冬になってとうとう 11日もお風呂に入らなくなった夫 10日 入らなくたって人間は死なないこと 、もう経験上 わかっている でも、とうとうそれを更新してしまった 8年前に倒れた夫が年々悪くなっているのは必至 でも どうしても入ってもらいたくってきつい口調で 「ケアマネさんに言うからね そんなにいやなら、デイサービスでお風呂入ってもらうからね デイサービス 行ってもらうからね」 そう言うと夫は「お母さんも敵だね」と言った えっ 敵って誰のこと? ケアマネさんのこと? あんな
こんなところまでくるとは 町内の外れも外れ わたしは車でぐるぐる回っていた それは朝の9時半 ゴミ出すの忘れた 車で 町内ゴミ収集場所まで走る そこにはもう ゴミはなかった ここのゴミ収集場所は終わったら次はもう少し 南に行ったところだ 車で追いかけるがそこにもゴミはなかった 残念 隣の町まで行くか、明日なら必ず隣町には同じゴミが出てるはず いや 明日忘れたら最悪だ グルグル 頭を巡らせながら 私はついに 1キロ以上走った大通りで、ゴミ収集車を見
いつもちっちゃなスマホの画面で 仮想旅行 してる Google マップから 行きたいとこ見つけて ついでにその周りの素敵なカフェ 見つけて ドライブの行き方検索して 今回はその中で見つけた 岐阜県多治見市、さかづき美術館の中庭で開催される、手作りマーケットとワークショップに出かける 車で行くと 1時間足らず で、一人でも行ける 朝 夫を散歩に誘う 分かっていたことだけど 相変わらず「今日は無理」と 断られる わたしは「じゃあ 行ってくるね」と出掛けてしまう 山の景色を
空が 秋色になってきた まるで 海のよう 流氷のような鱗雲が 堂々と流れていく ほっとする時間は短い すぐに身を縮めて 背中を丸くして歩くようになることだろう 私は それまで自由 に振る舞う
介護しているわたしが眠りについたら朝そのまま目覚めないといいななんて言って心配かけて ごめんなさい みんなに優しい言葉をかけてもらって 気にしてもらって 自分って 《隠れかまってちゃん》 だなあと へこんでる 夫が倒れて8年 退院してからは2年ほど会社にも行ってたから 退職して その夫が体調が悪くなってからは まるっと 5年経ってる まだまだ先は長いのに もう十分よ 眠りに着いたら もう起きたくないわよ なんて 甘ったるいこと言っている 誰かに心配してもらって声かけ
夜寝る前に、朝になって、目が覚めなかったらいいなあ 最近よく思うこと 今は、8年前に倒れた夫を介護している これからもっと大変になるであろう状況に、そう思ってしまうのかなあ 歳のせいか、ここ2、3年は寝つきが悪い 布団に入っても、2時間も寝つけず、果ては、夜中にスマホを手にしてしまう または夜中2時頃トイレに起きると、もう目が冴えてしまって、眠りの続きをと必死になる 気づくと新聞配達のバイクの音 あーあ、今日も寝不足決定と、がっかりするのだった いつ医者でよく寝つけ
ここ毎日が忙しくって 夫にお昼を用意してすぐ出かけちゃう 私 そんなことしてたら 私が 疲れ果てて 日曜日は1日中 家にいた 夫のことをチラチラと見ていると 8時に目は覚めるが寝室でテレビ見て 朝の10時に起きてきてシリアルとヨーグルトの朝食 散歩もいかず お昼にガッツリお酒飲んで ガッツリご飯食べて 3時頃、居間で横になる 夜 7時過ぎに起き上がって 「夕食 は お腹すかないから 野菜ジュースだけ」 って言っている そして寝るのが夜中の2時 その間、テレビは朝8
NHKで始まったドラマ 「団地のふたり」 小泉今日子と 小林聡美、 2人の掛け合いがリアルで 楽しい 同じ時代を生きてたからかな 今回は 名取裕子が 「自分の人生の主役は自分よ」って言った言葉が忘れられない 自分の人生は どうだったのか 長いこと 自分は脇役で過ごしてきた 人の前にも立たず 後ろにも立たず ちょっと横に寄って影に隠れる 中学の頃 体育館の ちょっとした 隙間に 光が差し込んでいた その頃は誰も気づかないその光の先に じっと うずくまっていたかった
いよいよ歩けなくなってきて、毎週リハビリにきてくれる理学療法士さんが必死になってもっと動くように、外に出るように声かけしてくれている しかし、夫は今までの生活から抜け出せないでいる 体がだるい!腰が痛いと言って、午前中は座ったまま、午後はテレビつけたまま居間で横になって寝てる 今日はリハビリの日、理学療法士さんと散歩に出掛けたが電信柱一本分(30メートルほど)三件向こうの家でUタウンして帰ってきた 「足腰痛いなら病院か整体か行ってみたら、そのままでは直らないよ」と言って
お風呂が壊れて 洗面台が壊れて トイレのウォシュレットが壊れて 長いこと そのまま使ってた 夫が倒れて8年 いや 9年目 今でも 外にも出られなくなって家の中で 寝たり座ったり どんどん悪くなっていく夫を見ているのがつらかった どうせ 水回り直すなら、 車椅子仕様にしようと思って 業者さん 三 社 に見積もり とって 業者を決める 段階に来て 、夫は 「俺を 車椅子 生活にするつもりか 」と言い出した 「車椅子 車椅子 ってうるさい」 とも言っている でも 今の
夫が倒れて早9年目になろうとしている今、わたしはあの頃を思い出している 8年前の秋のこと、脳出血で倒れた夫は公立病院で1ヶ月が過ぎ、次のリハビリ病院をと言われた 自分なりに調べると、市内ながら車で30分近くの山に近いところに、リハビリ病院はあった 病院と言っても 公立市民病院などとは違って、介護施設でいう小規模多機能型居宅施設というところだ 建物は食堂とリハビリ施設を備え、その周りを大部屋、個室がつらなる家庭的な病院だった 夫は、三時頃までは自主トレも含めリハビリに精
ちょっとだけノートのスキ♥️が増えることが嬉しかった 私の文章をちょっぴり 褒めてくれる感じが 嬉しかった ここ一週間で嵐のようにフォロワーさんが増えてありがたいスキスキ攻撃を受けた フォローと フォロワーさんの 比率が どうしてこうなるのか考え込んでいる今日この頃 知らない間に私は 好きをもらった人にフォローを渡して 少しだけいい気になってた ちょっと心を引き締めて 初心 に返ろうと思う 自分の文章が 良かったなんて思うのはよそう 目に止めてくれてありがたい程度にし
リハビリの人って 根気いいな 訪問リハビリの理学療法士さんが 散歩に行ってくださいね と言われても 行かない夫に 少しでも外に出かけるように声をかけてくれる 「リハビリになるから、庭に出て野菜に水をやったり、収穫したりしたらどうですか」 なんて優しく優しく言ってくれる キッチンで聞いているわたしは (ないない そんなこと、ぜったいないから)と心の中で失笑してしまった 夫は元気な時も 庭には絶対出なかった 蚊に刺されるとか虫がいるとか このジャングルみたいな庭、なんと
中秋の名月をめでに、公園の小高い丘の上にいる 仕事が終わって、先に来ている友だち4人と合流したのが18:20 もう月は地平線の上で 月が地平線から顔を出すのが見たかったな 友だちに聞くと、まだ明るい時間に出始めたので、白い月が上がってきたとのこと わたしが着いた頃には、黄色に染まり 西の空には夕焼けが、東の空には月が顔を出して幻想的な中秋の名月だった 今年は満月が一日ずれてるのが少しだけ残念だけど、月は雲に掛かることなくわたしたちの前で微笑みかけている 出たばかりの月
(ことりっぷ投稿) #わたしのこだわり旅 Withことりっぷ 今年はインバウンドで京都が賑わっている 足を踏み入れるには ちょっと 大変そうだが 12月も過ぎて 紅葉の葉っぱが落ちようとする頃 にメジャーじゃないところ を選べば 大丈夫 新幹線で 名古屋から京都まで 最寄りの駅から 京都 新幹線 自由席 往復を買って 名古屋駅で どれに乗ろうか考える 10分もたたずに次からつぎにくる新幹線は自由席ならどれに乗っても大丈夫 絶対 座れるのに乗って 1時間もかからずに 京都
もうすぐ定年 前職 パート銀行員 今の仕事と合わせて20年ほど 続けてきた 前職を 退職してから 家から近くのピッキング 始めて はや 8年 そうだ 私がこの仕事について すぐに 夫が脳出血で倒れたんだ なぜその時 仕事辞めなかったか きっと 介護に疲れ切ってしまうより 他のことに疲れ切ってしまった方が楽だと考えてたような気がする 介護と仕事 そして時々カフェ そんな生活が 丸8年 最初のうちは 出かけることなど考えず、 病院で 泊まり込みで介護を続けた その時は 2