荒れ狂う混沌の焔 2
「お、お姉様ッ?!スズケンさんッ?!」
イズミたちから斜め後方にいたおかげで難を逃れたラディが叫ぶ。助けなければという薬師の責務が彼女の心を満たす。だがラディは逸る気持ちを抑え、暗い戸口に銃口を向けた。
BLAM!!! BLAM!!! BLAM!!!
戸口から伸びていた腕を弾丸が貫いた。
BLAM!!! BLAM!!! BLAM!!!
更に連射。弾丸は壁を当たり、腕は闇の中に戻っていった。ラディはポーチから挿弾子を取り出し、弾丸を込め直す。横目でイズミたちがいた場所を見やる。晴れていく爆煙の中に盾のようなものを構えたイズミの姿が見えた。スズケンもその足元にいる。ひとまずは、無事だ。
ラディはそのまま戸口まで駆け、暗い室内を覗き込んだ。ひどい鉄の匂いがする。奥へ続く血の痕を目で辿ると突き当たりの洞窟のような闇があった。ラディは当てずっぽうを承知で引き金を引いた。
BLAM!!! BLAM!!!
闇の奥からくぐもったうめきが聞こえた。たまたま当たったのだろうか。そのまま追いかけようとした背後でがしゃりと音がした。振り返ると盾を取り落としたイズミが苦しそうにうずくまっている。スズケンもだ。いけない。
「お姉様ッ!」
ラディは今度こそ二人のそばに駆け寄った。イズミの足元に落ちていたのはよく見ると盾ではなく、傘の如く巨大な扇だった。おそらくはまたひんがしの国から取り寄せたものだろう。普段のラディであれば目を輝かせて由来を聞くところだが、今はそれどころではない。イズミとスズケンに目立った外傷は無い。だが共に喉を押さえ、苦しげに呻いている。
「毒…!」
爆発は仕込み傘で防げても、毒の霧までは防げはしない。ただ家に近付いてきただけの相手にこれだけの事を仕掛けてきたというのか。ラディは背筋に寒いものを感じつつ、エーテル波形測定器で二人を調べた。不自然な偏り。魔法による毒だ。ラディは対応する解毒薬を二人に飲ませた。
「も、戻りましょう!ちゃんと治療しなくちゃ…」
ラディはうずくまるイズミの背中をさすりながら伝える。薬を与えたら即座に全快などという事はない。だが、イズミは震える身体を押して立ち上がった。
「お姉様ッ!」
「やられっぱなしで…帰れるか…!」
蒼白の顔面だが、その目は燃えていた。同時に、ずしんと地面が震えた。偶然の地震とは思えなかった。何かが進行している。
「スズケンさんは…どう…?」
「…後から、追いかけ…ますッ」
スズケンはまだ立ち上がれない。同じ毒を喰らったならば、体格の小さなララフェルはそれだけ症状が重い。だが、彼もまた退くことは考えていないようだった。
「…ラディ、行くよ」
イズミは決断的な目でラディを見た。ラディは頭に渦巻く薬師としての警告を振り払い、頷いた。
◆◆◆
血の跡を辿りながら二人は暗い洞窟を降りていく。ランタンの灯りだけが頼りだ。通り抜けた家屋の中では首を失ったエレゼンの遺体が転がっており、積み上がった研究資料を血に染めていた。それらを改めている時間はない。
まずはあの男に追いつかねば。イズミの体調は最悪の一言だが、怒りの籠った歩みは力強かった。ラディはイズミの精神力を信じ、その後に続いた。
やがて突き当たりにエーテライトめいた装置が現れた。いわゆる「古代の遺跡にはよくある装置」だ。血痕も装置の前で途切れている。イズミは迷いなく装置を起動し、二人は魔力の奔流に身を任せた。
奔流から解き放たれた瞬間、イズミとラディは背中合わせで武器を構え、周囲を警戒した。誰もいない。さらに周囲を見渡す。天然の洞窟に人の手が入ったような石畳や柱が見える。装飾の雰囲気に見覚えがあった。ここ数日探索を繰り返していたゼラモニア遺跡。その未知の階層なのだろう。
正面に見える大きな扉がわずかに開かれてる。さっきの揺れはこれが開いた事が原因だろうか?イズミは迷いなくその隙間を潜り駆けていった。ラディは扉の紋様が文献か何かで見たような気がしたが、すぐに思い出せなかった。スズケンさんならわかっただろうかと、今ここにいない仲間を案じながら、ラディもその後に続いた。
「いた」
その言葉と共にイズミは遠当ての構えを取った。イズミの視線の先をラディも見やる。通路の先、20フルムの位置に男が背を向けて立っていた。背中にはあの斧。間違いない。ラディも銃口を向ける。
SLASH!!! BLAM!!!
剣気の刃と鉛の弾丸は過たず男を捉え、その身体をよろめかせた。だが、倒れる事なく足を踏ん張り、イズミ達の方に振り返った。その距離約5フルム。重傷のはずの男は破滅的な笑みを浮かべ、口を開いた。
「…ひどいな、警告も無しに」
「黙れ…。お前も…だろッ」
イズミは脂汗を流しながら言い返し、相手を見た。腕や脚から血を滴らせ、甲冑も損傷している。加えて既に斬撃の間合い内。制圧したも同然だ。だが、この悪寒は冒された毒のものだけとは思えなかった。
「…私が父親を手にかけた理由とか…気にならないんです?」
「う、動かないで!撃ちますよ!」
徐に懐に手を入れた男にラディが叫ぶ。だが男は奇怪な笑みを止めない。イズミは脚に力を込めた。
「まぁ、どうでも、いいでしょうねッ!」
男は懐から輝く石を取り出し、掲げた。ラディは撃てずにいた。イズミは踏み込み、男の胴を薙いだ。間違いなく脊椎を断つ剣筋。しかしその刃は男の身体に届いていない。イズミの身体は斬撃の途中で動かなくなってしまった。
イズミは己が抱いていた「斬ろうとする意志」が消えている事を自覚し、戦慄した。心を奮い立たせ再び刀に力を込めた時、既に男の肥大化した拳の直撃を喰らっていた。
鈍い衝突音の後、細いアウラの身体は糸の切れた人形のように吹き飛ばされ、壁面に激突した。イズミはもはや呻き声すら上げず、ずるりと地面に沈んだ。それがラディの目に映った光景だ。
頭が真っ白になったラディはそれでも銃口を男に向け続けた。男の掲げた石と背負った斧は輝きを増し、男の姿を変容させていった。体躯は肥大化し、青く輝く鎧のような肉体を作り上げていく。端正な顔は悪鬼の如く凶悪な容貌へ歪み、五本もの巨大な角が形成された。ラディはその威容に圧倒され、銃を取り落とした。
変異の終わりと共に、男は咆哮を上げる。如何なる作用によってか、壁面に次々とエーテルの灯りが輝き始めた。その光が広間の奥の闇を払い、広大な空間に鎮座するものを映し出した。ラディが悲鳴を上げた。
全長20フルムを越えるそれは巨大な化石である。胡座体勢で鎮座するその貌は、目の前にいる男が変容したものと瓜二つだった。そしてラディは目の前にいる魔神が何であるか、ついに思い至った。古イヴァリース時代の伝承に残る、秩序ある条理や精神全てを混沌へ落とす悪神—
「輪廻王…カオス…!」
顕現した悪神は一切の慈悲も無く、ラディに向けて剛腕を振りかぶった。ラディはもはや動けず、立ち尽くしていた。目を瞑り、終わりに備えた。
だが終わりが訪れるのは今では無かった。
BOMB!!! BOMB!!! BOMB!!!
ラディの背後からいくつもの輝く剣が飛来し、魔神の剛腕に突き刺さった。剣は即座に爆ぜ、魔神を押し返す。魔神は抉れた腕の再生を図りながら、訝しむようにラディの背後を見た。
ラディが振り返ると、通路の入り口に仮面を着けた小さな男が立っていた。彼はステッキをくるくると回し、輝く剣を再び顕現していく。
「輪廻王カオス、刃向けんとすれば力萎え、さりとて魔の力はその身を貫かん…」
カツン、とステッキを地面に打ち鳴らし、男は仮面を額に上げた。ラディのよく知る男であった。
「伝承通りでしたね。全く、厄介な…」
「スズケンさんッ!」
「貴女はイズミさんを!こいつは僕が…!」
スズケンの手に氷の魔力が集中し、巨大な弓を形作った。氷雪乱舞の構え。
「仕留めますッ!」
輝く剣と氷の矢が魔神に向けて放たれた。魔神は咆哮し敵意を剥き出しにする。ラディは勇気を奮い立たせ、倒れ伏すイズミの元へ駆け出した。