私とルートビア、あるいは嫌いなものと、どう向き合うか。
私とルートビア
私が、初めてルートビアを飲んだのはいつの頃だったろうか。恐らくは16とか、その辺りで、当時は「うわなにこれ」と思ったものだ。一緒に飲んだ仲間も誰一人、美味しくは飲めていなかっただろう。ドクターペッパーについても同様だ。それ以来、私はルートビアと上手く付き合えては居ない。それが私とルートビアの関係だ。
ルートビアは口に合わない
シップのような風味(日本でのあだ名が既に「飲むサロンパス」だ)になぜか炭酸、調合されているスパイスも、かなり独特で、コーラに並ぶ系統のスパイス混合系炭酸飲料なのは分かるが、この混合はかなり独特であり、しっかりとした燻製などと合わせなければ楽しむのは難しいだろう。そういった意味ではハンバーガーチェーン「A&W」においては欠かせない存在なのかもしれない。
また、ルート「ビア」ということはジンジャー「エール」と同様、古き時代の代用ノンアルコールビールなのかもしれない。と、思っていたが、Wikipediaによるとスパイスの根(=ルート)を用いた低アルコール醸造ドリンクとのこと。
そしてこのルートビア、未だに私の口には合わない。一缶を飲み切る頃には、その一缶に代金を支払ったことを半ば後悔しながら飲み切っている。
月に一度のルートビア
散々、嫌いだと言ったこのルートビア、忙しさにもよるが行きつけの喫茶店においておよそ月に一度、頼むようにしている。嫌いな食べ物、飲み物は、案外年齢の経過、味覚の変化によって好みとは変わるものであり、大人になってから食べれれるようになった、そんな食べ物も、覚えがあるだろう。酢豚、牡蠣、煮物、はじかみ、七味、ワサビ。
あるいは、コース料理を空間を含めて楽しむこともある意味では大人にならなければ楽しめないものの一つだろう。
だがそれは年齢、経験、感覚の変化によって変わるものだ。嫌いなものが、いつか好きになり、いつか欠かせない相棒になることがある。
そして、何も飲食物に限った話ではない。絵本しか好まなかった子供が、児童文学、ライトノベル(古くはヤングアダルト)、純文学へと進むことは「味覚の変化」だと言えるだろう。もちろん、漫画、アニメ、ボーカロイドへと進み、jPOP、から、メタルのさらに深い道や、クラシック音楽に進むことも「味覚の変化」だ。「味覚の成長」と言っても良いかもしれない。
そうして私は今、ルートビアにここ4年ほど、月に一回、挑んでいる。
嫌いなものと、どう向き合うか
ここまで私が、ルートビアがいかに嫌いなものであるかについて語ってきた。そして、嫌いなものとどう付き合ってきたかも。私は、ルートビアを口にした時にこそ「和解できなかった」という旨をツイートすることはあれど、年柄年中ルートビア叩きをしている訳でもない。私は粛々とルートビアを毎月口にして、そして「また和解できなかったか」と粛々と思うだけなのだ。
嫌いになったものに潜む美しさも、素晴らしさも、私はいつか見てみたい。そのために、日々、修行でもないのに嫌いなものには度々接するようにしている。嫌いのものが、劣ったものであるとは、限らないのだ。好き嫌いと、優劣は、別。
それを肝に銘じて、昨日もルートビアを飲んできた。
結果は、和解には至りませんでしたが、良さも分かってきた気がします。
この記事を読んだあなたにも、嫌いなものと上手く和解できる日が来ますように。
この先は、支援いただいた方へのお礼のみとなっております。ご支援頂ければ私はまた来月、ルートビアを頼み、後悔するための資金となります。ええ、今回のご支援は「私を後悔させるための支援」になります。私もびっくりです。
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