見出し画像

「終止符」4年・林 陵

平素よりお世話になっております。
2024年度主将を務めました、法学部法律学科4年の林陵と申します。



哲太紹介ありがとう。

基本的にテンション感がいつも掴めず、4年過ごした今でもなかなかその全貌は掴めなかった哲太。
哲太とは、カテゴリーが被ることも多く、2人で関東リーグを見に行ったり、今年は一緒に幹部をやったり、沢山の苦楽を共にしてきたなと思います。たくさんお世話になりました。

自分もかなり対面パス信者ではあったけど、それ以上の対面パス猛者だった彼から放たれる球は綺麗だなとずっと思っていました。

これからもちょくちょく会いましょね。



個人的に好きなブログを書くこともこれで最後かと思うとなんだか寂しくも感じますが、大学4年間の振り返り、そして後輩へ伝えられることを記したいなと思います。

長くなることは目に見えていますが、誰か一人でも最後まで読んでくれた人の何かになればいいなと思います。

ーーーーーー

「やっと終わった」

これが2024年10月19日、約15年間続けてきたサッカー引退を告げるホイッスルを聞いたときの感想だ。

ラスト1年は本当に長かった。

正直最後のホイッスルをベンチで聞くことになるとは思っていなかったが、何も後悔はなかった。

ーーーーーー

1年生。
2021年3月15日、初めて上智大学体育会サッカー部の練習に参加した。

高校サッカー部を引退してから、早3ヶ月。

高校ではやりきれなかった自分がいた。

高校最後の選手権で自分の代は全国大会に出場した。それでも自分は担架要員の椅子に座り、等々力のピッチを90分間眺めているだけだった。

「悔しい。このままじゃ終われない。」

そんな想いだけを胸に続けようと思ったサッカーだった。最初の練習はBチーム。3ヶ月のブランクはあれど、全然やれた。シンプルに楽しかったし、ここで入部しようかなと思ったけど、高校、大学と同じルートを辿り、そしてこれからも何かとお世話になるだろう小堀さんに「Aチームの練習見てからにしな」と言われたので、そうすることにした。

そして2回目の練習、Aチームの練習を初めて見た。

「レベル高い、楽しそう」

と同時に、ここでならもう一度本気のサッカーを味わうことができるんじゃないかと感じた。

ここで自分は入部する決意を固めた。

でも入部してからなかなかうまくいかなかった。正直何回か練習すればAの練習くらいには入れるだろうと思っていたけどそんなこともなく、青綾高校という石川の強豪校みたいな名前をしながら、高校でのライバルチーム同然のジャージなのに、東京6部相当の高校出身の浅野健太とか言う奴に先を越された。その後すぐに自分もAチームに帯同させてもらい、コンディションも上がってきたところで迎えた都リーグ第6節成城大学戦。

初出場が初スタメンだった。

噂には聞いていた出世した1年生が着用する張り番で20を背負い、都リーグデビューを飾ることができた。

しかしセンターバックにも関わらずハーフタイムに交代。

当時学生監督だった南出君に「いい経験できたな」と言われたけど何も嬉しくなく、緊張で何もできなかった自分が情けなかった。そしてメンバーに入ったり入らなかったりを繰り返しながら迎えた約4ヶ月後の都リーグ第17節一橋大学戦。後半残り15分で、成城戦以来の都リーグ出場を果たした。この試合はかなり鮮明に覚えていて、あの時(成城戦)の記憶を払拭するように堂々とプレーすることができた。この年、リーグ戦無敗優勝を達成し、本当に微力ではあったと思うが、関わることができたかなと思う。


2年生。
昨年度よりも結果を出さなくてはならない1年。
しかし開幕直前、清瀬内山グラウンドのB面で足首をやった。当時の主力選手が不在だったこともあり、アミノ初戦でスタメン、リーグ開幕戦も出れるかもしれないと思っていた中での最悪のスタートダッシュ。

約3ヶ月プレーできなかった。情けなかった。

その後夏過ぎに復帰したが、スタメンは0。

途中出場が4試合ほどあったが、限られた時間で何も結果は残せなかった。でも唯一この年で印象深い試合と言えばジュニアリーグの慶應戦。ずっと20人目と21人目の境を行き来してたから、なかなかジュニアメンバーに混じってプレーしていなかったのに、おぐ君は自分のことを使ってくれた。正直試合前から力の差があることはわかっていたけれど、絶対に対峙する選手には負けないと臨んだ試合。結果はボコボコすぎて何点入れられたか数えられないくらいの失点数だったが、当時の慶應16番(確か)とのマッチアップが心の底から楽しかった。

お互いに「お前やるな」みたいなのを感じて、サッカーってこれだからやめられないよなと思った。

でも結果として1年間何も残せなかった事実。

都リーグ最終節前日の東陽町での調整でメンバーから漏れ、南出君から「今年のA2のレベルを引き上げてくれたのは間違いなくお前だ」と言ってもらって涙が止まらなかったこと。メンバーから漏れたことよりも、そう思ってくださっていた事実に感極まってしまいました。本当にありがとうございました。

慰労会で辰丸君に泣きながら「お前はできるから、やれよ」と言われて、急に涙が止まらなくなったこと。大心君に「3年からが勝負だぞ」と発破を掛けられたこと。

当時の4年生は本当に大好きで、この1年があったからこそ4年間やり遂げられたと思ってます。
ありがとうございました。


3年生。

「キャリアハイ」

こう断言できた。でも同時に断言できてしまった。そんな1年だった。

東京カップベスト4、アミノバイタルカップ関東大会出場

そして個人として都リーグ全試合フルタイム出場。

怒涛だった。サッカー選手としてこの上ないシーズンを送ることができた。

でもその陰には、2月に腰椎分離症を発症してしまったものの、早い復帰のために尽力してくださった前田さん、浅井さん、龍成がいてくれたからこそできたことだと思ってます。本当にありがとうございました。

アミノ3回戦の帝京戦で自分の武器になった左足で3点目を演出できたこと。

開幕節の東大戦で、当時の東大監督で名前がこれ以上なく似ている林陵平さんにMOMをもらったこと。

前期成城戦で中3ぶりにトップチームで点を決めたこと。

後期学習院戦でCK20本くらい与えたのに気合いと根性で0に抑え切ったこと。

最終節の理科大戦で、今年描いてきたものが全て発揮され、最高のフィナーレを迎えられたこと。

あげ出したらキリがないがどれも鮮明に覚えている。それくらい色濃い1年間だった。


4年生。
ついに、不安しかない最後の1年が始まった。

下級生の頃からトップに絡む選手が少なく、史上最弱と言われ続けた代の主将。

これまで主将なんてやったことがなかったし、右も左も分からない状態だった。

偉大な悠人君から引き継いだキャプテンマーク。

最初は勝手に悠人君と比べることが多くて、こんな時悠人君ならどんな判断をするかなとか、どう振る舞うかなとか、全てを天秤にかけて考えていた。

それだけ偉大だったから。

でもそうじゃないと気付いた。

「自分らしく」

自分は悠人君みたいに器用じゃないし、あれだけ堂々と振る舞えない。だからこそ、泥臭いところを見せてもいいからできることを全てやろう。そう思った。そんな思いを胸にプレーしていた開幕直前、ハムストリングに大きな痛みが走った。

全治2ヶ月。

最後のシーズン開幕を怪我で迎えることになってしまった。やれることは限られる。だからこそ、スタッフとしてベンチに入りたいと志願し、チームを鼓舞し続け、チームの矢印を一つに向けられるように、強く、前向きに振る舞い続けた。そして、前期の成蹊戦で復帰することができたが、なかなか調子は上がらない。前期の東大戦。自分のガタが来た。「自分らしく」振る舞えなかった。

悔しかった。何度も何度も自分を悔やんだ。

「今度こそ」

そう胸に刻み直し、残りの約4ヶ月、駆け抜けた。どんなにチームが負けても、どんなに自分の調子が上がらなくても、常に前向きな言葉をかけ続けた。そう示すことこそが、自分が主将として最後、部に残せることだと思ったから。

そしてリーグ最終戦が終わった。

「やっと終わった」

この感想しか出てこなかったのは、本当に自分が腹を括り、振る舞い続けたからこそなんだと思う。みんなにはどう映ってたかわからない。それでも自分が部のために、やれることは全部やったと胸を張って言える。

だからこそ、何も後悔はなかった。

こんな自分に主将を任せてくれて、ついてきてくれて、ありがとうございました。

最高の経験ができました。感謝してます。

そして、どんな時でも常に応援し、見守ってくださった保護者、OBの方々をはじめ、今年度上智大学体育会サッカー部に関わっていただいた全ての方々に感謝いたします。

本当にありがとうございました。

ーーーーーー

そして後輩たちへ

「今、この瞬間を全力で」

自分がみんなに伝えたいのはこれだけです。

これはトップで試合に出ている人も出ていない人も共通して伝えられる。

「今日はきついからいいや」「ちょっとくらいいいや」「最後だけ頑張ればいいや」

そんな気持ちを少しでも持っているならすぐに捨て去ってください。トップに絡む人間は、最初からトップに絡むし、最初からトップに絡まない人間は、最後までトップに絡めない。

それが事実だと思う。

怪我で離脱をしてもすぐにスタメン復帰する選手、都リーグをほぼベンチで見守る選手、Bでは頑張るのにAでは萎縮する選手、ずっとBのスタメンを張る選手、Bの途中から出て試合に少しでも出れればいいやと思う選手

色んな選手がこの部活にはいるけど、なかなかその現状は覆せないのが事実。今を頑張れない奴が、最後だけ頑張れるわけがない。でも、今を頑張り続けられる奴は違うと思う。出ている選手も出ていない選手も、後でとか、今度から、とか言うなら「今」やってください。「今」基準を上げてください。それを突き詰めた先に、得られるものは人生の財産になると思います。すこーしだけ長くこの部活にいた人からの教えです。

最後、笑えるように今から頑張ってください。
応援しています。

ーーーーーー

最後に、お世話になった方々へ。

小堀さん
小堀さんがいなかったらサッカー部には入ってないと思います。部活のことから大学、就活のことまで、高校から大変お世話になりました。またすぐにでも連絡します。

南出君
南出君に2年間見てもらえて、いろんな眼を植え付けることができました。1年の頃はこいつ使えねえと思われてたと思いますが、なんとか
使われるくらいには成長しました笑

悠人君
自分の主将像の鑑でした。比べることが辛いこともありましたが、悠人君がいたからこそ、最後やり遂げられたと思ってます。また東京来た時はご飯行きましょう。

おぐ君
大変お世話になりました。GMでも一緒にいたからこそ、嬉しさも苦しみも全て共有できたなと勝手に思っています。ジュニアの慶應戦、そして、昨年全試合出場することができたのは、紛れもなくおぐ君のお陰です。本当にありがとうございました。後、時々ビデオに映る自分がいいプレーをした時の反応がすごく好きでした笑
またご飯行きましょう!

祐成
一緒にセンバやれて、学ぶことが沢山あって、おれも祐成くらい上手かったらなと何度思ったことかわかりません。そろそろサッカー以外で尊敬できるところを見つけたいので、社会人生活とか色々教えてください。

小堀、中村
数少なくなった桐蔭勢。引っ張るのは君たち。言わなくてもやるだろうから他には何も言いません。

蒼太
慰労会後に話したことが全て。プレッシャーかけるわけじゃないけど、蒼太が来年の鍵握ってるよ。

航大
鶴見から来てくれて最高に嬉しかったよ。航大は、愚直にやり続けること。貫け。定期的に飲み行こうな。

唐澤
誰になんと言われようと、ピッチ内で喋り続けろ。その血を引き継ぐのは君だよ。試合見に行った時に喋ってなかったら飲み会禁止で。

哲平、雄士、佑樹、和輝、真尋
慰労会で話したこと、どれだけ覚えてるかわからないけど、あれが真理だと思う。君たちがどれだけやれるかにかかってるよ。応援してる。
(真尋、グレるなよ。)

同期
普段のキャラは濃いのに、サッカーだと薄まるのはなんでかずっと疑問で、最後の年になってもわかりませんでした。それでもみんなとサッカーやれてよかったです。違う環境でもお互い頑張りましょう。

海渡君
海渡君自身も苦しいことが多かったと思いますが、最後まで続けてくれてありがとうございました。この1年の経験が、何か海渡君の人生の糧になるよう願っています。

前田さん
色んな怪我に悩まされた4年間でしたが、前田さんがいてくれたからこそ、リハビリも頑張れたし、早期復帰も出来ました。4年間本当にお世話になりました。

大石さん
お久しぶりです。この前ゲキサカで山梨県大会準優勝の記事見ました。あれから上智に進んでなんとか学生生活を終えようとしています。届いていないことは目に見えていますが、もし何かのきっかけで届いていたら嬉しいです。

けんごコーチ
中学3年間、そして大学受験時、大変お世話になりました。またどこかでお会いできたら嬉しいです。

しょうコーチ
お久しぶりです。近況はインスタで拝見しております。自分のサッカー感を育んでくれたのは、レアルスクールであり、しょうコーチでした。また何かの縁でお会いできたら嬉しく思います。届いていたら嬉しいです。

両親
約15年続けた、サッカーに終止符を無事打つことができました。朝が早いと言いながらなんだかんだ毎日同じ時刻に起きて朝ごはんを作ってくれた母、話しかけられても微妙な反応しかしないのに自分が出る試合はいつも足を運んで見に来てくれた父、これ以上なく感謝しています。サッカーを通して、大きく大きく人として成長できました。これからは社会人として、よろしくお願いします。絶対に長生きしてください。

約15年間、サッカーを通して自分に関わってくださった全ての人たちに感謝します。

ーーーーーー

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

今後とも、上智大学体育会サッカー部をよろしくお願いいたします。



2024年度 上智大学体育会サッカー部 主将 林 陵

いいなと思ったら応援しよう!