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精神のシェルター -建築と主体について-

建築は、人間がその身体を超えるスケールで構築する行為を始めた時からシェルターであり続けてきた。それは外界の危険から体を守るシェルターであるとともに精神のシェルターでもあった。

トルコの平原

およそ1万年前、現トルコ・アナトリア半島の平原を見下ろす高台にチャタル・ヒュユクと呼ばれる現存最古の都市が築かれた。猛獣から身を守るため丘の上に建設された日干しレンガのその都市は、小部屋がすし詰めに寄せ集まって蜂の巣のような構造をしていた。各部屋は天井にのみ開口を持ち、人々はハシゴで出入りし屋根の上を歩いて部屋を行き来した。チャタル・ヒュユクには2種類の部屋が存在したことが知られている。漆喰で固められただけの部屋群と壁画装飾が施された部屋群は一方が生活空間で他方が儀礼空間だったとされる。細かく分節されシェルターのような小部屋が密集した古代の都市に、人々は身体のための空間と精神のための空間を均等に保有していた。その場所で1万年前の人々がどのような心を持っていたのか詳しくはわからない。しかし大勢が往来し集団で使用されただろうフラットな屋根と合わせて、少人数でも満杯な祈りの部屋が都市のなかで機能していたことからは彼らの中で個人としての心が芽生えていたように想像される。

チャタル・ヒュユク全景復元図
チャタル・ヒュユク住居復元図

シリアの都市

地中海東岸の草原地帯は灌漑農業と人類最古の文明を育んだ一方、一神教の誕生地でもある。多神教を奉じる文明や帝国が版図を広げた古代ユーラシア世界において一神教徒は大国の脅威に挟まれた少数者だった。最初期のキリスト教徒が礼拝所に利用した部屋が遺跡に残されている。シリアのローマ植民都市の一画、メソポタミア地方に典型的な中庭型住居の一室が全能の唯一神に捧げられていた。それはなんの変哲もない当時の平均的な建物だった。普通の住宅だったからこそその場所は信仰のシェルターたりえた。ローマ帝国から公認される以前、キリスト教徒は日々異端の目を向けられ皇帝の気まぐれで迫害を受けかねない立場に置かれていた。彼らは住宅の一室を改修し外からは分からない秘密の集会場を持つことで信仰の自立を守った。以降、地域ごとに支配的な建築様式の姿を借りその内部に礼拝空間を設けることが彼らの建築戦略となる。街中に堂々と礼拝所を持てるようになった彼らが建てた初期の教会建築はバシリカと呼ばれるが、その姿は古代ローマの集会場(フォルム)をそのまま写していた。周到に計画されたシェルターの中で彼らの信仰心は涵養された。周囲と異なる自我を自覚し信仰とともに主体を生きようとする者に建築は精神の宿り屋を与えた。

ドゥラエウロポス住宅復元図
ドゥラエウロポスの初期キリスト教礼拝所

ヨーロッパの修道院

キリスト教会はその後ローマなき後のヨーロッパに勢力を広げ、各地の修道院が神学を探求する場となった。それゆえ大学の最古の形態は中世の修道院に見出されるとされる。当時の一般的な修道院は中庭を持ち、それを囲む回廊に沿って一部屋ずつの僧坊が並んだ。中庭は猥雑な世俗から隔絶された神聖な領域を象徴し、回廊、僧坊へ広がる求心的な内部秩序を保っていた。欧米の大学キャンパスがコートを中心に教室棟が取り巻く空間構成を持つのはこの伝統に由来する。修道僧は世間から離れ一生を神に捧げることを誓った。石造の僧坊には中庭に向けて小さな窓だけが開けられていた。換気と採光と配膳のためのその開口部が僧侶と外界をつなぐ唯一の経路だった。牢獄とさして変わらない個人のための僧坊が、しかし修道僧にとっては精神を最大に動員し自由に研究に励める場所だった。中庭を吹き抜ける涼風が季節の香りを届け、高度の低い陽光が石灰岩のざらついた壁面をなめる小部屋で、僧侶は社会生活の雑事を逃れ自らの理性と愛のみで世界の未知に立ち向かい神の声を聴こうとした。中世の神学では天使は肉体を持たない完全理性体とされる。僧坊に入った僧侶もまた理性を発揮する自由が許された完全理性体になっていたのであり、その場所でルネサンスの人文主義に花開く個人の主体認識は準備されていた。

ドイツの炉部屋

近代を特徴づける主体的な個人の概念はルネ・デカルトによる「我思う、故に我あり」の宣言に始まるとされる。デカルトが歴史を転回させる哲学に到達したのもまたシェルターのような小さな部屋だった。三十年戦争に参加し冬季の休戦期間を宿営地で過ごしたデカルトは一冬を宿の炉部屋にこもり思索に没頭した。気を散らすような話し相手も心を惑わす心配事もなく、学問の整理はひとりで担った方が良いと考えこの上なくくつろいで考えごとにふけったと記している。1619年10月にデカルトの思考実験は始まり、11月10日に彼は驚くべき学問の基礎を発見する。彼が宿の質素な炉部屋から出た時、世界の仕組みは全く違って理解されることになった。炉部屋はデカルトの思考する精神に安らぎを与え、近代的主体の産屋となった。

自分ひとりの部屋

作家ヴァージニア・ウルフも精神のシェルターを必要とした1人だった。イギリスで男女平等の参政権が認められた年、ケンブリッジ大学の講演に招かれたウルフは女性が(当時と歴史上の男性と同じように自由に)小説を書こうと思うのなら500ポンドの年収と自分ひとりの部屋を持たねばならないと語った。どれほど自由な想像力と豊富な文学的教養を持っていようと、ケアする立場に追い立てられ社会的地位もままならなかった女性たちにくつろいで考えごとにふける余裕はどこにもなかった。デカルトが発見した人間の主体に当時の女性たちは含まれていなかった。ウルフの提言は小説家に限らず自分の人生を創造的に生きたいと願ったあらゆる女性たちに当てはまるだろう。ウルフにとって年収500ポンドは1人で中程度の暮らしができる収入であり自分ひとりの部屋は雑事から切り離されて執筆に集中できる空間だった。彼女はそのどちらも手にしていたが終生精神病に苦しみ没した。ウルフ自身が求めケンブリッジの女学生たちにその必要性を訴えたのは精神の自由を守ってくれるシェルターだった。抑圧の強い社会で自らの主体を生きるために、自分の才能を解き放てる自由な空間として自分ひとりの部屋が不可欠だった。

私たちのシェルター

3年前、私たちは突如隔離を余儀なくされた。全世界の人が同時に自分の家や部屋に閉じこもり社会活動がストップした。 私たちは最も身近なシェルターに身も心も閉じ込められる日々を送った。特に自分ひとりの部屋を持てない人にとって、街に出て働き続けねばならない人にとって状況は過酷だった。ウイルスは世界中を回りシェルターにこもれない人から伝染病に体を侵され、それよりもずっと多くの人が心に何かしらダメージを負った。ウルフの言葉は半分正しかった。自分ひとりの部屋を持たねば肉体を危険から守れない。しかしその部屋は精神を守るには不十分だった。物理的に近づき合えない人々の間でビデオ通話が普及した。一気にシェルターが世界に曝された。zoomはばらばらの家にこもる私たち同士をつなぎ、部屋の隅々、雑多な生活まで映し出した。体がシェルターを出られない分、精神的に互いのシェルターを繋ぎ合わせ正気を保とうとしていたように思う。部屋にこもりながら部屋を見せる生活に私たちは案外すぐに慣れた。外に出て自由に人と会えるようになった今も頻繁にビデオを繋ぎ遠隔地の人と連絡を取り合っている。シェルターを閉じることと開くこと、両極端の行き来は変わらないままだ。

卵の殻

近代以来の主体の概念は揺らぎつつある。確立された自我という家父長的な強さの脆さが露呈し、個人の主体性は他者他所と相互に共鳴し合う間主観的なものと捉えられ始めている。一方、私たちは肉体のうちに精神を宿し主体的に生きたいという願いは消えることがない。人の精神を卵の黄身に例えるなら身体は白身に、服や建築は卵の殻にあたるだろう。黄身と黄身がつながり合いたいと思う時、白身同士を近づける方法を私たちはおおよそ知っている。だが殻についてはどれだけ考えてきただろう。建築の歴史上、殻の築き方について丹念に議論が積み上げられてきた。身体と精神を守るためシェルターを構築する方法を人類は長年開発してきたのであり、その中で主体的な精神も育っていった。しかしもはやそれほど強固な殻は必要なのだろうか。殻に閉じ込められて私たちの主体は窮屈を感じている。黄身の在り方が変わろうとしているとき、その外側でシェルターの役割を担ってきた殻についても根本的に考え直さなくてはいけないのではないか。建物を開放的にすることやビデオのオンオフなど短絡的な解決策を提案したいのではない。築くことに終始してきた卵の殻をいかに割り、解き、その破片を使い直すのかという話であり、殻との付き合い方が黄身の在り方そのものと直結していることに着目すべきだ。私たちがシェルターを求めることに変わりはないとしても、その中でどんな主体が育まれ殻の内外を行き来し環境と共生しようとしているのか、精神のシェルターとしての建築の役割を書き換える場面に私たちは立っている。


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