子供のように
ピカソ 青の時代を超えて
ポーラ美術館のピカソ展の紹介番組を見て
わ~見たい!!けど、さすがに
箱根は遠すぎるわね。
と、残念に思っていたところ
ピカソに精通している美術館同士の
創立記念展覧会としてのコラボ企画で
なんと
ローカル地域のひろしま美術館でも
開催されることがわかった。
ここなら行けるじゃんと
あっさり願いが叶うことになった。
私の映し出したい世界が簡単に実現する
こういったことがこれからの時代は
ふつーにおこるのでしょうな。
世の中の春のイベントが少し落ちついた頃
ピカソ展を見に行ってさっそく
願いを叶えてきた。
ひろしま美術館は
すごく大きな美術館ではないものの
所蔵作品に定評があるらしく
有名な画家の良質な作品が
常設展でいつでも見られるという。
何度か拝観してはいたものの
そのすごい価値はよくわからず
サラッと見過ごしていた。
今回は常設展もじっくり見直した。
地方の美術館は、都会で行われる
大物展覧会の巡回のような派手さはなく
こじんまりした感じが多いけれど
このたびは、45周年だからでしょうか
見ごたえのあるボリューム感で大満足。
知識の薄い私からすると
ピカソと言えば訳のわからない造形を描く
破天荒でちょっと奇抜なおじちゃん
といったイメージがぬぐえない。
今回の展示でピカソって
思いつくままというより
構想を練って描いているし
立場の弱いものに対して
とても愛情深い人なんだなと
人間っぽさを知ることができた。
とくに青の時代と言われる作品
ご本人の精神の落ち込みとともに
底辺階級の女性や子供を題材に
暗めの青の重なりで情景を伝え
慈悲深い愛情みたいなものを感じた。
自身の苦悩体験があったからこそ
闇に寄り添える人にしか描けない
作品を生み、その深みみたいなものに
引きこまれるのかもしれない。
青の時代の女性達はどこか自信のなさに
背中が丸みをおびているような。
日常生活を控えめに淡々とこなす姿に
ピカソの優しい視線が伺える。
よく考えたらそうでなきゃ
「ゲルニカ」とか描かないよね。
過去、スペイン旅行に行った際に
本当はピカソの「ゲルニカ」も見たかった。
ツアー旅行では、ゲルニカをかつて所蔵していた
プラド美術館は観光コースだったのだけれど
細かい融通がきかないパッケージ旅行・・残念。
プラド美術館では、短時間ピンポイントの
絵画鑑賞だったけれど、主要な作品は
案内してもらえた。これもその一つ
ベラスケスの「ラスメニーナス」
ピカソはこの題材で
沢山の絵を描いているらしい
中心にいるのは マルガリータ王女
ピカソが描くと
個人的には、だんぜんこちらの王女が好き♡
その他
いろいろな描き方で描かれていた
キュビズムの模索
コラージュ
模写
版画
古代ローマ風
こうやって晩年まで描き続ける情熱
晩年に至ってようやく
「こどものように描けるようになった」
と言って描かれていった作品
こどものように
この言葉が一番響いた
どんな大物巨匠でも
子供の無垢さ純粋さで描く絵
それにかなうものはないという
ことなのだろう。
やはり、子供でいいらしい
頭で計算したものではなく
子供心のままに、遊び心を持つ
それで表現したものは純粋さをまとい
なによりも高い波動を放つ。
人生をかけ、絵を描くことを通して
子供への回帰を辿りながら、巨匠達は
研ぎ澄まされていったのかもしれない。
子供心でないと天界にもどれないよと
イエスか、どなたかが言っていたような・・・
精神の高みをめざし魂を磨くための秘訣。
それに気付くために、青い闇も体験する
そういうことなんでしょうか
人生というものは。
子供心にかえる意識こそ
自分を満足させ 幸せにつながる道
その最短ルートなのかもしれないなあ。
青の時代を超えて〜私の時代を迎えて
ということで
大変、おこがましいのだけれど
子供心で打ち明けるならば
ピカソとは桁違いに素人すぎる
私の「青の絵」をここで差し込み披露
とても単純に見える
ただの青い円だけれど
思ったより難しくて
微妙に色の違う青を幾つか用い
立体感が出るように努めた。
しかーも
下層に何層にも重ねている。
将来、この絵の価値が莫大にあがり
赤外線反射イメージング分光法で
分析されてしまうかもしれない。
そうなったらどうしよう。嬉しすぎる!!
そんな妄想を膨ませ続け
子供心で楽しむほうが
きっと幸せなんだ。
そう、ピエロでいいんだな。
ピカソ展の感想
とてもパワフルだった
大胆な絵と、素描の繊細な線も魅力
絵画もとても良かったけれど
全体的に額層が厚みのある装飾で
絵が浮き出てるような立体感が
さらに絵画を引き立てていた
額層の美しさも見どころのひとつ。
青の絵は重厚感があり精神の反映を
物語っていたようだけれど
より軽やかになった、水色の色彩は
ピカソのイメージが変わり
とても柔らかくて美しいと感じた。