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母と、父と、妹と。私は今でもボドゲが好きだ。

下書きを見て、投稿しないまま残っていた記事を見つけたので供養も兼ねて投稿したいと思います。

今回「親子で楽しめるゲーム」の応募が目に留まり、記事を執筆しております、小津りんたろうと申します。普段は文字を書き、文字を読み、紅茶とコーヒーを飲みながら暮らしています。
今は一人暮らしですが、リビングにはボードゲーム(その多くは二人用)の詰まった棚がある、いわゆる「ボードゲーム好き」でもあります。
そんな私は、父と母、そして3歳と10ヶ月離れた妹の四人家族で育ちました。週末の夜には、家族四人でボードゲームをして過ごす「英才教育」の時間でした。母は、ボードゲームを教育の一環として私と妹に与えていました。その事を通じ、この記事では親子で楽しめるゲーム、ひいては親子でゲームを楽しむことは子にとってどう感じられたか、私はどう育ったか。そしてその上で、どのようなボードゲームが改めておすすめなのか、筆を手に取りたいと思います。このような成り行きのため、登場するボードゲームが20年~10年前からのものであり、終売など含め少々古臭い事を、お許しください。それでは自己紹介が済んだところで、もう暫しお付き合い願います。

3歳、ボードゲームで「遊ぶこと」に出会う。
私がボードゲームに触れ合うきっかけは、教育熱心な母が「ゲーム脳」ブームに端を発する反デジタルゲームの潮流を受けたことにあります。今でこそ様々な反論が挙がる「ゲーム脳」ですが、当時は育児・教育の観点から圧倒的な支持を得た教育論の一つでした。ゲームボーイ(携帯ゲーム機です、当時は何と白黒!)は一日一時間の約束の家庭に、コミュニケーションを育成する狙いを含め、母は3歳の私に『クイップス』『スティッキー』などいくつかのボードゲームを与えました。一人遊びを好み、外遊びには興味を示さず、内向的だったことを心配した面もあったのかもしれません。幼児向けボードゲームと同時に、ビー玉を転がす積み木「スカリーノ」「クーゲルバーン」(積み木だけで作れるピタゴラスイッチをイメージしてください)も与えられていましたから(今見るととんでもない価格です)、内向性についても否定的ではなく、外向的な面を伸ばしたかったのでしょう。

6歳、ボードゲームで「負けること」を知る。
与えられたボードゲームの中で育てられたものはいくつかありました。
「自分のターンを待つ」、他の子の番では口を出さずにしっかりと待つこと。これは4歳時点で身に着けていた様に思います。
「自分が勝った時、相手を思いやること」目の前には敗者が居ます、そのことをけなさず、一緒にプレイできたからこそ楽しめた事を感謝する気持ち。
「自分が負けた時、相手を讃えること」目の前には、自分を打ち負かした憎き勝者が居ます。そのことに向き合い、相手を認め、白熱したゲーム体験は共に作り上げられたことを称賛する気持ち。
正直、最後が一番難しかった。負けると癇癪を起したくなり、敗北を認められない気持ちをコントロールすることは容易ではありません。そこでボードゲームから気持ちが離れないように「プレイヤー全員の勝利」または「ゲームシステムにプレイヤー全員が敗北する」、協力型ボードゲームを与えられた程です。(我が家では『果樹園ゲーム』でした、リンク参照。今思えばこれも当時の6歳にはとんでもない価格で、執筆しながら親の偉大さに打ち震えています)

10歳、ボードゲームで「負けること」を理解し、認める。
その後、私は「ガイスター」「スコットランドヤード」、そして王道「カタン」を10歳で家族で遊び始めることになります。同時に初代DSが大流行し、私も誕生日に買ってもらいました。この時もまだ、1日1時間の制限で、「ゲーム」と言えばボードゲームでした。
前述の「スカリーノ」たちを手放したのもこの時期だったでしょうか。飽きるまでに、結果7年を要する、難解な積み木でした。
そしてこの頃には勝っても負けても、なんとかその気持ちをコントロールすることができ、故に失ったものの兆候があらわれたように思います。
「負けた悔しさをバネにする力」、これが私からはゆっくりと抜け落ちていきました。『ゲームとは勝ち負けではなく楽しんだものの勝利だ』素晴らしい言葉に聞こえますが、その過程で私は「皆が熱中する流行の中で勝者になれなくとも、自分の望む道を行けばいい」という思想を身に着けていきます。最も顕著に感じるのはオンラインの対人ゲームを遊ぶ時です、私は未だにそれらに長期的に高い熱量を注ぐことが出来ません。私は、短期的競争に執着することが出来なくなり、長期的な収穫を見据える様になります。10歳にしてこの考えが本当に芽生えていたとするなら、本当に気味の悪い話です。それは子供には手に余る模様で彩られた、狂気のサイコロだったと、私は思います。

13歳、ボードゲームで「楽しむこと」を知る。
当時から、私は流行から取り残される事を恐れませんでした……いえ、流行に興味など無くなり、自分の楽しみを追求するようになりました。
中学入学を迎え、流行の輪の中には入らず、気の合う大切な友人数人とだけ交流を深めました。この頃の友人たちとは10年を超えて今も(時にはボードゲームを持ち寄って)親交を温めています。また、この頃からライトノベル、深夜アニメにはまり込み、当時まだ差別的な目で見られていた「ヲタク」となったのでした。いえ、中学生で「カタン」を楽しんでいれば十分にヲタクだったでしょう。ボードゲームはまだ、一部の大学生以上の年齢で楽しまれるもので、中学生、高校生が触れるものではありませんでした。

16歳、ボードゲームで「楽しむこと」を理解する。
特殊すぎる環境で育つものは、特殊すぎる思想でしかありません。社会のレールの上を行かない人間の、出来上がりです。いえ、行けない人間、が正しいでしょうか。私が理解したのは「楽しんで生きる」事でした。配られたカードから行動を自分で選択し、その戦略を実行し、楽しみ、勝利も敗北も飲み込むことでした。
思春期を境に、私の人生は大きく社会のレールを逸れてゆきました。
その後については割愛しますが、今では一人デスクに向かい、文字を書いては文字を読み、起業に挑戦し軌道に乗せるべく奔走する生活です。私はこの暮らしを気に入っていますが、「ゲーム脳」を煽った人々はここまでの想像が及んでいたでしょうか。今では知る余地もありません。
ただ、今の私があるのは、多くのボードゲーム達のおかげです。

当時の私が本当に楽しかったボードゲーム
それでは皆さんお待ちかねですね、ここまでの記事から、ボードゲームの持つ「魔力」とも言える力強い魅力を感じて頂けるでしょうか? 少し怖いと感じたでしょうか? どちらにせよ、私が当時本当に楽しいと感じたボードゲームを紹介したいと思います。

幼少期(3~6歳)

最後に、ボードゲームが教えてくれたこと。
ボードゲームが私の中に育てたものは、「思考力」「決断力」そして「自分の人生に納得する能力」です。勝利も敗北も引き分けも、何をどうしたって変えられない環境、運、サイコロの出目、手札の中身から、自分が今何を選び、何を捨て、どうすることが自分にとって最も納得のいくことなのか、私はボードゲームを通じて教わったように思います。ここまで読まれた方なら察された方もいらっしゃるかもしれませんが、私の親は経済的な面からかなりの割合を教育に費やし、私をここまで育ててくれました。そうして授かった能力は今、私にこの記事を書かせています。

ちょっとした蛇足
さて、ここまでの記事に全くと言っていいほど登場しなかった妹ですが、彼女は中学校入学当時の偏差値35から大学入学の偏差値55まで引き上げ、大学では中国語と英語を学び、1年の海外留学の経験を経て、現在は会社員として働いています。同じ環境で育ちながらも、全く違う実りを見せた彼女は、両親のボードゲーム教育から、どんなことを学び取ったのでしょうか。私には、想像もつきません。

追記2023.07.11
この記事は半ば「ボードゲームで育てる」事に対する恨みや、憤りを元に書いていて、書いていくうちに親の偉大さに触れ、どうしたものかと思いながら結局お蔵入りにしたのでした。

ここから先は私のボドゲ代を少しでも支援したい、この記事にとても助けられた、という方へのお礼のみとなっており、本文は以上となります。

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