介護と仕事、ときどきcafe
もうすぐ定年
前職 パート銀行員
今の仕事と合わせて20年ほど 続けてきた
前職を 退職してから 家から近くのピッキング 始めて はや 8年
そうだ 私がこの仕事について すぐに 夫が脳出血で倒れたんだ
なぜその時 仕事辞めなかったか
きっと 介護に疲れ切ってしまうより 他のことに疲れ切ってしまった方が楽だと考えてたような気がする
介護と仕事 そして時々カフェ
そんな生活が 丸8年
最初のうちは 出かけることなど考えず、 病院で 泊まり込みで介護を続けた
その時は 2人で1人
気持ちは 一心同体 だったから
それから 夫のことばかり考えていては 共依存症という病気になるなと思って ちょっとだけ自分のことを考えるようになった
ひとりカフェを再開して 買い物がてらに ちょこっと パン屋さんで 無料のコーヒー飲んで 無印で100円コーヒーと 無印のお菓子をつまんだり
そのうち お気に入りのcafeみつけては家に帰りたくなくなって カフェで2時間ほど 佇んだり スーパー銭湯 で 半日 帰らなかったり
罪悪感はあるものの 頭の中が夫でいっぱいになることが少なくなった
リハビリして、また元の夫に戻れるかもと期待するが、8年期待しても無理だと、諦めたくもなるよ
諦めた方が楽だから
何でもやってあげることは簡単だけど、そんなことしてると人生の坂道がジェットコースターのごとく急降下しそうで、できる限り自分のことは自分でと言いまくってきた
夫はといえば 倒れてから 病院 →リハビリ病院→退院 のち2年ほどは旅行も行っていた
コロナになって どこへも 出かけられなくなった頃から 、夫は 歩くのもおぼつかなくなって 今では寝たり起きたりの毎日
夫の生活を例えるなら お寿司とテレビ 時々リハビリ の毎日である
楽しいことなくてかわいそうとも思ったけどオリンピックはめちゃテンション上がってたし、甲子園も大谷も中日も野球は逃さず見てる
お寿司だって大好きで、最近は「あー美味しかった」って作ったご飯褒めてくれる
なげやりだった人生に、少しだけ楽しいことみつけてるから、リハビリがんばれなくてもデーサービス行ってくれなくてもいいことにしたよ
やっとわかった
主治医が言った「ご主人の病気はご主人が治すのですよ」の意味
良くも悪くも「夫の人生は夫が決める」だったのだ