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『日本映画の「働き方改革」現場からの問題提起』を読んで香港電影界と比較してみた
「action4cinema / 日本版CNC設立を求める会」からのメール・マガジンでこの本を知り、読んでみた。港日合作映画をメインに香港電影制作現場に関わる者として日本の現場も経験しているので、第一章から第三章までは「そうなのよ!」「でしょう?」「私もそう思ってる!」尽くめだった。それぞれに私の経験を記しておく。
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第一章 日本映画の「現状」
過重労働の部分で、制作部スタッフが疲労と寝不足から車の運転中に意識が前後不覚になるエピソードがある。これは私も現場で複数の人から聞いたことがある。「制作部の誰もが運転中に事故ってますよ。事故やってない人はいないぐらい。」というのを聞いて本当に恐ろしかった。その時、正直なところ日本側車両には乗りたくないと思った。
私が参加した香港電影の日本撮影では、車両部が別途きちんと雇用されており、寝不足の制作部スタッフが運転手を務めることは無かったけれど、少しでも早く到着して少しでも多く撮影できるようにという風に言われていたのかそういう慣習なのか、高速道路とはいえ、えらいスピードで飛ばす日本人運転手ばかりだったので本当に怖かった。
別の作品では一気に大勢移動するせいか大型バスを借り上げていた時があった。この時の運転手は日本在住大陸人。コネクション的なことやコミュニケーションが取りやすいということでの起用だったのかもしれない。宿泊ホテルと撮影地の往復のみで、撮影中は寝ていても構わない状況だったのに、最初の運転手は運転しながらうたたねしていた。朝早くて夜遅い時間帯の運転になるのだから昼寝して準備しておくのが当然だろうに、昼間はトランプだのなんだので遊んでいたのを私は知っている。私は事故を起こされるのが恐ろしくて、車内の制作部スタッフにこっそり話し、うたたね監視用に助手席的な補助席に座ってもらったが、それでも時々カクンとなっていて恐ろしかった。翌日からは違う運転手に変わっていてホッとした経験がある。全員の安全に関わることなので制作部スタッフに話して良かったと今でも思っている。
日本映画は制作部スタッフに運転手までやらせるのはやめたほうがいい。予算の都合というのは十分理解しているけれど命に関わることだから。制作部に限らないが、低賃金での長時間労働が当たり前になっている現場は安全性からも士気的なことからも絶対によろしくない。日本映画の制作において多くある中の一つ目の改善ポイントだと思っている。
本書ではパワハラやセクハラについて実に早い部分で言及している。深田監督のレベルの方がこの問題を重視していることは実に大きい。それこそが世界の平均だから。日本映画界の周回遅れを挽回する為にはここも大きなポイントになる。
香港電影界にもパワハラを行う人はいる。香港人、いや、広東語というべきか、は実に口の悪い言葉が多いのだけれど、普段から使っている軽口だけでない悪態をつく人を香港の現場で見たことは、確かにある。しかし、口汚く罵ったり、殴る蹴るといった実質的暴力によるパワハラは、私が請けた映画やテレビ番組の仕事を合わせた中での私の個人的経験だけでいうと日本の業界の方が数段多い。断然多い。そしてなぜか関西人クルーでそういうことをする人は少ないのに、東京のクルーの方が断然多い。見ていて実に嫌な気持ちになる。パワハラが蔓延する現場で良いものが出来るわけがない。日本映画業界全体で反省して改善してもらいたい。
日本の映画業界における現在の雇用形態は「フリーランス離合集散のスタイル」と本書にある。昔は「組」の専属契約による安定雇用と映画の量産があったおかげで安定した固定収入があったが、今は作品ごとの継続的集散となっているせいで、低賃金+長時間労働であっても収入に繋がるとなれば請けるしかない。これも大きな問題点である。
香港電影界も基本的には「フリーランス離合集散のスタイル」であるが、日本の「組」とほぼ同じ「班底」というシステムというか「意識」がある。
アクション業界においては、かつては「劉家班」「洪家班」「成家班」などが良く知られている。現在は「甄家班」もまあ成立していると言って良いかな(というのもド兄さんは現代ものと時代劇ではそれぞれ違うチームを使うので、全部合わせて「班」とするならという意味で)。そして今は Philip Ng 伍允龍の「伍家班」が成立しつつある体感。
アクションもの以外でも、プロデューサーと監督とAD、監督と脚本家、プロデューサーと脚本家、監督とDP等、この人らはいつも一緒にやっているね、というタッグを見かけることが多い。こちらにはおおよそ「班底」と呼ばれる「いつものクルー」が付随している。
私の職務(現場やミーティングの通訳・脚本翻訳)はこの「班底」に常に入れるわけではないので、まさに「フリーランス離合集散のスタイル」となり雇用機会が更に不安定なのが痛いところ。
第二章 日本映画の「これまで」
第一節では「日本映画界における雇用形態の変化」、第二節では「日本映画の制作費」にフォーカスしている。
第一節「雇用形態の変化」については、教育システムの不在、制作プロセスの適正化、フリーランスの保護などを検証している。また、教育システムの不在によりユニバーサルな変化から取り残されてしまったこと、制作予算の低下が回りまわって新人が育たない・残らないという状況を産んでいることに言及している。
制作予算が低い=撮影日数を極力抑える、というのは日本だけの問題点ではない。香港電影でも小さな作品は同じ問題を抱えている。とはいえ私の知る限りの香港導演は、撮影場所を減らす、脚本を調整する、等どうやって撮影日数を抑えるかをよくよく考えて工夫している。
また、教育システムについては、香港では大学や専門学校で「電影系」といった電影を学問として学ぶシステムもあれば、「班底」といった徒弟制度のような常に現場を経験させて育てていくシステムもある。更には、ベテランのプロデューサーや俳優が若手監督や脚本家にチャンスを与えて育てていこうという気概があり、土壌も確立されている。この十数年ほどに若手で実力のある監督が雨後の筍状態でにょきにょき育ってきているのは香港電影界全体での強力な後押しのおかげだと思っている。
私が驚いたのは『窄路微塵』『濁水漂流』『一秒拳王』といった質の高い作品を送り出している mm2 Entertainment が、インハウスの脚本家を擁して育てていること。正社員として雇用されているので収入や仕事が獲れるかどうかを心配せずに全力投球できるのが非常にありがたい、こんな素晴らしい会社はそうそうない、おかげで仕事に対するモチベーションが常に高く保てる、と私が話を聞いた脚本家が言っていた。お邪魔した際のオフィスの雰囲気やその場にいたスタッフの活き活きとした顔を見て本当に良い会社なのだと確信した。ただし、作品のプロデューサーがやって来た際には全員ピリピリッとなってたけどね。
ここで現場の運営について日本と香港の比較をしてみよう。
2023年に発足した「一般社団法人日本映画適正化機構」による「日本映画制作適正化認定制度」に定められたガイドラインで、撮影は13時間(準備・撤収、食事・休憩を含む)以内、準備と撤収にかかる時間は、みなし1時間+1時間=合計2時間とし、撮影時間はリハーサル開始から撮影終了まで11時間以内、作業・撮影時間が13時間を超える場合には10時間以上のインターバルを空けること、とある(本文P.63-64)。良い方向への変化は確実に始まってはいるようである。
かたや私がこれまで参加した香港作品では、撮影日は13時間拘束(準備・撤収、食事・休憩を含む)、翌日の撮影には8時間のインターバルを空ける、というのが基本であった。これだけ見ると香港の方がキツイように思う。
ところが、日本の現場では撮影休日は「撮影が無いだけ」であって、実際には次の撮影の準備をしなければならないので休みとはいえない状況で、完全休日は約2週間に1日程度らしい。
かたや私が参加した香港作品(おおむね大手作品)は1週間に1日休日を入れる、と契約書に明記されていることが多い。これは撮影休日ではなく完全休日のことである。もちろん撮影進捗の都合によって、この原則が崩れることは多々あるし、部署によっては準備を行わなければならず完全休日とならないこともあるが、それでも制作部はなんとかして休日を確保してくれようという意気込みは見せてくれる。なので私は香港電影の制作部を非常に信頼している。(とはいえ、撮影後半になってスケジュールがどうしてもキツキツになってくると、休日などぶっ飛ぶことはままあるけどね。)
ここで「契約書」という字面が出て来た。香港では基本的にどんな作品でも制作会社とクルーが契約書を作成する。それぞれ(会社なり個人なり)が税務申告をしなければならないから。契約書には撮影時期、給与、労災の有無等細かいことを明示するので、給料未払いなどは基本的には起こらない。(とはいえ未払いでドロンしたプロデューサーや制作会社の話は聞いたことがあるので皆無ではない。)また、契約書と同時にNDA (Non-Disclosure Agreement 秘密保持契約) も結ぶ。このあたりは、基本的に契約書を作成しない悪習を引きずっている日本映画界は大いに反省すべきだと思っている。
第二節「製作費」に関するパートで資金、助成金についての内容が書かれている。「文化予算の各国比較」の部分に香港の状況が入っていないので、私の知る限りの状況も足してみたいと思う。
日本の文化庁助成金の主なものとして、独立行政法人日本芸術文化振興会を通じて交付する文化芸術振興費補助金・日本映画制作支援事業、国際共同制作映画支援事業の二つを挙げている。
そのうちの国際共同制作映画支援事業の問題点は
1. 支援の対象となる期間が短すぎる(申請が通過してから1年以内に完成させなければならない)
2. 映画制作のフローを十分にカバーできていない(撮影や編集といったごく一部しかカバーしていない、企画・脚本開発への助成が少ない)
3. 最大の問題点は補助金の交付が完成後=成果物納品後の後払い(全ての費用を制作者が一旦立て替えておかなければならない)
本書ではフランスのCNCの助成金について
・撮影1週目終了時に40%
・撮影3周目終了時に40%
・撮影終了時に15%
・最初に完成した上映素材と映画の会計報告書の提出後に5%
が支払われるが、その前に
・撮影前の段階で「自動助成」という仕組みによりプロデューサーの前作の興行実績に応じた額の助成金が出て、それを企画・脚本開発の費用として使える
と解説している。
香港でどのような類似の助成金システムが施行されているのかについては、以前の記事「Hong Kong-Asian Film Collaboration Funding Scheme 亞洲文化交流電影製作資助計劃のセミナーでHONG KONG FILMS@TOKYO 2024に参加」に記載したHong Kong-Europe-Asian Film Collaboration Funding Scheme 歐亞文化交流電影製作資助計劃をご参考頂きたい。
具体的な電影發展局からの助成金の支出タイミングは下記である。
・電影發展局(基金)との契約締結の時点で40%
・実際の撮影開始後に40%
・完成作品(最終版)納品の確認後に10%
・会計報告書の提出後に10%
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これは制作者にとって非常に有益で使い勝手の良いシステムである。日本のプロデューサーや監督にこのシステムを紹介した際には、誰もが驚いてくれた。助成金が最大HKD9,000,000(=約1億8000万円)。この金額にまず驚く(詳細な条件等は上記サイトにてご確認ください)。そして申請が通って助成が確定し、契約締結の時点でまず40%出るのはとても大きい。実際に助成が確定してから契約締結までの経過はスピーディーであるとは言い難いが、とはいえ全費用を一旦立て替えなければならない日本のシステムと比較すると天と地の差であろう。
また、日本の国際共同制作映画支援事業の問題点1.支援の対象となる期間が短すぎる、というポイントについても、香港の上記助成の条件は「契約締結から36ヶ月以内に香港および合作先国家の劇場で上映すること」となっており、これも日本の制度に比べると天と地の差である。
香港人はおしなべて日本が好き過ぎるので、日本との合作の企画なら基本的に喜んで飛び乗ると思って頂いて良い。このあたりを日本の映画業界の更に多くの方に気付いて頂いて利用してもらいたいと思っている。
香港映画界助成のもう一つの重要な制度も紹介しておく。「First Feature Film Initiative 首部劇情電影計劃」である。こちらは長編処女作への支援制度で、制作チームや俳優など対象者の多くが香港永久居民である必要がある。助成金が最大HKD5,000,000(=約1億円)またはHKD8,000,000(=約1億6000万円)と上記で紹介したアジアやヨーロッパとの合作作品への助成より少なくなるので、どちらかというと香港本地のみでの制作が多い。しかし、これにより実に素晴らしい新人監督を数多く輩出しているので、制度としては大成功なのではないだろうか。少なくとも「香港映画は死んだ」などとは言わせない。
第三章 日本映画の「これから」
「action4cinema / 日本版CNC設立を求める会」は設立時にニュースで見かけて興味を持ったので、メールマガジンに登録した。金像獎で是枝監督にアテンドした際に私がこの会のことを知っており活動内容に注視していることをお話したら驚いておられた。それほどまでに映画業界でまだまだ皆からの注目や活動への参加を取れていないということである。業界の改善と底上げの
為に更に頑張っていただきたい。
本書には資金の循環について具体的な策と数字が記載されている。そのうちのチケット税について。フランスの国立映画映像センター(CNC)は劇場から映画入場料の10.72%を徴収し再分配する。韓国ではチケット料金の3%が韓国映画発展基金として映画支援に運用されている。(P.111-112)
日本ではチケット料金の半分を劇場が取り、残りを配給会社や宣伝会社などその他の組織で分ける、と聞いている。a4cはフランスや韓国の実情を基にして、劇場に対して映画制作支援用にチケット代から一定の割合での分配をお願いしているが映画館側からは冷たくあしらわれているそうである。つまり映画館も含めた大きな意味での業界は映画制作を支援する気が無いのである。
「韓国の芸術家福祉法と芸術人権利保障法」の節では、韓国においては芸術家とは、文化活動を行う者とは、ということが確立されており、その人権も守られているとわかる。
つい数日前の韓国大統領による上からのクーデターで発出された戒厳令は数時間で覆された。韓国は人権についても民主主義についても非常に成熟した民度を持っていることが証明された。映画についても然りである。日本の落後を憂う。
「フランス:映画の言語と文化の多様性」の節では、それまでに解説した「自動助成」とは別の「選択助成」について解説している。「選択助成」には脚本に関する「創作助成」と映画制作に対する「製作助成」の両方がある。
「新人のための支援の必要性」の節では、欧州や韓国の新人監督支援制度について解説している。日本においても文化庁の日本映画製作支援事業や「若手映画作家育成プロジェクト」などといった制度があるらしいが、まだまだ業界全体のシステムの欠陥が大きすぎて先行きがバラ色とは言い難い。
香港の新人育成については、電影人教育システムもあれば、業界全体(特にベテラン)が新人を育てていこう、香港映画の火を消すな、という気概があるおかげで新しい才能が続々と花開いていると書いた。これからの新しい世代の監督たちの成長と活躍を期待してほしい。彼らは我々の期待以上のものを必ず創り出してくれる確信を私は持っている。
第四章 映画の歴史から学ぶメディアリテラシー
リテラシーに関しては同意することばかりだったが、映画の歴史については知らないことばかりで勉強になった。
「カメラ・オプスクラ→写真→連続写真→映画?」の部分では、歴史を非常に細かく紐解いてあり、トリビア的に面白くて勉強になる。
「あらゆる映像には意図がある」節の「撮影の裏側を知っているかどうかで、メディアの見え方は変わってくる。」の一文(P.201)に震えた。実にその通りであり、この一文は警告として非常に重い。「発信者は意図的に情報を取捨選択している」「あらゆる映像、あらゆるメディアの背後には発信者がいて意図がある」ということに多くの日本人は気付いていない。メディア・リテラシー教育の不在による。だからこそ先般の兵庫県知事選挙で非常に多くの人がデマを信じ嘘に踊らされ正常な判断を欠き、斎藤元彦が再選するという地獄が発生した。
アクション映画の現場に関わる身として、ファンのリテラシーの欠如に何度も驚かされてきた。この年齢でこんな動きが出来るわけなかろうというアクションも、ファンは「xxさん、まだこんなに動けるなんて凄い!」というコメントを見かけることがよくある。自分の推しを神格化しすぎて、現実の状態が見えていないのか、実はこっそり気付いているのだけれど推しがもうここまで動けないということを認めたくないのか。こんなことを言ってしまうとファンの皆さんの夢をぶち壊してしまうのかもしれないが、撮影の裏側をもっと知ることで、冷静になってよくよく考えてから観てほしい。
以上徒然なるままに感想を綴りつつ、香港映画界(の助成金制度)をかなりプッシュしてみたので、日本あるいは世界中の国の電影人が香港との合作に興味を持ってくださると嬉しい。そして当然ながら港日合作映画には私をプリ・プロダクションと撮影現場の通訳として、そして脚本翻訳として使ってくださいよ、とアピールする魂胆があることをここに白状しておく。