そして知的障害を持つ子の父になる③
保育所の特別見学で、息子が明らかに集団で過ごしていくのに支障があることを完全に認識したところで、所長から声をかけられる。
後にたくさん読むことになる障害児育児系の読み物の展開だと、
「うちでは無理です」
…的なことを言われて、園を追い出され、
涙で途方に暮れることになるのですが…
そんな嫌味なことみたいなことは全く言われず、
言葉を選びながら、話をされてました。
細かい話はすっかり忘れたけど、結局は、
子供のために加配の申請どうでしょう、
とのご提案。
実際は加配という言葉は使われず、
発達が遅れている子供のためのサポートを市に申請し認められると、
息子のために先生が1人つくので、お子さんのために良いかと思います、確かそんな言い方だった。
当時の私は、加配って意味がわからければ、聞いたこともないしね。
わかりやすく言ってくれたのだろう。
ちなみに、当時息子は所長に懐いてなかったけど、
1年後には、完全に心を開きます。
朝は職員室にまず行って、所長の上に座るのが日課になるのは、また別の話。
心優しき所長でした。足を向けて眠れません。
さて、次に加配の認定を受けるために、市の教育機関の検査を受けることになるのですが、
その検査を半年ほど待たされることになります。
待たされてヤキモキしてたのは、私達夫婦だけでなく、所長もそうだったようで
あの心優しき所長が
「いつまで待たせんねん!!」
…とお怒りの電話をかけることになります。。
その直後に検査の案内が…
なんじゃそりゃ、言ったら順番回ってくるんかい!って感じでしたけど。