多彩なる都の星芒祭
高温多湿なサベネア島は霊六月であっても寒さとは無縁だ。夜でも外套を羽織る程度で出歩ける。ゆえに路頭で凍える子供とそれを救う騎士達の祭りは根付いておらず、人々は間近に迫る新年に備えているのが常である。しかし、今宵の夜風に乗って聞こえてくる旋律は、近東に住まうものには縁遠い、エオルゼアに住まうものには耳馴染みの管弦楽であった。
荘厳なるメーガドゥータ宮、その客間のバルコニーから眼下の広場を見下ろせば、赤い外套に身を包んだ楽団が煌びやかな楽曲を奏でている。はるばるエオルゼアから星芒祭を伝えにやってきた楽団であった。
バルコニーに立つ編み込み髪の少女は、手すりに乗せた指で拍子を取り楽しげだ。一方、その横に立つ黒ずくめの女は感情のない顔で楽団を見下ろしていた。やがて女がぼそりと呟く。
「…エンソウカイ、だったか?よくわからん」
少女は眼下の楽団から隣の女に視線を移す。気を抜けば見失ってしまうほど、闇に溶け込んだ佇まいだ。
「やっぱり、不思議ですか?」
「あぁ」
黒ずくめの女—ゼロが知る世界とは互いを喰い合う場所であり、それ以外の行為など存在しなかった。僅かに残った世界が闇に沈む前の記憶すら、戦乱の光景しかない。
「お前達が集まって騒ぐオマツリとやらは、私にはエーテルの無駄な消費にしか思えん。———なぜそんな事をする?」
部屋の明かりが照らす端正なゼロの表情に曇りはない。ただ純粋に解らないから聞いている、そんな幼子のような雰囲気だ。問いかけられた編み込み髪の少女—ソフィアは少し考えを巡らす。ややあって楽団の演奏が途切れると、彼女は口を開いた。
「色々な考え方がありますが、希望を見出すためだと思いますよ」
「お前たちはその言葉ばかりだな」
「大事ですからね。——希望を持って生きていけば、終末だって乗り越えられる。わたしたちはそれを示しましたが、それでもやっぱり生きていく事は大変です」
ソフィアは夜空を見上げながら続ける。
「厳しい冬を乗り切れなかったらどうしよう。作物が実らなかったらどうしよう。希望を抱きたくても、一人でいたら不安は大きくなってしまいます」
「そういうやつは死ぬだけだ」
「そうですね。でも—」
楽団の演奏が再び始まった。聖人に祈りを捧げる、厳かな曲だ。
「つらい日々でも、楽しいお祭りがあるなら、もう少しがんばってみよう。きっとその日はいい事があるはず。と考えるんです」
ソフィアは穏やかに微笑みながらゼロに向き直り、続けた。
「そして素敵なお祭りを体験して、あぁ、またこの楽しい日を迎えたいな、がんばって生きていくぞ、そう思えるもの。お祭りって、そういうものなんだと思います」
「そうか」
ゼロは広場に視線を落とす。楽団は再び賑やかな音楽を奏で始めた。家々の窓灯りに時折影が差すのが見える。みな、珍しい光景を楽しんでいた。
「よくわからん。わからんが——」
灰色の瞳は奏者を見つめる。
「———退屈はしない」
ソフィアはにこりと微笑みを返した。旋律は夜風に乗り、星芒の中へ溶けていった。
◆◆◆
「はーい!メリースターライト!こちらの星芒ケーキ、現品かぎりのォ、大安売りとなっておりまーす!」
人が行き交うラザハンのバザールに投げやりなセールスの声が響く。仮設店舗に掲げられた看板には「ウルダハ名物」「星芒ケーキな」「実際有難い」など、商魂逞しい文字が踊っている。陳列されたケーキは実際確かなものであり、ウルダハの街であればすぐに売り切れたかもしれない。
だが星芒祭にもエオルゼアの菓子にも馴染みが薄いラザハンの民は、珍しげな視線を送りこそすれ、皆素通りしていく。どちらかといえば、赤さだけで星芒祭だと言い張っている、短いスカートを履いたアウラの売り子に声をかける輩の方が多いぐらいであった。
アウラの売り子—青葉イズミはゴミのような気分だったが、それでもわざとらしい仕草を交えて客引きを続けた。この仕事のギャラは完全歩合だ。この前の冒険で大怪我を負い、その治療費で稼ぎを吹き飛ばしたイズミには、こんな場末のバイトすら死活問題であった。
この間まで胸踊る神秘の冒険をしていたはずなのに、この体たらく。冒険者稼業はかくも不安定だ。とにかく知り合いが通りかかる前に、さっさと売り切って撤収しなければ。向こうから歩いてくる二人組。周囲から浮いた服装。旅行者か。イズミは声を作り、近付いてきた二人組にセールストークを仕掛けた。
「メリースターライトッ!おふたりさん!ウルダハ名物スターライトケーキはいかがッ?聖人の愛が詰まってますよッ?」
「あれ?イズミさん?」
フードの奥に見えるあどけない顔は、イズミのかつての雇い主、憧れの英雄ソフィアであった。指でハートを作ったイズミは一瞬で絶望の底に沈んだ。
「おひさしぶりですね。なにをされウワッ」
イズミはソフィアの両肩を掴みぐいぐいと身体を押していく。ソフィアを連れから引き離し、壁際まで押しつけると、顔を上げて口を開いた。
「私は、聖人の、従者です」
「イズミさんですよね?」
「ちがいます!そのイズミという女は、こんなところに、いません!」
聖人の従者は顔を真っ赤にしながら続けた。
「イズミという女は…英雄の背中に憧れて冒険を続けているのです!いつか英雄の危機に颯爽と駆けつけて、彼女を救ったり…なんか…そういう事をしたいと思ってるんです!」
「まぁ…」
「だから…あの……貴女とはもっと、カッコよく再会したいんだよッ…!わかってよ…!」
ぼそぼそと呟き続ける従者の脳裏によぎるのは、かつて彼女と肩を並べて戦った記憶。桜舞う中、彼女の元から独り立ちした記憶。
「…じゃあ、伝言をお願い出来ますか。従者さん」
ソフィアは肩に置かれた従者の手に掌を重ね、優しく問いかけた。
「いつか旅先で出会えるのを楽しみにしています。助けがいる時はいつでも呼んでくださいね、と」
ソフィアは首を傾げ、にこりと微笑んだ。
従者は大きく頷いた。
「おいソフィア。さっきから何をやってるんだ?」
声のする方へソフィアはゆっくりと、従者は慌てて振り向く。二人の視線の先には闇衣としか言いようのない黒ずくめの女が立っていた。
「ごめんなさい。なんでもありませんよ」
「そうか」
「そうだゼロ、ケーキ食べませんか?」
「エーテルになるなら、何でもかまわん」
「ふふ、じゃあ従者さん、そのイチゴが乗ったものを」
「かっ、畏まりましたッ」
ゼロと呼ばれた女の雰囲気に一瞬気圧された従者だったが、手早くケーキを包み、ソフィアに手渡した。
「ソフィ…お客さん、つかぬ事をお伺いしますが」
「なんでしょう?従者さん」
「そのお方とは…どういうご関係で…?」
「関係…?そうですね…」
ソフィアはむむむと考えたあと、いたずらっぽく微笑み、指を顔の前に立てて答えた。
「秘密、です」
「…わかりました」
イズミはかつてないほど複雑な顔でそう答えた。
「それでは、また」
ソフィアは手を振り、ゼロと呼ばれた女と連れ立って雑踏の中に消えていった。永遠のような一瞬のような沈黙の後、看板を抱えた巨大なトナカイの着ぐるみが雑踏をかき分けてこちらにやってきた。
「お姉様ッ!売れ行きはどうですかッ?!」
離れた位置で客引きをしていたイズミの相棒、ラディだ。着ぐるみのルガディンはあまりにも大きすぎて恐怖の的だが、その声色はまだまだ幼い。
「…ラディ、そのままもっと客呼んできて」
「エッ?あっ、ハイ!」
「全部売り切って、冒険の軍資金にしてやる…!」
「お姉様?」
「絶対、絶対追いついてやる…!」
「お姉様、やっとやる気になってくれたんですね!」
「何なんだよあの女…!負けない…負けないッ…!」
「よくわかりませんが、勝ちましょう!勝てば、正義です!」
「ラディあんた…いい子だね」
「私はいつでもお姉様の味方です!」
どむんと胸を叩くトナカイの足元で、浮かれた格好の従者はふつふつと対抗心を燃やしていった。そのうち新たな客が来たので、イズミは熱意をしまいこみ、セールストークに戻った。星の明かりだけが、全てを見ていた。
【了】