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ワタシは宇宙人 「吸われる眼鏡、病みつきな娘」 #34

2003年、1月中旬。

検査の結果、他に臓器への合併症が見られない事が分かり、いよいよ手術を迎える。

手術は角膜の横から切開し、濁った水晶体と硝子体前部を摘出するとのことだ。

大人の場合の白内障の手術は眼内レンズを挿入することで術後すぐ綺麗に見えるようになる。

しかし乳幼児の場合、眼球や神経がまだ未発達のため眼内レンズを挿入することは出来ず、術後は弱視訓練や、コンタクトレンズと眼鏡による視力矯正を根気強く続けていかなければならない。


いよいよ娘は手術室に運ばれていく。

とにかく、無事に手術が終わる事だけを祈るしかなかった。

終了予定の2時間をとっくに過ぎ、「何か異常があったのでは無いか」と不安になり、いても立ってもいられなくなる。

そんな中、看護師さんが長椅子の前でウロウロするわたし達を見つけ呼ぶ。手術は無事に終わり、娘は別の出口から病室に戻ったとのことだった。


急いで病室へと向かった。


病室へ入ると看護師さんのそばで、娘は麻酔から目を覚まして弱々しく泣いていた。


そこには想像を超えた姿の娘がいた。


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目には保護カバーが付けられ、ウルトラマンに変身していた。

そばで見ると目蓋はぷっくりと腫れあがり、白目は血の色に真っ赤に充血していた。とても痛ましい姿だった。

無事に手術も終わり、全力を尽くしてくれた先生に本当に感謝した。あとは自分たちが出来ることをやるだけだ。

入院して10日後、無事に退院する。

目の傷が良くなれば、いよいよ視力矯正と弱視訓練が始まる。ここから目の成長が止まるまでの10年間は視力を伸ばすための戦いが続くことになるのだ。まだ道は始まったばかりだ。

娘は生後4ヶ月でコンタクトレンズを入れる生活になった。補強のためにピンクの分厚いメガネもかけた。

それから数ヶ月後。

ピンクの眼鏡はいつもおしゃぶりと化して、娘が「チュッチュッ」と音を立てて吸い付いている。


どこかから

チュッチュッチュッ

と眼鏡の悲鳴が聞こえた時は、すでに眼鏡は悲惨な状態になっている。ヨダレでびっしょりで、もはや眼鏡の仕事をしていない。

代わりにおしゃぶりを与えても「ペッ」と吐き出し、眼鏡をしゃぶるのだ。

眼鏡を掛けては吸われ、掛けては吸われと毎日毎日いたちごっこだった。


ただ手術をしてから確実に変化は起きていた。相変わらず酷い斜視だったが、モノを目で追うようになった。

さらに嬉しいことに、わたしの顔や家族の顔をハッキリ認識し出したのだ。それはわたし達家族に大きな大きな希望を与えてくれた。

わたしは目の神経に成長や刺激を与えるために、何となく直感で「赤や黄色いモノ」をよく見せるようにした。

そして娘が寝ている時は、目に手を当てて温めるようにした。

1歳の息子はいつも娘の顔にキスをしてくれた。


娘はたくさん刺激とパワーをもらいながら1日1日と成長していく。


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