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会えないときほど思いは募る

イタリア シチリア島生まれの作曲家 Vincenzo BELLINI(ヴィンチェンツォ ベッリーニ)。彼が生まれた1801年当時は「シチリア王国」、島の東の大都市カターニアで続く音楽家の長男として誕生し、6歳の時に最初の声楽宗教曲を完成させたというのだからモーツァルトもビックリの神童っぷりです。

ベッリーニは「夢遊病の女」「カプレーティとモンテッキ」(ロミオとジュリエットの物語)「清教徒」などのオペラを書き、現在のイタリア全域のみならずパリでも活躍し、33歳という若さで早逝しました。
彼の死後およそ半世紀を経て生まれ故郷カターニアの歌劇場が老朽化で建て替えられた際に「マッシモ  ベッリーニ歌劇場」と名付けられ、杮落としの演目は彼の代表作「ノルマ」でした。
軽く揚げ焼きにした茄子とトマトの美味しいパスタ”ノルマ風”というカターニア名物、19世紀の喜劇作家・映画監督、そして郷土料理研究家でもあったNino Martoglio (ニーノ マルトッリオ 1870-1921)がこのパスタを食べた際、口にした“Chista è ‘na vera Norma!“(これぞ、ホンマもんのノルマや! inシチリア弁)がその名の由来だと言われています。
カターニアを出て、ヨーロッパをまたにかけて活躍したベッリーニ、街のシンボルとなる劇場の幕開けに凱旋のようにして上演されたヒット作ノルマ、どちらも誇らしいと思ったのでしょうね。
今でも郷土愛、地元愛に厚いイタリア人。特に南へ行くほどその傾向が強いように感じるのですが、シチリア出身ベッリーニを「わが街の宝」という思いは世代を超えて受け継がれています。

さて、寄り道が長くなりましたが、今回の演奏会では、声楽を学び始めて数年の音楽学校生も勉強するベルカントものの歌曲を取り上げます。

Il fervifo desiderio

Quando verrà quel dì いつその日はやってくるのかしら
che riveder potrò   あの人にもう一度会える日
quel che l'amante cor tanto desia? 私の心が熱望しているあの方 ・・・

当時のイタリア歌曲というと男性が歌う歌詞で書かれていることが多い中、この曲は珍しく女性の言葉として書かれています。
母、妻以外の側面を持つことが難しかった時代に作られて現代まで残っている歌曲はその多くが、貴族階級の女性への献呈として、彼女たち自身が歌うため、あるいは自由思想の表現として書かれているようです。

ほんとうに短い曲なのですが、この詞につけられたメロディだけでなく伴奏も素敵。

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ファ・ソ・ラ・シ・ド・レ・ミという上行メロディが度々あらわれて印象的に使われています。前奏ではこのようにファソ・ラッ・シッ・ドッ・レッ・ミーと初めの2音が柔らかく繋がり、軽やかなときめきのような音型。
この伴奏のデザインが間奏、後奏にも用いられています。

そして

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同じ音形が初めて歌で登場するときには伴奏は弾みをつけるような和音のあと離れ、ファソラシ  ドレ  ミーと前半4つの音が連なりTanto(=たくさん、とても)と強調し、上行の後半でdesia(=望んでいる)と心模様を吐露します。

間奏で同じメロディが出てきたあと

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そして間奏は前奏と同じものが続いたあと、歌の最後にはファソ ラシ ドレ ミーと上行の6音を使ってanima(=魂)と最高音の長い音で mia(=私の)と歌われます。
前半で出てきた4音で一語を構成しながら上行するものに比べると、6音で一語のほうが広がり感が強くなり、熱量が上がるように感じます。

すぐあとの後奏は前奏、間奏と同じ。「いつ?」と歌い、胸の鼓動が高まったのに、実は何ひとつ状況は変わっていないことを表しているのかしらと想像します。

心の持ちようひとつ、想像するというだけで、気持ちが明るく持てる、心に張りが生まれる・・・そんな風にイメージを膨らませることができる素敵な曲です。

 
繁田 千都子&多久 潤子  デュオリサイタル「ときを奏でる~黄金の葉の舞う頃に」は2021年11月27日(土)14時~ 世良美術館サロン(神戸市東灘区)にて開催いたします。
ご予約受付中 info.concert.muse@gmail.comまでご連絡ください。


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