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欧州をめぐる旅(ミュンヘン編)Sophies Zimmer
オーストリアからドイツへ
ザルツブルクから、ひょいと国境を越え、ミュンヘンに移動する。穏やかで清楚な街から、急に都会の喧騒に放り込まれる。タバコ吸いながらたむろする多様な人種の男達。歩道には吸い殻、ゴミ、割れたビール瓶が転がっている。
同行者のミニゾフィー(略してミニー)は、同じ都会でもウィーンはよかったと、しきりにウィーン(を含めオーストリア)を恋しがっていた。
ミュンヘンに来た目的はただ1つ。ルートビッヒ2世の建てたノイシュバインシュタイン城を見ることだ。ガイドブックでは何度も見てはいるが、自分の目でも確かめてみたかった。
ルートビッヒ2世の詳しい経歴は省くが、彼が王としての職務はそっちのけで、ひたすら自分の描く理想の城造りに情熱を傾けたことは有名だ。あまりに城の建設に夢中になるあまり、狂王と呼ばれたが、それでも城(特に、ノイシュバインシュタイン城)への執着が衰えることはなかった。後に彼は王の資格なしと判断されて、王位を剥奪される。そこまで彼を駆り立てた城を一度見てみたかったのだ。
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翌日の朝早くホテルを出て、城のある街、フュッセンに向かうが、電車は満席。何とか席を確保した。まるまる2時間、電車に揺られ、やっとフュッセンに着いた。バス発車までの時間はあったので、フュッセンの町を一巡りして、バス乗り場に戻った。
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ところが、城行きのバス停の前は長蛇の列。1回では乗れず、次のバスで城のある山の麓へ。バスを降り、人の波を搔き分け、競うように坂を登ってチケット売り場に着く。そこでまた並んで順番を待つ。あの城を見に行く人がこんなにいるのか? ここにたどり着くまでがえらく大変で、しかもチケットはバカ高いときているのに。さすが、某テーマパークの城のモデルと言われているだけあるわ。
まず、ルートビッヒが子供の頃家族と過ごしたというホーエンシュバウンガウ城を見学した。それほど豪華ではないが、他の城と似たような部屋が続く。唯一違うのは、壁や天井に絵が描かれていることだ。それも中世の神話。敵と戦い、姫と結ばれる騎士の姿がこれでもかというくらい壁一面に展開する。
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ルートビッヒが中世の神話を題材とするオペラに、ひいては作者のワーグナーに心酔したのは、こうした下地があったからなんだと、妙に納得した。
ルートビッヒの父、マクシミリアン2世は、図らずも息子に、中世の騎士への憧れを植え付けた。皮肉なことに、息子はそれを大事に育て、王としての自覚が霞むほどに成長させた。彼が王位に就いて真っ先に行ったことはワグナーを探し出すことだった。その後、ルートビッヒは、ワグナーの世界を自分の城に再現すべく、心血を注ぐことになる。
絵画だらけのこの城で、最も美しいと感じたのは、窓から見えるアルム湖の景色だった。
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山を下り、バス(これもすし詰め)で坂をまた登って、いよいよ目的のノイシュバインシュタイン城へ。城の外で、指定された見学時間までじりじり照り付ける日差しのなかひたすら待つ。そしてやっと時間になり、入場。
城の中の見学は実にシステマティックに行われた。ガイドの指示に従い、次々と部屋を移動する。夢見る王が建てた城は、先に見たホウエンシュバンガウ城より新しく、しかもほとんど使われなかったため、保存状態はよかった。しかし、内装が豪華になったのと、城中に描かれた絵画が、ワグナーの様々なオペラのテーマに絞られた以外は前の城と変わらなかった。
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壁や天井を埋め尽くす絵画は見る者を窒息させんばかりである。私なら、壁や天井は無地がいい。それもまっさらの白がいい。その方が自由じゃないか。中世だけでなく、未来も想像できる。何も考えずぼーっとすることもできる。
これはルートビッヒの夢、つまりワグナーの世界を具現化するためにに建てられた贅沢な城なのだ。彼がどんな城を建てようが自由だろう。だが、その財源は国民の税金だった。言わば国王の趣味のために国庫は破綻寸前だった。彼はノイシュバインシュタイン城の建設途中で廃位され、幽閉された。城の建設も中止された。
驚いたことに、ルートビッヒは、まだ他にも城の建設を計画し、既に着手したものもあったという。次はチャイナ風だったとか。私はむしろ、よくここまで王のわがままが許されたものだと、国の寛大さに感心した。
幽閉された翌日彼は謎の死を遂げる。ルートビッヒ、40歳のときだった。自殺とも他殺とも言われているが、真相は不明のままだ。
ルートビッヒは、自分が死んだら、城を破壊するよう伝えた。だが城は破壊されるどころか、国の観光資源として最大限に利用されている。
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余談だが、オーストリア帝国の皇后となったエリザベートとルートビッヒは、いとこ同士であった。ルートビッヒは、エリザベートの勧めで、彼女の妹、ゾフィーと婚約していた時期がある。残念ながらルートビッヒは一方的に婚約を破棄した。その理由として、彼はエリザベートの方が好きだったから、という説もある。ほかにも、彼はホモセクシュアルであったという説もあり、こちらの方が有力だ。
エリザベートの姉といい、妹といい、偶然なのか、なんだかやけに損な役回りではないか? まあ、ルートビッヒとの結婚が成立したとしても、お城の建設に夢中な夫と、幸せになれたかはわからないが。
本人の思いとは裏腹に、彼は死後、ロマンを追い続けた王として世界中に名を馳せ、その城は今日まで人々を惹きつけてやまないようだ。私たちは見学前に、城全体の撮影スポットとして有名なマリエン橋に向かったが、そこも凄まじい数の人が行列をなしており、城の見学に間に合いそうになかったため、引き上げた。
「中は悪趣味だったね」
帰りの満員バスの中で、ミニーが一言つぶやいた。それが全てを物語っている。他人から悪趣味と言われようが、ルートビッヒは自分の信念を貫いたのだ。彼は狂ってなどいなかった。完全に正気だった。現代風に言えば、彼は、オタク気質だったんじゃなかろうか? それも、究極の城オタク。
なんて考えながら、ふと前に座っている女性を見ると、彼女はマリエン橋から城を背景に撮った自撮りの写真を繰り返し見ていた。あの行列に何時間並んでたどり着いたのだろうか? 今度は動画を何度も再生しては微笑む。動画の中で彼女は、正面を向いたり、横顔を映したりと忙しい。彼女が見ていたのは、ルートビッヒが生涯情熱を傾けた城ではなく、お城を背景に映える自分の姿であった。
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