2024年3月号ウルトラジャンプ掲載特別読切「個展」に寄せて
お久しぶりの投稿となります。りんたろうです。今回の記事はタイトルの通り円満 堂氏による二回目の読み切り「個展」についての感想記事となります。今回も多くのネタバレを含む記事となります。また、とある事情により、未読で本記事を読むことはあなたと同作品への致命的な損失を生み出す可能性が高いため、まずは本編をお楽しみ下さい。各種リンクを貼り、ネタバレ回避とさせていただきます。
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前回の読み切りのツイートのリンクはこちら
また、それに伴う私の感想記事のリンクも載せさせていただきます。
https://note.com/soptrd19417428/n/n9e790a7b600c?sub_rt=share_pw
さて、ネタバレ回避の紙面埋めはこのくらいにしておきましょう。
進化した「異彩」そして「鬼才」。
本作の主要人物にゴッホの複製画家である男、「お兄ちゃん」が登場する。まず1コマ目からゴッホの「荒れ模様の空の麦畑」のオマージュである一軒家の風景からスタートする。また、4コマ目は「寝室」または「アルルの寝室」の別アングルだ。そう、この漫画、背景ほとんどが全てゴッホ作品のオマージュを手書きしたものである。また二人のお兄ちゃんたちが登場するシーンにおいてほとんどが「お兄ちゃんA」を中心に歪んだパースを描いており、パースの歪みが大きい位置に「お兄ちゃんB」が居る。どちらが優勢な状態の存在であるか、を感じさせる。この時点で円満氏の異常なこだわりと、熱意が伝わってくる。また、人物の表現も雑誌向けに大きく見やすくなったタッチとなっており、一作目から大きく漫画向けの画力を進化させている。背景の一見してとっつきにくい雰囲気とは異なり、イマジナリーラインも考慮した構図、コマ割りにより、印章よりもすっきりと読める。
鍵となる「背景のパース」そして「眼鏡」
二人の「お兄ちゃん」が掃除を終えたシーンで、相対する「お兄ちゃんたち」の中心に背景パースの中心点が二人の間に置かれている。この後の行動から、「お兄ちゃんB」の行動が優勢となるその転換点なのではないか。
またしても背景で力関係の入れ替わりを違和感なく読者に送り込んでいるのだ。
また、眼鏡をかけた「お兄ちゃんA」は複製画家として「生きるために絵を描いている者」として様子が強い。対比する様に眼鏡のない「お兄ちゃんB」は「絵を描くために生きている者」スタンスだ。物語序盤では優位性を持ち続けた「お兄ちゃんA」は分身との和解後、二人で絵を描き、左右で明度差のあるゴッホの星月夜を描く。その最中、ストレートに描かれる「お兄ちゃんB」という存在に対し、窓ガラスに反射する「お兄ちゃんA」という存在が並んでいる。そう、眼鏡越しに世界を見ていた彼は、ゆっくりと消え、眼鏡をかけていない状態の「お兄ちゃんB」、つまり「本物の僕」に彼の未来を託してゆくのだ。
そして、またしても僕たちは滑らかな環のように二週目を読み始める。
そして明かされる「個展」の意味。ここで二週目に入る読者は多かったことだろう。さて、私はここまであえて第三の人物「テオ」には触れてこなかった。その意味について触れる楽しみは二週目を楽しむ読者のためのものだ。
ポイントとなるのは「テオの年齢」「テオの影」「テオが触れているもの」だ。ここに注目して再び作品に目を通していただけるとより一層の発見があるだろう。
それでは再びお楽しみください。
私は先ほど「生きるために絵を描いている」「絵を描くために生きている」と二つの表現にて「お兄ちゃんA」、「お兄ちゃんB」をそれぞれ表現した。ここまでの記事中の「お兄ちゃんA」、「お兄ちゃんB」をそれぞれ「生きるために絵を描いている者」「絵を描くために生きている者」に置き換えて読んでみて欲しい。作品「個展」にははるかに及ばないやり方では、あるものの。
そして最後に、円満堂氏に。
今回の読み切り、本当に素晴らしいものでした。私の一番の感想は「やりやがった!」でした。小説においてしばしば用いられる叙述トリックを漫画という形で表現するとは、恐ろしい人だ。しかもサブテーマとして「何のために創作をするのか」というテーマが提起されており、最近「好きではないが適性があり、穏やかに楽しく創作できている」私に、非常にタイムリーに刺さったのだ。発売から一日たった今でも読み返してしまうが、そのたびに傷つけられてしまう。こんなものを、漫画家の登竜門である読み切りで展開するとは、別の意味でも恐ろしい人だ。しかも、それを二回も読まされることになる。私は悔しい。そして、友人として本当に誇らしく思っています。前作と合わせ、何らかの形で単行本化されないかな、等とひそかに願っております。単行本にするにはあと1本または2本ほどの短編を要すると思いますので……新たな楽しみとなれば、私としては万々歳です。
また、円満堂氏並びに編集、印刷、流通、販売まで、この作品を届けるために協力してくれた全ての方々に、心からお礼申し上げます。皆様の助力なしにはこの作品は私の手元には届きませんでした。本当にありがとうございます。
いつもはこの後に寄付のお知らせを記事に付けているのですが、今回はいつものエッセイとは趣向が異なるため、ここで記事を締めさせていただきます。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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