個性的な回復期リハビリ病院を退院して
夫が倒れて早9年目になろうとしている今、わたしはあの頃を思い出している
8年前の秋のこと、脳出血で倒れた夫は公立病院で1ヶ月が過ぎ、次のリハビリ病院をと言われた
自分なりに調べると、市内ながら車で30分近くの山に近いところに、リハビリ病院はあった
病院と言っても 公立市民病院などとは違って、介護施設でいう小規模多機能型居宅施設というところだ
建物は食堂とリハビリ施設を備え、その周りを大部屋、個室がつらなる家庭的な病院だった
夫は、三時頃までは自主トレも含めリハビリに精を出して、そのあとは食堂でテレビをみたり皆が集まり、部屋にはあまり居なかったおぼえがある
年間行事も多く、月一でカラオケ大会も行われる
入院患者さんの多くが、食堂で楽しそうに団欒しているのをよく見かけた
とにかく夫はそこで楽しそうにやっていた
それが証拠にもうそろそろ退院してくださいといわれるまで、6か月もいたのだから
何でも思ったら徹底してやる性格の夫、公立病院で病院食の他にはなにも食べないでと言われると、本当におやつも大好きなお寿司も口にせず、三食出される食事のほかには無糖のコーヒーのみ
リハビリも半端ない
食事と計画的なリハビリや散歩のほかにも、暇さえあれば自主トレしていた夫
食事制限とリハビリの量にみるみる痩せていった夫を思い出す
まあ太りすぎで血圧高くなって血管切れたと思うと、ここで減量できたのはいいことだったけど
とにかくここの病院界隈は坂道も多く、リハビリのための散歩もハードだ
病院の評判は「誰でも歩けるようになる」とクチコミで書かれていた
夫はカレンダーに介護福祉士の「○○ちゃんとデート」って書くくらい楽しみにしてた
なんといっても、大部屋の3人は仲が良く、切磋琢磨して、リハビリにも精を出した
わたしはその頃、同室のリハビリ仲間と食堂で楽しそうに笑う夫を尻目に、暗い夜道をとぼとぼと帰った記憶が忘れられない
退院してはや9年目を迎えた夫は、今だにリハビリ仲間との毎日のメールは、欠かさない
そんな仲間と夫の現在はというと、夫は麻痺はあるものの、急に手が震えるが、固まることなく多少は動かせる
しかし、脳出血の後遺症か、体調不良で散歩も、外食も、モーニングコーヒーも行きたがらない、いやいけない状態で、寝たり起きたりだ
片や、毎日のメールの相手、リハビリ仲間は痙縮があり片手は固定され、歩行にも補助具は必要な状態
しかしながら、毎日の散歩は欠かさず、今ではひとりで電車にも乗って出かける
この差は一体どうしたものか
回復期後(リハビリ病院退院後)の、維持期(生活期)の個人差は大きい
この差は、体の機能の回復だけではないような気がしてならない
リハビリが最善の治療と思うわたしは、脅したりなだめたりしながらもリハビリを促すが、先日、主治医に「子供が宿題をやれやれと言われたらやりたくないのと同じで、少しほっといたらどうですか」と言われてしまう始末
夫はあのとき(入院時)みたいなリハビリは、もう出来ないと言う
自分はというと、
今、反対に自由になった
一緒に外出しないなら行ってくるねと言って出掛けてしまうから
自分ファーストに暮らしはじめているから