叱る
基本的に、怒りやイライラはあっても、その感情を当事者にぶつけることは少ない。建設的な会話心掛けている。理由は、配慮あるコミュニケーションでなければ、伝えたい内容も、恐怖や驚きという別の感情で薄れたり捻れたりする可能性があるからだ。「こうして欲しい」という伝達も、大声や威圧感が伴うと、支配になる。私は、コミュニケーションは本来平等であるべきだと考えている。
しかし、今日、教育的(指摘やアドバイス等)コミュニケーションについて友人と話をした。こちら側が、平等なコミュニケーションや配慮を伴う会話をしたにもかかわらず、相手が理解あるいは行動しない場合は、強い口調や激しい叱責も必要だ、と。
世間の言う''気づく方''や''譲歩や忖度をする方''である自分からすると、大きな意識改革である。確かに今までの人間関係を振り返ると、必要な要素なのかもしれない。自分の考えをただ伝えるのでは足らず、そこに強い感情も同時に表す。相手は、そこまでしてようやく事の重大さや私の感情の規模が測れる。
対話においては、理性で感情を押し殺すことを良しとするが、感情こそが対話の根源であることを再確認した。
#叱 #怒#呆