地球人でなかった私は、ある日宇宙人になった。
あけましておめでとう、旧年中はいろんな方にお世話になりっぱなしでございました。各関係者の方には頭が上がりません。
どの方面の、関係者にも。
今回企画にお誘いいただきました、鎌倉屋トルテさんに、お礼申し上げます。
さて、という訳でまぁこの世界には色々顔を持つ人間というのは居るものである。私もそうで、さまざまな画面を持っている。いくつか挙げられる姿を述べていくなら同人誌書きのりんたろう。現実世界で何かに立ち向かっている⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎。そして、Vライバーとして配信しているりんたろう。うん、びっくりした人もいると思う。同人誌ずっと書いてたことも、Vライバーしてた私がいることも、どちらかに対して驚いてる人はいると思う。そこについてはなんとなく察して欲しい。そこに踏み込みつつゆっくりと迫っていくのが私の今回の記事であるからだ。
まず、Vとは何か。Vの姿とは、私に取って何か(そもそもVtuber、Vライバーについては各自検索していただきたい)。それは肉体を全て失った後に残る「何か」を描き留めた自画像だ。その視点で見てみよう。あるVはアイドルを目指す活動のVであるし、あるVは吸血鬼。あるVは……美少女だ。そして私は宇宙人の姿で配信を行う仮面を持っている。しかしそれぞれの自画像たるV達には失う前の肉体が抱えていた情報と異なる属性が付与されている部分と、同じ属性が付与されている部分がある。
案外、自由に姿や声を変えたところで、自分は自分自身でしかなく、逆に自分は自分でしかなくとも、全くの新しい姿と声が人生を開く事もある。
この辺りで一度警告をしておこう。これは私個人の見解であり、統計に基づくものでもなく、そして最もここが大事だこれだけは覚えた上でTwitterで拡散するなりなんなりしてくれ……「善悪については語っていない」ということだ。中には、Vの持つ魂について語ることを忌避する文化もある事は重々承知している。ここで、強い危険察知のセンサーが働いたならば、今回はここで引き返して欲しい。本当に、申し訳ない。
私のVとしての姿。耳を四つ持つ宇宙人。地球人ではない宇宙人。そう、「地球人ではない」のだ。私の魂の中にある根源的な部分。現実に立ち向かう私の最も古い記憶に「幼稚園の実習授業として、玉ねぎの収穫を行う」というものがあった。その時に、先生の指示の読み取りの違いで私だけ早く引き抜いてしまって、その時に「私は皆と一緒ではないんだ」という感覚を強く覚えた。決して私は特別だと思ったりはしなかった、私は皆とは異質なもので、そのことを知られてしまえば私はこの周りと同じ群れには居られない。そう感じていた。そして逆に、この中に私と同じ気持ちを抱えている者もいる事がなんとなくわかってきた。私の母はそれを「周波数があって、何故か見分けて連れてくる」と表現していたが、その通り、彼らは皆「地球人の中に紛れた、異質な人」だった。
私は彼らの行動様式を「異星人の文化研究調査」として見始めた。結果よりも姿勢、科学的な考証よりも感情的な共感を優先し、結束し、時には束縛し、その癖をしてその群の掟の中で生きることに疲弊し、苦悩する。その姿は、私には「異星人の文化様式」に他ならなかった。もちろん、社会に不適応だったのは私の方で、この話に「分かる」と思ったあなたは半ば宇宙人でもある様に思うが……とにかく、私は地球人ではないんだ、と感じていった。
そして昨年、配信アプリ「IRIAM」に出会った。そこでぼちぼちと配信をしたり、配信を休んだり、配信を見に行ったりしている。その時にあるイラストレーターに頼んだ自分自身の姿は「宇宙人」であった。
私の魂をスケッチした姿がその宇宙人の姿にあたる。私は地球の事を知りたいし、地球人と地球人式に関わっていきたいと思う。人と上手く関われない事への感覚を強調したスケッチだ。そのスケッチを通じて会話する時、私は社会の群衆を、「謎の行動様式を持つ地球人を憧れながらも一体化はできず、その姿を少し離れた場所から見つめている」姿に変わる事が出来る。むしろ自分を真っ直ぐに見つめさせられている気分になる。
今や、人間は好きな姿で生きて構わないのだ。嫌いな姿で生きる必要などないのだ。ああ、Twitterのアイコンを何かに設定しているなら、いや「何も設定しない状態を設定している」事も含め、Twitterでも人間は各々好きな姿で生きている。この時代、それが当たり前なのだ。
Vとは、彼ら彼女らの魂の自画像だ。姿も、思想も、時に声も。
Vたちは、魂の自画像だ。むろん私も。
いつか、全人類が魂の自画像、アバターを持って電子空間で交流する日が来る。私はその時に、地球人は肌の色の違いを、性別、血脈の違いを無視する第一歩を踏み出すのではないかと思っている。地球人は、目に見える違いさえあればそれに優劣をつけてきた。そして目に見えない違いである思想の差が今よりはっきりとした壁になるのではないだろうか。
私は宇宙人として彼らをただ違いを持つものとして見ていた。現実の世界より幾分彼らは真実を語って見えた。
私は一歩引いて自分の視界を見ている。私という地球人の視界を、宇宙人が内側から覗いている。
その窮屈で二度手間な視点を取り除く手段が、「宇宙人の姿を取る」ということだ。
案外、宇宙人はそばにいる。
宇宙人は、君の奇妙な儀式を見ている。
そんなまだ現実と微妙に地続きで在れていないのが、在らなくていいのがVの世界なんじゃないかと思います。
本記事は企画 #noteで語るIRIAM生活 のため書き下ろされました。
【#noteで語るIRIAM生活】
noteのお題タグを活用した、note記事投稿企画です!
年末年始に日替わりで投稿されるIRIAMライバーの紡ぐ多彩なnoteで、私達をもっと知っていきませんか?
期間:2021年12月29日~2022年1月8日
場所:各ライバーのnoteアカウントにて
Nextメンバー:夢乃ほのか