンプレックス」を乗り越えた先にある、生き生きと躍動している具体的な姿こそが目標であり、目的は「乗り越えた先へ行く」ことです。
世代に貼られたレッテルは様々です。そのレッテルがもつマイナス面の印象さえも有効に活用して、乗り越える材料にしてしまえば、乗り越え活躍すると、世間が勝手に貼り付けた印象から「美しく脱却」することだって可能になる。そんなメッセージではないでしょうか。
世代としてのコンプレックスについて、私自身の”世代”について振り返ります。
私は、いわゆる「ゆとり世代」の一人です。
小学生の頃に「土曜日が休みになるんだ〜へえ〜」と、ただただ国の方針の教育を受けるだけの子どもでしかなかった私たちは、いざ社会に出るくらいの年齢ともなれば、いつの間にやら世間では腫れ物扱いをされているような空気感を覚え、あまりの理不尽さに激しく憤りと絶望を覚えたものです。やってられるかこんな世の中!なんて思っても、どうにかその感情に折り合いをつけて生きていくしかなかったのです。
とあるファッション誌で見かけた「我が社にゆとりがやってくるぞ!(どう対処すれば良い?)」的な見出しの記事を見て、自分の世代が社会からどんなレッテルを貼られているのかを唐突に知らされたのは鮮明に思い出せます。「お先真っ暗じゃん」という、近い将来働く自分を取り巻く人々への疑心暗鬼が生まれた瞬間かも知れません。雑誌だけでなく、テレビでも何かと「ゆとり」特集がコーナーとして設けられていた時には、とても見ていられずチャンネルを変えるか電源を落としていました。懐かしい。この年になってようやく「我々世代が社会からディスられていた期間」を笑い話にはできるものの、新しい世代に対して、自分たち世代のような思いをすることのない世界であることを願ってやみません。
社会のシステムがあるからこそ、教育を受けることができました。
しかし、それゆえに世間から不本意に印象付けられてしまうものがありました。
あらゆる世代がのびのびと生き、揚々とすごすために個人としてできることは
自分自身が豊かで、ほんとうのゆとりをまとった人であることをイメージすることなのかもしれません。
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