欧州をめぐる旅(ザルツブルク編)Sophies Zimmer
ザルツブルクに着いた!
ウィーンから電車でザルツブルクへ。ホテルのチェックインを済ませて、市の中心に向かう。川を渡ったところで降りると、これまでと空気が違った。適度な湿り気を帯びた清浄な空気。湿り気の心地よさを私は初めて認識したようには思う。日本にいたときは、あれほど不快に感じていた湿り気。その湿り気を今私の身体は心地よく感じている。雨が降ったのだろうか、水嵩が高い。
私達は、川岸のベンチに座り、近くのスーパーで買ったサンドイッチを食べた。アルプスの山々を背景に建つ白い壁の建物。向こうのドーム型の屋根は教会だろうか?
これが、モーツァルトが生まれた街かあ。私ははこの街とモーツァルトを必死に結びつけようとしていた。
私がザルツブルクに寄ったのは、モーツァルト詣でのため、ではなく、ハルシュタットを訪れたかったからだった。なので、一通り市内観光した翌日、ハルシュタットツアーに参加した。
憧れの町、ハルシュタットへ
ところが、バスが走り始めると雨が降り出し、そのうち土砂降りになった。よりによってハルシュタット行きに選んだ日が、大雨なんて。私は暗澹たる気持ちになっていた。ジャン・レノ似の男性ガイドが、「今雨降っていますが、現地には着く頃は止むでしょう」という言葉に、希望を託した。ご丁寧にも、すぐ後に「しかし、保証の限りではありません」と付け加えたが。
ザルツブルクからバスで1時間半、湖らしきものが見えてきて、ようやくハルシュタットが姿を現した。ハルシュタット「Hallstatt」は、ケルト語で「塩の町」を意味するそうで、実際、岩塩の生産で栄えた町である。そういえば、ザルツブルクも「塩の城」という意味。この一帯は、よっぽど塩に縁(塩)があるのだろう(^_^*)。
ハルシュタットは紀元前から文明が発達していたそうだが、私はそんな知識より、ドイツ語の授業で、或いは、ネット上で見たその景色に魅せられていた。絶対的静寂を連想させる鏡のような湖面、湖畔にせり出した尖塔、その周りに立ち並ぶ木造の可愛い建物、中世で時が止まったような、そんな町が本当にあるのだろうか、と。
私は写真だけではなく、実際にこの目でこの町をどうしても見たくなった。そして今、長年待ち望んでいたことが、現実に起ころうとしているのだ。私はバスがハルシュタットに近づくにつれ、胸が高鳴るのを感じた。
バスは林を抜けると、ハルシュタットの入り口に着いた。なんと、ジャン・レノ(似のガイド)の予想通り、雨が上がった。雲は垂れこめていたが、雨が上がっただけでも御の字だった。滅多にない機会を雨の中過ごすのはあまりにも勿体ない。
バスから降りて、私たちは自然に上へ上へと坂を昇って行った。途中、バルコニーに花を飾った可愛いペンション風の建物をいくつも通り過ぎる。
路地に入ると、小川が勢いよく流れ、両側の古い建物の間からあの尖塔が垣間見える。もう何百年もこの景色は変わっていないような気がした。
とうとう私たちは坂の上の教会にたどり着き、町を見下ろした。そこには、あの尖塔の建物があった。あれもきっと教会なのだろう。気がつけば雲もあらかたなくなり、晴れていた。山に囲まれた地域だから、天候も変わりやすいのだろうか。
興奮に満ちた散策を終えて私たちはまた入り口の駐車場に戻った。最後にもう一度振り返って町を見る。景色は間違いなく写真通りだった。想像した通り、中世そのままの雰囲気を残す世界であった。世界の状況は、コロナ禍を経て、ロシア・ウクライナ戦争をはじめとする各地の紛争、それに伴う物価高騰と決して芳しくないが、ここだけはそんな現実から隔絶され、静かな平和が保たれているような、そんな錯覚さえ覚えた。
それだのに何故だろう?私は、異次元の世界にいるような気がしなかった。異国とさえ感じなかった。なんか自然に溶け込んでいる。町に私が溶け込んだのか、町が私に溶け込んだのかはわからない。それはやっぱり同じ地球上で起こっていることだから?私が地球人だから?それとも人間の適応性なのだろうか?私はそれが不思議でならなかった。
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