エゾソラ

北海道で生まれ育ち、半世紀。 道内外で様々な職種を経験しながら、今に至る。 今だからわかること 今になってもわからないこと ずっと わかっているつもりでいたこと 自分にとっての宝物に最高の価値がある。

エゾソラ

北海道で生まれ育ち、半世紀。 道内外で様々な職種を経験しながら、今に至る。 今だからわかること 今になってもわからないこと ずっと わかっているつもりでいたこと 自分にとっての宝物に最高の価値がある。

最近の記事

映画を食べる『83歳のやさしいスパイ』マイテ・アルベルディ監督作品

2020年に制作され、日本では2021年に劇場公開された『83歳のやさしいスパイ』というドキュメンタリー作品をAmazonのPrimevideoで観ました。 探偵社が80歳から90歳を対象年齢とした求人広告を新聞に載せ、選出された素人スパイが実際に老人ホームに入所し内定をするというもの。 そんな作品紹介と作品タイトルを見て、私はドキュメンタリーとは知らずに、気軽に楽しめるフィクションの娯楽作品だと思っていたんですよね。   作品が始まり、探偵社での面接やホームでの内定方法を説

    • 静かな夜

      真夜中に窓を開けてみる。ひんやりとした空気。華やかな風が肌に伝わる。聞こえてくるのは草木が風になびく音。ゆっくりと雲が流れる。僅かな雲間から光が差し、月がここにいると囁いている。 宇宙から見れば小さな惑星。大地から見れば小さな生き物。そんな小さな器の中に大きく広がるのは、あるようでないような世界。 一輪の花も、昼と夜では印象が違う。晴れの日と雨の日でも表情が違う。春と秋でも装いが違う。上から見るのと下から見るのでも佇まいか違う。けれど、どんな時でも、その一輪の花は、その一

      • 花は咲く

        「花は咲く、ただひたすらに」というのは、相田みつをさんの言葉。 決して珍しくもなく、どこにでも咲いているような花でも それぞれが、それぞれのペースで葉を広げ、 色とりどりの美しい花を誇らしげ咲かせ、それぞれの時間を謳歌している… ように見える。 私も、どこにでもいそうな人間のひとり。 多くの人から見上げられるような大きな山に登れるような力はなく 誰にでも登れそうな小さな山に登ってみては、 自分なりの誇らしい達成感を味わいながら、自分の命を咲かせている。 それでいい。いや、

        • 音楽彩色:スピッツ『ビギナー』

          初心忘るべからず。 その必要性は、忘れてしまっている頃に痛感する。 だから、初めの気持ちは 暮らしの中の目に入りやすいところに記しておくとよい。 心の中の留めやすいところに抱いておくとよい。 たとえ、初めの気持ちから変わってしまうことがあっても 思い出しやすいところに留めておくとよい。 現実的ではないと笑われてしまうような願いでもいい 行きつ戻りつを何度繰り返してもかまわない ただ素直に、正直に こんな自分でありたいとか こんな世界であってほしいとか そんな理想の景色を望

          休日詩人『一本の藁』

          彼にとっての彼女は、たぶん一本の藁だったのでしょう。 逃げ出すように飛び込んだ大海の中で しだいに深く暗くなる視界に溺れてしまいそうになったとき 海面に漂っていた一本の藁に思わず手を伸ばしてしまった というだけの、明確な意思も意図も持たない 弱き者の衝動のように。 いきなり掴まれた藁は、彼が作り出す飛沫にのまれ 彼の手の中に身を任せていたけれど 必死に藁を掴みながらもがいていた彼もいつしか 泳ぎ方を思い出し、自分自身に泳ぐ力があることを思い出し なんの意識もないままに藁を手

          休日詩人『一本の藁』

          映画を食べる:『トスカーナの贋作』アッバス・キアロスタミ監督作品

            人は、不完全な関係性の中で、どれほど本音を曝け出せるのだろう? この作品を観ながら、そんなことを考えていました。   この物語の舞台は、イタリアのトスカーナ地方。 この地で暮らす骨董品店を営むフランス人女性と、この地を著作の講演会のために訪れたイギリス人男性が出逢い、「9時までに戻らないと列車に遅れる」というタイムリミットを共有しながら、ここで結婚すると幸福になれると言われるルチニャーノという田舎町を訪れ過ごした一日だけの出来事が描かれている。 二人の初対面から感性や価値

          映画を食べる:『トスカーナの贋作』アッバス・キアロスタミ監督作品

          音楽彩色:浜田省吾『こんな夜は I MISS YOU』

            かつて誰かに知ってほしいと願った想い かつて誰かに伝えたいと口にした言葉 自分のためではなく そこにいる誰かのために そう思っていただけの言葉だったはずなのに ある時ふと その言葉を必要としていたのは 他の誰でもなく自分だったことに気づく   誰かを励ますためだった言葉も 誰かを責めるためだった言葉も 誰かを慰めるためだった言葉も そのすべてが 自分に戻ってくる瞬間があることに気づく   けれど、だからこそ 自分の心の中だけに留めておかず

          音楽彩色:浜田省吾『こんな夜は I MISS YOU』

          映画を食べる:『真実』是枝裕和監督作品

          人は、人生の中で、どれだけの嘘を本当のことのように語るのだろう? この作品を観ながら、そんなことがぼんやり頭の上に浮かんでいました。 もちろん嘘にもいろいろあって、自分の未熟さや愚かさを曝すことから逃げるための嘘もあれば、見栄や気恥ずかしさから素直になれなくての嘘もあるだろうし、誰かの心情に配慮して事実を作り変えるような嘘もある。   人間関係がなければ必要としない嘘。その嘘によって、誰かを傷つけたり、縁が切れたりすることもあれば、誰かを救ったり、縁が繋がったりすることもあ

          映画を食べる:『真実』是枝裕和監督作品

          音楽彩色:KAN『よければ一緒に』

            ひとりで暮らしていくことはできる ご飯を作ったり、洗濯をしたり、掃除をしたり   好きな時間に好きな音楽を聴いて 好きな時間に好きなテレビ番組を観て 好きな時間に散歩に出かけて 好きな時間に帰ってきて 好きな時間にお風呂に入って どれだけ長風呂したってかまわない   ひとりで旅をすることだってできる 電車に乗ったり、飛行機に乗ったり、歩いたり   行ってみたい国の行ってみたい街で 泊ってみたいホテルの泊まってみたい部屋を選んで 観てみたい景色や建物や美術品を調べて 食べて

          音楽彩色:KAN『よければ一緒に』

          休日詩人『Surrender flag』

          どうしたって、どう足掻いたって そっぽ向いたって、突っぱねたって 最後の最後は 互いの袖を引っ張り合って笑い合う 好みが違って、食べたいものが違ったって 趣味が違って、欲しいものが違ったって 最後の最後は 同じものにワクワクしながら歩いてる 変化球を投げ合って捕り損ねていたって 一方通行の紙ひこうきを飛ばして 返事がないと嘆いていたって 最後の最後は 同じ月を見上げて思い出し合ってる たとえて云うなら あなたにとってのわたしのように わたしにとってのあなたのように ど

          休日詩人『Surrender flag』

          音楽彩色:中島みゆき『たかが愛』

            望むような結末にならなかった時、 自分本位に期待をしてしまっていたことに気づく時、 何がいけなかったのだろう? どこで道を誤ってしまったのだろう?と 未来への杖を手にするつもりで振り返りながらも 結局は、別の光りへ続く道程の 足かせを増やすだけのような間違いを探してしまうことがある。   どんな時でも、その瞬間の自分にとって それが正解なのだと思い描いてきた景色のあちらこちらに 望まない色に染まってしまった花が咲いていても その彩りを纏いながら先へ

          音楽彩色:中島みゆき『たかが愛』

          休日詩人『背伸び』

          少しでも大きくなりたくて、 少しでも遠くを観たくて 私は背伸びをする。 それは、とても不安定で、 苦しくて、落ち着かない状態。 ほんとうの私を装って ほんとうの私を錯覚させて ほんとうの私を濁してる そんな姿が たくさんの鏡に映ってる 誰かの弱さを許さないのは 私の弱さを許せないから 誰かの過ちを許そうとするのは 私の過ちを許して欲しいから 背伸びをしてしまうのは 憧れという果実に手をのばして 想像で彩られた甘美を 味わいたいと願ってしまうから 何度背伸びを繰り返し

          休日詩人『背伸び』

          本を食べる:一〇三歳になってわかったこと その2~感覚~

            本の中の一節や映画の中の台詞とか、誰かが話していた言葉とかって 読んだり聞いたりしたその時だけではなく、何気ない日常の中で ふと浮かび上がってくるというのか、その言葉の意味が繋がる瞬間が ある...と思うんですよね。 なんとなく引っかかる、なんとなく大事な意味がある... ような気がしている、そんな不確かな感覚のまま、頭なのか心なのか わからないけれど、自分の中のどこかに残されていて、 その存在さえ忘れるくらいの片隅で静かにじっと眠っていたものが、 ある出来事をきっかけに

          本を食べる:一〇三歳になってわかったこと その2~感覚~

          本を食べる:一〇三歳になってわかったこと

            ある日ふと「noteを始めてみよう!」と思い立ち 『ポジシード』という投稿をしてから、あっという間の3週間。   その間、どんなことをどんな風に書いたらいいのだろう? なんてことを考えながら、日々の暮らしを過ごしていたのですが、 そんな中で、生まれて半世紀という時間が過ぎていても それなりに様々な経験を重ねていたとしても わかっているような“つもり”でいたことに気づかされたり 常識と呼ばれるものが変化していて、 ちょっとした知識や経験で導かれる答えでは現状に見合わなかった

          本を食べる:一〇三歳になってわかったこと

          ポジシード

          はじめまして   北海道で生まれ育ち半世紀。 日常の中で遭遇する出来事、感じたことなど 過去、現在、未来という時間に視点と想いを行き来させながら その時々で心に宿るものを綴って行けたらと思っています。   投稿のタイトルは『ポジシード』としました。 日々の暮らしというものは、 容易くポジティブに捉えられることばかりではないと感じているのですが、どんな出来事であっても、どんな悲しみや苦しみに倒れても 最後の最後は上を向いて起き上がりたいという願いから この出来事も「ポジティブ

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