娘、服にこだわる
娘が3歳の時、服へのこだわりがはじまった。
まだ語彙も少ない娘の
「絶対にこの服しか着ない!」
という強い意思に、毎朝が戦いだった。
親になってから、朝は忙しい。
決められた時間に出勤することは
社会人ならみな同じだが、
そこに時間予測不可能な子どもの存在が
難関となって立ちはだかる。
特に私のように
ギリギリまで寝ていたい
という朝が苦手な人間には
ハードルが高すぎて
高層マンションを生身で跳べと
いわれているようなものだ。
どんなに多く見積もっても
気づくとギリギリに出勤。
たまに遅刻。
そして、まれに驚くほど全てがスムーズにいくと、
一人カフェで自分をねぎらった。
話は戻って
娘がこのTシャツしか着ない、となった時期
どうしたかというと……
毎日夜洗って
毎日夜干した
ズボラな私が、たまに洗い忘れると
朝、一悶着あったあと、
娘の意志の強さに途方に暮れた。
そんなことがあり、私はこの服について、言葉では言い表せない思いを抱いていた。
特に服の胸についている、小さな鳥のポケットの印象は強烈だ。
それまで基本的にはニコニコ笑顔が多かった娘のはじめての自我。
「とりさんのふくがいいっ……!」と叫ぶ声。
当時、私は本格的に陶芸はじめたばかりで、そこに年子の子育てが同時進行し、複雑な気持ちを抱いていた。
陶芸教室の仕事と子育てをしながら、自分の作品を作る時間が思ったほどとれない歯痒さ。
ロクロに触りたい
集中して粘土に触れたい
そんなことを考えていたら、ふと見ると計量カップの形が毎回鳥に見えてくる。
リサ・ラーソンやルート・ブリュックの作品をみても鳥のモチーフにばかり目がいく。
気がつくと、私は鳥を作っていた。
抱えるほどの花器だった。
このデザインを実用性のある物に落として鳥モチーフのマグカップを作った。
その後、娘のTシャツへのこだわりは
季節が変わる頃に落ち着いた。
娘はこれを機に鳥モチーフ好きへとなり
一時期は鳥の絵ばかり描いていた。
その気持ちは小学生になった今も細々と続いているが、
やはり「ちいかわ」や「すみっこぐらし」に
押されて、存在は少しずつ薄れていっている。
娘が描いた鳥の絵のファンである私は、それが少し寂しい。
だからたまに「鳥を描いて」と娘にねだる。
娘は快く描いてくれる。
「娘のこだわり」からはじまったこの話は「お母さんは鳥好き」という終着点へと向かって舵をきりはじめた。すでに娘は鳥の服の存在を忘れている。
私の手元には鳥のカップとその思い出だけが残った。
鳥のカップを作るたびに、こだわりの服を着た3歳の娘と娘に振り回された日々を思い出す。
ぷくぷくほっぺの愛くるしい娘。
とてとてと駆け寄ってくる服の胸には可愛い鳥のポケット。