思考停止
自分の中で、「○○○しとけば、あるいは○○○と思っとけば、良いだろう」となった瞬間に黄色信号を感じる。
例えば、仕事。達成度やキャリアを考える場面。
「このタスクさえ終わらせばいい。」
「月これだけ稼げればいい。」
「このポストにつけばいい。」
例えば、人間関係。感情や価値観がぶつかる場面。
「向こうの言い分さえ聞いておけばいい。」
「共感を示しさえすればいい。」
「あえて、問題を追及しなければいい。」
しかし、これらは全て思考停止である。
思うに、問題解決のフローチャートは、①問題点の把握、②具体的解決策の思案、③②の実行、④①〜③を繰り返すこと、の4点である。
簡単な事例の場合、だいたい③までは、すんなりいく。しかし、最も陥りがちなのは、②が不十分になることと、④が皆無になることである。
そうなると、問題解決のサイクルが一辺倒で、一話完結型になる。
最悪の場合、''また同じ問題に戻ってしまう''。
そして、成長を感じられない停滞とストレスをもたらす。
これだけは、なんとしても避けたい(はず)。
先の事例で見てみる。
[仕事]
「このタスクさえ終わらせばいい。」
→そもそも、なんのためのタスクで、どのようなリターンや評価を得ると次につながるのか、それらを把握しているか。
「月これだけ稼げればいい。」
→金銭的インセンティブは、妥協で維持できるものなのか。可能だとしても、それば持続可能か。
「このポストにつけばいい。」
→現状の進捗や能力で果たして確実に辿り着けるものといえるか、本当にそのポストは自身に適合しているといえるか。
[人間関係]
「向こうの言い分さえ聞いておけばいい。」
→言い分は、こちらの改善実行を促すものではないか、誤解を含んでいないか、同じことを繰り返していないか。
「共感を示しさえすればいい。」
→そもそも共感を示すものであったか、具体的なアドバイスを求めてはいなかったか、建設的な議論(話し合い)のつもりでなかっただろうか。
「あえて、問題を追及しなければいい。」
→指摘しないことでまた同じ問題にたどりつかないか、認識している問題は本当に根源的な問題か、そもそもの問題に気付いていない可能性はないか。
人は、消極的な選択、短絡的な合理化を好む。
なぜなら、体力や感情を消費することなく、気を休められるからである。
ぬるま湯につかっている''ような''安心を味わえる。
(実際に待ち受けるのは、悲惨な「ゆでガエル」だろう)
ところで、私の友人の中で、「安定を感じると壊したくなる」と言う人がいる。
ある意味で彼は、人よりも停滞ストレスを敏感に察知し、積極的な選択や成長を本能的に実行しているのかもしれない。
#久々 #note#環境変化#成長機会#これでいいと思いたかった#希望的観測#井の中の蛙#ことわざのカエル悲惨がち
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