不審密漁 side IZUMI
サベネアの強烈な日差しと大理石の照り返しが鱗と肌を焼く。ジュニャーナ洋上祭殿の岸壁に腰掛けた水着姿の私は、いま目の前で大きく曲がった自分の竿と対峙している。この反応。ゆっくり動く生き物が餌を引っ張っている証拠だ。一匹あたり5000ギルはくだらないサベネア特産のジンガ…ようは高級なエビだ。そいつがいま、餌であるサバの切り身を咀嚼している、はずだ。
ふと傍のバケツに目をやる。詰め込まれているはずだった札束エビの姿は無い。坊主だ。主催から渡されたサバの切り身だけが虚しく減っていく。今度こそ逃すものか。竿のしなりが僅かに強まった。ここだ!プレシジョンフッキング!巻き取られていく釣り糸!そして姿を現したるは!靴底のようなカレイ、ケイークソール!なんでだよッ!私は思わず地団駄を踏んだ。
「荒れてんなぁイズミ」
やりきれない気持ちでケイークソールをリリースした私の名を呼ぶ声がする。振り向くとそこには同じく水着姿の銀髪ハーフミコッテ、サン・ゴッドスピードがいた。手には寿司下駄。何で?
「寿司握ったけど、食べる?」
差し出された寿司下駄には見事なエビの寿司が並んでいた。…ちょっと待て。エビ?今日のノルマでは?
「いや、いま大量に水揚げされたから、ほら」
「うわキモッ」
サンが指し示す先には人だかり。その輪の中央には、大量のエビがギチギチと蠢くおぞましい塊が置かれていた。めちゃくちゃ気持ち悪い。素直な感想が出てしまう。そしてよく見るとエビの隙間には白目を剥いて失神している青髪ヒューラン男性の顔があった。確か名前は…オカカ。
「人間ルアーだとか言って突き落としたら本当に寄ってきたんだってさ」
「…そうはならないでしょ」
思わず否定したが、そもそもこの集まり自体、チキンヘッド頭の変人「不審鳥」の主催だ。常識的な態度で臨んだ私の方に問題があったのかもしれない。
「…醤油ある?」
「ほらよ」
「ありがと」
尊い犠牲に祈りを捧げ、私は天然のエビ握りを一度に二つ食べた。
◆◆◆
オカカの犠牲により主催者のノルマは達成されたが、それはそれとして私はカネが欲しい。なので引き続き釣り糸を垂らしているのだが、相変わらず反応は無い。サベネアのエビは絶滅した可能性がある。
「…サンは最近なにしてんの」
居た堪れず、少し離れて座るサンに声をかけた。銀髪の女はわざとらしくメガネを直し、口を開く。
「真面目に仕事してる」
「…なんかデカいヤマとかない?」
「企業秘密だね」
「だよねー」
「私にそんな事聞いてないでとっとと冒険に出掛けなよ」
「そう思ったから今日はこの話に乗ったんだけど…」
「迷走してんね」
サンは僅かに笑い、私はわしわしとツノを掻いた。冒険。冒険ってなんだろう。世の中全てが冒険と言って憚らないあの娘は、こんな悩みを抱くこともなく、今日もどこかで剣を振るっているのだろうか。
「まぁ、お前はお前なんだから、誰かのマネとかしてもいい事ないよ」
図星だ。
「…わかってるよ」
私は晴れ渡るサベネアの空を仰ぐ。
どこまでも、青い。
「あと冒険ってのはチャンスを掴むことが大事」
「そーだね」
「浮き、沈んでんぞ」
「うわッ!ホントだ!」
慌てて視線を海面に戻す。さっきよりも強く竿がしなっている。私は汗ばむ手で竿を握り込んだ。食いついてから何秒経った?もうフッキングしていいの?私は思わずサンを見やる。ニヤニヤ笑うだけだ。あぁッもう!見てろ!
「イヤーッ!」
思い切り竿を引き、リールを回す!さっきよりずっと大きな抵抗に打ち勝つと、ひときわ大きなエビが姿を現した。お待ちかねのジンガ…どころの大きさじゃない!トゲだらけの鎧のようなこいつは…!
「ほう、具足海老ですか」
声を上げたのは黒髪ヒューランの男。たしか…シュベルトだ。まだ釣り糸の先でびちびちと動くそれを、顎に手を当てて観察している。
「サベネアで採れるなんて話は聞いた事ありませんが…まぁ、そういうこともあるのでしょう」
「ふふ…これが私の実力ってね」
具足海老。私の故郷であるひんがしの国ではハレの日のご馳走だ。ジンガよりもずっとでかい。脳内で皮算用が始まる。最後の最後で、私は大当たりを引いたのでは無いか?
「あー、イズミちゃん。大当たりと思ってるみたいだけどォー」
「ぬあぁ!モノローグを読むな!」
慌てて振り返ると、そこにはチキンヘッド姿の女がいた。不審鳥ことウィンコだ。
「具足海老、もう旬は過ぎてんだよね。冒険者マーケットじゃ投げ売りされてんだわ」
「うそ!?」
「本当だって!ねぇサンちゃん!シュー先生!」
二人は無言で頷いている。そんなばかな…。わたしはしなしなとその場に崩れ落ちた。角まで垂れ下がったような気分だ。
「そろそろお開きなんだけど…ほら、オカカのジンガ、参加賞」
「イズミさん、元気を出してください。具足海老、美味しいですから…。ん?」
私を慰めていたシュベルトが訝しげな声を上げた。
「…このエビ、なにか抱えてますよ」
◆◆◆
「ただいま」
「あ!お姉様!おかえりなさい!」
仮住まいであるラザハンのアパートに戻ると、屈託のない声が出迎えた。少し前から組んでいる相棒のラディだ。ひんがし基準で言えば六畳一間程度のこの部屋でルガディン族と相対すると相当な迫力がある。それでも特に圧を感じないのは本人の大型犬めいた性格のせいだろうか…。
「どうでした?法に触れたりしてませんか?」
「あー、大丈夫大丈夫」
「良かった…。あの鳥、本当に怪しくて…」
「まぁ、わかるよ。不審だよね」
不審鳥の怪しさを指摘してくる人間は久しぶりだった。よく考えなくても慣れてるいい存在では、ない。
「あぁそうそう、釣果はイマイチだったんだけど、こんなん拾ったんだ」
私は懐から包みを取り出し、食卓の上で広げた。私の拳大の黒い球体。よく見れば半球をふたつ合わせたような構造で、全体を血管のような幾何学模様が覆っている。
「アラグの…遺物ですか?」
「たぶんね。釣り上げた時は動いてたんだけど、すぐ止まっちゃった」
ラディは大きな身体を折り曲げ、物珍しそうに異物を触る。この子が持ったらマテリアみたいだな…。
「ほら、今アラグで盛り上がってるじゃない。なんかあるかもって、ね」
「お姉様…この間アラグの件で大変な目に遭ったのに…」
ラディは目を伏せ、沈痛な面持ちになった…かと思えばころりと表情を反転させる。
「その不屈のチャレンジ精神!さすがです!」
「そうでしょう。ありがとね」
どう考えても入れ上げる相手を間違えてると思うのだが、いちいち否定するのはもうだいぶ前にやめた。私は適当に返事をしつつ、アイスクリスタルを詰めた鞄から本日の釣果を取り出した。ぎちぎち動く、具足海老。
「あっ!見事なエビですね!」
「タレも貰ってきたから、焼いて食べよ。私さばくから、あんたは部屋片付けといて」
「はーい」
狭いキッチンに立ち、私はシュベルトから渡された鬼殻焼きの手順メモを見返す。まず氷水で〆てから鍋で茹でる、らしい。そのまま焼けばいいのかと思っていたけど違うみたいだ。面倒だけど、プロの言う事には従わないと。
氷水に叩き込まれて静かになっていく具足海老を見つつ、拾った遺物について想像を巡らす。アラグの事なら聖コイナク財団かガーロンド・アイアンワークスだけど、飛び込みで鑑定なんかしてくれるだろうか。ラザハン界隈にそのへん詳しい冒険者でも居れば手っ取り早いんだけどな。明日ちょっと探してみるか。新たな冒険の始まりになることを祈ろう。
ちら、と後ろに視線を巡らせば、ラディが食卓を整える姿が目に入った。遺物が冒険に繋がるなら、今度はこの子と二人旅だ。私の何が良いのか未だにわからないけれど…まぁ、いいか。
そうこうしているうちに鍋に入れたお湯が沸いた。私は海老を鍋に移し、茹でる工程に進んだ。ラディはどこで買ったのかわからない派手なテーブルクロスを敷き始めた。
【了】