
「賢い人の秘密」を読む - ⑥実体・意味
さあ、土曜日だ。
土曜日は、哲学的な目線で、精神・社会・人生などの形而上的な世界の原理を探求していこうと考えている。
現在はクレイグ・アダムスの「賢い人の秘密」を読み進めながら、ボクが受けたインスピレーションを言語化して書き連ねている。
ご興味おありの方はお付き合いいただけると幸いだ。
実体
人間がいなければ「観念」は存在しない。
「観念」は人の頭の中にだけ存在している。
正義や善良さは、観念の在り方で存在している。
観念はモノではない…
それが「実体」について考える第一歩だ。
じっ‐たい【実体】
1. そのものの本当の姿。実質。正体。
2. 多様に変化してゆくものの根底にある持続的、自己同一的なもの。アリストテレスでは具体的個物、デカルトではそれ自身によって存在し、その存在のために他のなにものも必要としないもの、カントでは現象を認識するための範疇 (はんちゅう) にすぎないとされた
実体を見極めるためには「自分が何を知ろうとしているのか」を問わなければならない。観念について議論する際に「それが真実だ」とか「事実として」などの装飾語に惑わされてはいけない。
議論している観念が科学的(再現性が高く因果関係が明確)であるかどうかを問うべきである。
意味
実体がモノであるなら、そのモノの物理的な世界を説明しさえすれば、その議論は終了するだろう。
しかし、人が生きている世界の大部分は観念でできている。
故に、正義・平等・人種差別・自由・デモクラシーなどについて、科学的な思考でその世界を語ることはできない。なぜなら観念について公平性を期することはできないからだ。
そうなると、観念の意味について考えなければならない。
例えばボクたちが「良い」という言葉を使うとき、それは「品質が」「量が」「見た目が」「関係性が」「タイミングが」「健全である」「地位が高い」「有益である」「効果がある」「望ましい」「理にかなっている」「好感が持てる」「不足がない」「許容できる」「円滑である」など、多くの意味合いを持つ。つまり「良い」という言葉は曖昧な省略表現なのだ。
しかし「良い」という言葉を使う人を、不誠実な人、知的怠慢な人などと決めつけるべきではない。人が観念について語るとき、その意味をひとつひとつ明確にしながら話すことはできない。だからボクたちは、必要に応じて、適切なタイミングで、その意味について説明するべきで、その説明のイニシアチブを握る人が「賢い人である」と思われることになるのだ。
しかし、曖昧な言葉には感情を揺さぶるものが多い。
例えば「輝かしい」「喜ばしい」「酷い」「恐ろしい」などがそうだ。感情を動かすことができれば賛同を得やすくなる。宗教家や政治家の多くが、感情に呼びかけるような曖昧な言葉を多用するのはそのためだ。
曖昧さを回避することも、曖昧さを演出することも、どちらも議論の武器になり得るのだ。
(続きはまた来週)
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