荒れ狂う混沌の焔 3
輝く剣と氷の矢が魔人と化した男に殺到する。青く輝く魔人は火炎魔法でこれを相殺。飛び来った刃は悉く爆散した。だがその対消滅の光芒を押し潰さんばかりに岩雪崩が迫ってくる。
岩石と土砂、そして埋没していた遺物の数々を巻き上げながら、大質量が魔神を飲み込もうとした。地属性魔法だ。魔人は戦斧を縦に振り抜く。放たれたエーテルの刃で岩雪崩は真っ二つに裂け、魔神の左右を通り過ぎて行った。
魔人は更に殺気を感じ、前方に目をやる。鬱陶しい魔法を放ってきた矮躯の男が、不釣り合いな機械の翼を広げてこちらへ突進してくるのが見えた。
「無駄ナ事ヲ!」
魔人は印を結び、手をかざした。その瞬間矮躯の男の機械の翼は消え失せ、突進は停止した。魔人は狼のようなその口吻を吊り上げ嗤った。嗚呼、俺はまさに闇の異形者の力を得たのだ。地の底に眠っていた死骸から、俺は力を引き出す事が出来たのだ、と。全能感で満たされた魔人は歓喜の咆哮をあげ、その身から溢れる魔力を出鱈目に投げつけた。矮躯の男は逃げながら魔法を放ち抵抗する。飛び交う魔法が闇を裂き岩盤を砕いていった。
そんな極限状態の脇を這うように進んだラディは、ようやく倒れ伏したイズミの元へ辿り着いた。
◆◆◆
「お姉様!お姉様ッ!」
ラディは震えながら血まみれのイズミに呼びかけた。少なくとも五体満足ではあるが、まるで反応がない。呼吸は感じとれず、心音も極めて不安定だ。抜き差しならぬ状況を前にしてラディは恐れ慄き、その思考を手放しかけた。
それでも彼女の意識はあと一歩のところで踏みとどまる。初めてイズミと共に戦った時の奮起を、彼女は覚えていた。私は、私は出来た。だから、出来る。私がお姉様を救うんだ!ラディの涙に濡れた瞳は決意に燃えていた。
ラディは医療鞄から拳大の魔導器具を二つ取り出した。賢学を修めた者が用いる短杖にも似たそれをイズミの右前胸部と左腹部にあてがう。ラディは深呼吸し、それぞれの起動トリガーに指をかけた。ラディは魔法で即座に傷を塞ぐような芸当など出来ない。それでも、命を繋ぐ事は出来る。出来るのだ。
ラディは祈るようにトリガーを引いた。魔導器具に溜め込まれた雷気が解き放たれ、イズミの身体を駆け巡る。気嚢が弾け飛ぶような音が響き、イズミの身体は跳ね上がった。ラディは心を強く持ち、器具の動作終了を確認すると共にイズミの心音を確かめる。不安定で消え入りそうだった心音は、規則正しい律動を取り戻していた。成功である。
今際の人間に雷撃を加えるなど、エオルゼアの治癒術士達が聞けば卒倒する所業であろう。だが、乱れた心臓の雷属性エーテルを外部からの雷撃で正す手法はすでにガレマール帝国で確立されていた。その帝国から技術を鹵獲し取り込んできたボズヤ暫定政府軍にいたラディもまた、いざという時のためこの雷撃蘇生装置を準備していたのであった。
「まだ…まだ安心しちゃだめ!つぎは…!」
雷撃蘇生装置は死にゆく命を僅かに引き戻す効果しかない。稼いだ時間のうちに次の救命行為を始めなければならない。ラディが処置の準備にかかった、その時である。
「ううッ…ゲホッ、ゲホーッ!!」
イズミは身体を捩らせ、血反吐を吐いた。激しく咳き込み、身体を貫く痛みにのたうち回った。
「うあぁッ…あぁぁぁーッ!!」
「お姉様!大丈夫!大丈夫ですッ!」
ラディはイズミを落ち着かせようとする。イズミはなおも叫び、身を捩らせた。がくがくと震える右手が何かを探して地面を叩く。
「私の…刀…どこッ…!」
「やめてくださいッ!無理ですッ!」
イズミの愛刀和泉守兼定は魔法が飛び交う戦場の只中に取り残されていた。立ち上がる力も振るうべき刀も失ったイズミは、それでも燃える瞳で戦場を、刀を、あの男を見た。スズケンがあの男と戦い続けている。あの男が何者で、何を企んでいるかなど、もはやどうでも良かった。やられた分は絶対にやり返す。それだけだった。
そしてイズミは決断的な目でラディを見た。
「…後でどうなってもいいから、身体を動くようにして」
「そ、それはッ」
「なんかあるでしょッ…そういう…やつ…ッ!」
ラディに心当たりはあった。確かにそういう霊薬はある。だが、今ようやく生命を繋いだ相手に、そんな事は。
「お願い」
イズミは首を振るラディをなおも見上げた。
「絶対勝つから」
ラディは目を逸らし、嗚咽した。
そして再びイズミを見た。
◆◆◆
スズケンはステッキを振い、頭上に輝く剣を顕現させ魔神に向けて撃ち放つ。生成が遅くなっている。毒で弱った身体を青魔法の力で無理矢理動かしている以上、いずれ体力も魔力も尽きるのが必定だ。
輝く剣が魔人に刺さり、爆発する。しかし魔人は意にも介さず傷を復元させていった。回復リソースは、恐らくあの巨大な化石。トリガーウェポンのエーテル操作で無理矢理化石と接続し、膨大なエーテルを引き出しているのだ。
トリガーウェポンにそんな使い方があるなど聞いた事がない。あの聖石片が影響しているのだろうか?是非ともそのメカニズムを解き明かしたい。それだけではない。この遺跡も、埋もれた秘宝も、目につくものは全て探求したい。スズケンは次の魔法を詠唱しながら、そんなことを思った。その為には生き残らなければならない。なんとしても。
「そろそろ勝負に出なければ…ですねッ!」
魔人の放つ魔法を紙一重で回避しながら、スズケンは魔力をステッキに結集させた。溢れる魔力が巨大な右手を形作っていく。究極兵器が用いたという必殺技、ロケットパンチだ。相対する魔人は一瞬怪訝な仕草を見せた後、改めて魔法詠唱に入った。スズケンはニヤリと笑う。これは攻撃封印の対象ではないのだ。
「まだまだッ!」
本来であれば即時発射される鋼鉄の拳をスズケンは保持。更に左拳を生成した。ダブルロケットパンチの構え!魔力で浮遊する緑髪のララフェルは巨大な拳をつなぐ蝶番のようであった。
「装填…照準…発射!」
右拳発射!地面を抉りながら握り込まれた鉄拳が火を噴き、魔人に迫る!魔人は風魔法の防壁を作り出し、これに対抗!ガォン!渦巻く乱風が鉄拳の軌道を逸らす!だが!
「ヌゥーッ!」
鉄拳が魔人の半身を打つ!そのまま狂った軌道を飛んだ鉄拳はイズミとラディの目の前に着弾!魔人はふらつき、よろめいている!
「逃しませんよッ!」
スズケンは左拳の指を大きく広げ、発射!魔人は詠唱が間に合わない!
「グワーッ!?」
ロケットパンチの巨大な掌が魔人を捕縛!その動きを完全に封じた!魔人はもはや鉄拳の上に生えた胸像でしかない!
スズケンは残る魔力全てを両手に込める。練り上げられた青く輝く生命エーテルが血涙を流すスズケンの顔を照らし、大地を鳴動させた。
「渦なす生命の色、七つの扉開き、力の塔の天に至らん…!」
バシン!スズケンは眼前で掌を叩き合わせ、最後の詠唱と共に魔力は臨海に達した!かつての冒険で古代の暗殺者から学習した必殺の究極魔法!だが、魔人もまた禍々しい魔力を練り上げる!
「畏国式アルテマ!」
「フィアガ!」
魔人は裂けた口をめいっぱい広げ、叫んだ。何も起きなかった。アルテマは、放たれなかった。鉄拳がゆるやかに崩れていった。スズケンは何も放たれなかった両腕を、それでもなお相手にかざしていた。鉄拳の拘束を逃れた魔人は下卑た笑いを浮かべながらスズケンに歩み寄っていく。
「…今ノハ、サスガ二、焦ッタゼェ」
背後の化石から、黒い魔力の奔流が緩やかに流れ、魔人の身体に溶けていく。溶けるほどに、スズケンが積み重ねたダメージが復元されていった。
「輪廻王カオスハ、敵ノ魔力ヲブチ壊ス魔法スラ操ッタノサ」
「えぇ、そうです。あなたがそれに思い至らなければと思いましたけど、残念です」
魔力を使い果たしたスズケンはがっくりと膝を折る。ステッキの支えでかろうじて倒れていないが、限界だった。魔人の笑い声が響き渡る。
「ハハハ!接続ガ、ドンドン深マッテイル!オレガ、オレ様ガ、輪廻王カオスナンダ!」
「…何が輪廻王ですか。紛い物」
「…アァ?」
「僕の知るカオスは、神話に謳われる輪廻王は、僕なんか一瞬で消してしまう」
スズケンはぎりぎりと地面に爪を立てる。
「あの化石も…この迷宮も…埋もれた財宝も…一体どれほどの価値があるか…計り知れないんだ」
魔人は斧を肩に担ぎ、スズケンの前に立った。
「そんな事もわからず暴れるだけの…上っ面の紛い物。それがあなたですよ」
「テメェモ、ジジイト、同ジ事ヲッ」
魔人は斧を構えた。スズケンはその場から動けない。だが、魔人が斧を振り下ろそうとした時、その身体が僅かに動いた。
「甘ェー!」
魔人は逆の手を突き出し、攻撃封印を放った。スズケンの身体は弛緩し、どしゃりと地面に倒れ伏した。
「何ヲ企ンデ、ベラベラ喋ッテンダカ知ラネェガ」
再び魔人は斧を構えた。
「無駄ナンダヨ!」
「…やっぱり、あなたは何も見えてない」
「黙レ!」
「こんな僕にそれ使っちゃって…この後どうするんです?」
その時、魔人はようやくそれに気付いた。魔人が振り向く。殴り殺したはずのアウラの女が宙を飛び、鞘に納められた刀を解き放とうとしていた。
馬鹿な。何故。魔人は鈍化した主観時間の中で、視界の端に目をやる。輪廻王の力が幾つもの星として感じられる。だが、攻撃封印の星の輝きが完全に戻っていない。半死半生で生気のない女の腕が伸び、鞘の中から刃が現れるのが見えた。女の刀のいやに豪奢な飾りが目についた。刃が迫る。星の輝きが…戻った!魔人は、叫ぶ!
「イヤーッ!」
攻撃封印が女に直撃した。魔人の上半身と下半身が分断された。
「エ?」
魔人は視界の端の力の星を見た。攻撃封印の星は輝きを失っている。確かに発動した。能力は絶対だ。何故。魔人は女を見た。死体のようだった女の顔に、確かな憎悪の炎があった。その体の後方へ、妖異のような影が消えていくのが見えた。
「ご苦労。私のアヴァター」
信じられない事だが、鈍化した主観時間の中で魔人は確かに女の声を聞いた。そして気付いた。相手は二人重なっていた事を。
イズミは真言を唱え、刀に眠る力を引き出した。
赤き五月雨に地を染めろ
火喰い刀、塵地螺鈿飾剣
「乱の炎ッ!」
膨大な焔のエーテルが解き放たれ、荒れ狂った。暴れる焔が瞬時に洞窟の壁を抉り崩壊させていく。イズミはあらん限りの力で刀を従わせ、全ての焔を刀身に結集させた!生命を燃やすのは、今だ!
「返し波切…焔の型!」
洞窟に赤い流星が走った。
魔人の首と化石の首が、同時に斬り飛ばされた。
「…バカナ!ソンナ、バカナァァァ!」
驚くべき事に、魔人と化した男の首はまだ生きて叫んでいた。だが、損壊した肉体に有り余る魔人の力を抑えることなど叶わない。魔人の首が醜く膨れ上がった。イズミは背を向け、納刀。
「…ブッ殺した」
KABOOOOOOON!!!!!!!
輪廻王カオスを名乗った男は爆発四散した。その名の通り、混沌の焔と化し、消えていった。トリガーウェポンたる斧と、巨大な化石の首だけがそこに残されていた。
◆◆◆
「お見事です。イズミさん」
倒れ伏したスズケンが親指を掲げている。
「…勢いで使ったけど、この刀、なに?」
イズミはその手に握った刀を見る。塵地螺鈿飾剣。その名と真言はラディから聞いた。煌びやかだった拵えは見るも無惨な有様だった。何の魔力も残っていない。
「正真正銘、イヴァリースに伝わる伝説の武器ですよ。マウンテンバスターで地面を抉った時に見つけました」
スズケンはよろよろと立ち上がった。
「これなら勝てると確信したんですが、いかんせん刀は専門外です」
だから託したのだ。初弾のロケットパンチに塵地螺鈿飾剣を握り込み、イズミの元へ。—イズミは落としていた本来の愛刀を拾い上げながら応えた。
「綱渡りが過ぎるよ。私があのまま死んでたらどうするつもりだったの」
「貴女なら、死んでもやり返しに来るでしょう?」
「…まぁね。信じてくれて、ありがと」
イズミは血まみれの顔でニヤリと笑った。
「いえいえ。それはそうと、身体は大丈夫なんです?」
「あー、それね、うん」
イズミは目を逸らし、バツが悪そうにツノを掻いた。後方からどすどすと巨体を揺らしながら、ラディが駆けてくる。その顔は遠目にも大泣きしているのがわかった。
「なんか、ボズヤの霊薬…?てやつ、キメたんだけど」
イズミの声が震え始めた。
「そろそろ、やばい、かも、あッ」
蛇口を開いたように鼻血が流れ、イズミは崩れ落ちた。ラディに無理矢理投与させた霊薬の効果がついに尽きた。受け身も取らず地面と激突する寸前、その身体をラディが抱き止めた。イズミは白目を剥き、びくびくと痙攣している。
「ゔわぁぁお姉様ぁぁ!!だから、ダメだって言っだのにぃぃぃ!!」
「ら、ラディさん落ち着いて!急いで地上に戻りましょう!」
「わがりまじだぁぁぁぁぁ!!!!うわぁぁぁぁぁん!!!!」
ラディは泣きながらイズミとスズケンを両脇に抱えた。
「斧!あの斧も忘れないでッ!」
「はいぃぃぃぃぃぃ!!!」
ラディはさらに斧を背負い、暗い洞窟を凄まじい速度で駆け戻って行った。地面に落ちた化石の首だけが、その姿を見つめていた。
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◆エピローグ◆
木漏れ日の差し込む林道を、ひとりの緑髪のララフェルが歩いている。身の丈を越える長槍に調査機器の詰まった背嚢を背負い、黙々と歩みを進めていた。久しぶりの一人旅は気楽でもあり、淋しくもあった。仲間との他愛のない話は思いのほか冒険の彩りになっていのだと気付かされる。
辺境の田舎町に高度医療などあるはずもなく、イズミはあちこちたらい回しにされた挙句、最終的にラザハンの病院に担ぎ込まれた。魔法と薬で命を繋ぎ止め続けた道中は思い出しても寒気がするが、どうにかこうにか峠は越えた。イズミのそばで看病を続けるラディはラザハンに残り、スズケンは再び探求の旅に戻った。その後の手紙によれば、イズミの容体もずいぶん良くなったらしい。
アラグの聖遺物、トリガーウェポンの斧はダルマスカ政府の管理下へ戻った。巨大な化石も厳重な封印が施された。あの男—ジョアキムが結局何を思い凶行に及んだのか、今となってはもうわからない。生家に遺された文献を見る限り、殺された父親はあの化石を輪廻王カオスだと信じて研究していたそうだ。何らかの仲違い。そういうものだろう。
兎角に考古学は不可思議だ。スズケンはつくづくそう思う。古代都市の遺構とあたりをつけたあの場所は、恐るべき魔が眠るディープダンジョンだったのだ。まだまだ知らない事は山ほどある。だから面白い。冒険はずっと続いていく。
林道を抜けた先、ごつごつとした岩場の影に暗い穴が口を開けている。スズケンは少し立ち止まり深呼吸すると、ランタンに火を入れ、闇の中へ歩み出した。
輪廻王らしき化石の眠るの部屋は封印されてしまったが、遺跡そのものはまだまだ拡がっている。道を塞がれたのなら別な道を探すだけだ。挑み続ければまた伝説の武器だってお目にかかれるだろう。
暗い洞窟の中に不意に冷たい風が流れた。まだ見ぬルートを示す手がかりだ。スズケンは迷いなく洞窟の奥へ歩みを進めた。
【了】