「賢い人の秘密」を読む - ⑨【まとめ】賢く生きるために必要な「知恵」
さあ、土曜日だ。
土曜日は、哲学的な目線で、精神・社会・人生などの形而上的な世界の原理を探求していこうと考えている。
これまで、クレイグ・アダムスの「賢い人の秘密」を読み進めながら、ボクが受けたインスピレーションを言語化して書き連ねてきたが、それも今回で最終回だ。
ご興味おありの方はお付き合いいただけると幸いだ。
「文化」という鎖
人は誰しも生まれ落ちた瞬間から、否応なく社会的で政治的な環境に巻き込まれることになる。
人によって差はあるが、生まれたときに個々に割り与えられる資源には限りがある。社会的教育はその限られた資源を有効に使うために役立つものだが、同時に先人たちから脈々と受け継いできた「文化」という鎖につながれることになる。
その文化に悪意はないが恣意的(誰かの判断で意思決定されていること)ではある。
文化を理解するためには、自分が属しているコミュニティにおいて過去に起きた事実と、いろいろな立場の人の思想を知らなければならない。
それが「知識」と呼ばれるものであるが、ボクたちは膨大な量の事実や思想を全て知ることはできない。特にインターネットが普及した現代においては、商業ベースに乗る情報の方が優先的に拡散される仕組みになっていて、ボクたちは(誰かの悪意はなくとも)どこか恣意的に操作された情報を受け取っている。
商業的であることのジレンマ
それは、一般的にクリエイティブだと信じられている、「アート」や「文学」などにおいても同様だ。彼らもまた発行部数やオークション価格などの情報に振り回され、より商業的に成功しやすい作品を生み出そうとする。そして、商業的に成功するアーティストになるためのノウハウを教える学校が生まれてくる…
しかし、商業ベースであることを否定してはいけない。
例えば、ピアニストとして成功しようと思う若者が初めにやるべきことは、過去に成功を収めた(もしくは今成功を収めている)ピアニストの演奏を真似、そのパターンを繰り返し練習し、彼らのテクニックを学習すること、つまり、なんらかのカテゴリーのピアニストの「文化」を学ぶことだ。
クリエイティブとはどういうことか
クリエイティビティであることの基礎は「演繹」と「帰納」と「類推」だ。
仮説を立てて、そこに向かってレールを敷いていく、もしくは過去のデータから傾向やパターンを発見し、それらの共通点からロジックを組み立てる。そして、構造や構成要素の似ているものを見つけ出し、敢えて似せるのか、それとも違うもののように見せるのかを検討する…
そういったことを行うためには自分の中に情報が存在していなければならず、その情報は世の中に氾濫しているものの中の、限られたものしか取り入れることができない。その情報がどのようなものになるかは、ある意味「運次第」ともいえるし「その人の努力次第」ともいえる。だから、その情報の「実体」を掴み、その「意味」を知らなければならない。
賢く生きるために必要な「知恵」
ボクたちが賢く生きるために必要なのは「知識」だけではない。
コミュニティの中で一定の立ち位置を得るためには、そのコミュニティの中でユニバーサルだと認定されている「知識」を備えていなければならない。その上で、それらの知識にオリジナリティを加えた「知恵」を発揮することによって、その人は一目置かれる存在となる。
知恵とは、物事の道筋を立て、計画し、正しく処理していく能力のことを指す。また真理を見極める認識力という意味も持っている。
演繹・帰納・類推・実体・意味・証拠という6つの原則は、ボクたちが知恵を発揮するために役に立つだろう。
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