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「この1年、サッカーへの思い」4年・髙野 陽



今年初め、今シーズンの意気込みというテーマの部員ブログを書いている時の心境は鮮明に覚えている。


数ヶ月間、足の状態に悩まされDLに入り2週間ほどが経過したくらいのタイミングだったと思う。
何を書けばいいのか。
今の率直な心境を綴れば良いのか。

これからの8ヶ月、自分はどういう時間を過ごすんだろうか。
そもそもまたプレーできるんだろうか。

いや、今考えるべきことではない。

大事なのはシーズンが終わった時に何を思うか感じるか、だと。

そんなことを考えながら、最高の自分を追求すると、覚悟を持って全力で闘うと書いた。



そして2022年10月9日。
学生サッカーが終わった。


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2021年10月16日 玉川大学戦
チームは1部昇格を決めた。自分はそのピッチに立っていた。でも素直に喜べなかった。
自分のプレーが満足いくものではなかった。
何か今日身体が変な感じだったな、という違和感を残しながらもまあそういう日もあるかと考えていた。


2021年10月23日 東京理科大学戦 
チームは勝利した。2部優勝を決めた。
でもこの日も全く納得いかないプレーで前節を下回る出来だった。
何かやっぱおかしい、と思い始めながらもいや気のせいかそれか一時的なものだろうと割り切った。

チームは勝って昇格も優勝も決め、残るは無敗優勝ができるか、というほどの成績を残しながらも心は全く晴れなかったのを覚えている。


2021年10月28日 ZOZOでの練習
違和感が決定的なものになった。何でもない毎週木曜ZOZO練。
足がおかしかった。足は地面についているのに全く下をつかめていない感覚。
重心がめちゃくちゃでバランスがぶっ飛んでた。
止まりづらい、走りづらい、蹴りづらい。
最後に紅白戦をした。
ミスを連発した。
何かがおかしくなってきていた。
けど何がどう悪いのかわからないし痛みがあるわけでもない、からどう対処すればいいのかわからない。
シーズンも残り2試合で何とか乗り切れる期間だったので乗り切ることにした。


2021年11月10日。
シーズンを終えた。チームは絶好調のまま無敗優勝を成し遂げた。
記録的なシーズンだった。





そして代が変わり自分が主将になって、来季1部で結果を残すための最後のシーズンがスタートした。

3年前のリベンジ。
色んな人が繋いでくれた1部の舞台。
様々部の改革をしてきたこの代の最後の年。

必ず結果を残すと。最後の1年、今までで最高の時間にすると意気込んで臨んだ。

が、そんな思いとは裏腹にずっと違和感が消えなかった。
走っているけど、走れていない。
ボールを蹴っているけど、蹴れていない。

その違和感が日に日に自分の中で消化しきれないものになっていくのを感じながら、練習を続けた。

そして年が明ける。


その違和感は遂に痛みという形になってしまった。

2022年1月23日。そこからDL生活が始まった。
ひたすらグラウンド脇でみんなが練習をする姿を眺めることになった。
最初は2週間後くらいには復帰できると思う、と伝えた。そう思っていた。
しかし全く改善が見られなかった。
アミノ開幕までには間に合わせるといった。
しかし全く状態は良くならなかった。
原因がわからない。だから改善の仕方もわからない。
ただただ時間だけが過ぎていった。

都リーグ開幕戦には死んでも間に合わせると言った。
自分にとってラストシーズンの開幕戦、といった意味だけではなく高校時代3年間2人組を組み、苦楽を共にし続けた奴が相手にいた。切磋琢磨してきた仲だった。昨年昇格を決めた時から“来年絶対負けねえからな!”と何度も話した。
自分にとって特別な一戦だった。
今回ばかりは必ず間に合わせるといった。
が、開幕戦にも間に合わなかった。


2022年4月13日。
そして、限界が来た。パニック障害を起こした。
午前中、家にいた際、突如脈が急激に早くなり激しい動悸に襲われた。呼吸が荒い。
周囲の生活音がつんざくように耳に大きく響くように聞こえた。頭が真っ白になった。
自分の身に何が起こっているのか、何をどうすればいいのか分からなかった。
イスから降り這いずるようにしてとりあえず部屋の明かりをつけた。
それでも落ち着かない。呼吸が荒い。冷や汗が止まらない。
そのままドアを開けてキッチンの明かりをつけた。
それでも落ち着かない。
外に出ようと思った。
でも外に出ようとする足取りが重い。
ケータイを手に取り誰かに電話することにした。
親に電話をかけた、が3秒で切った。
親はダメだと思った。
気づいたら前田さんに電話をかけていた。
どういう切り出し方をしたのか覚えていない。
とりあえず呂律も全然回ってなくて声が震えるようだったのだけ覚えている。
そこからは堰が切れたように泣きながら前田さんと話した。
何を話したのか、何を話してくれたのかほとんど覚えていない。
もう何かも限界だった。

その日の練習ではスクエアパスだけ混ざった。
足が震えていてほぼすべてのパスとトラップが浮き、ずれた。
ああ終わった、と思った。
今回ばかりは本当に終わったと思った。


何度選手を辞めることを考えたかわからない。
本当に先の見えない毎日だった。

チームは開幕7連敗を喫した。
雰囲気も最悪だった。

なのに自分ができることはベンチから試合を眺め、幾ばくかの声を出すことだけ。

自分が望んできた姿と現実のギャップがあまりにも大きすぎて何度も心が折れた。


そんな中でも手を差し伸べてくれる人たちがいた。
多くの人にお世話になりました。
本当に感謝しています。

特にどんな時でも「お前はピッチに立っていなくちゃいけない男だろ」と何度も励まし、相談に乗ってくれいつでもリハビリに付き合ってくれた隼太郎。

治療後大学まで車で送ってもらったり、色んな治療やリハビリからあらゆる話、相談に乗ってくださった前田さん。

何時間ものセッションの後、毎回必ず「絶対復帰できるよ。大丈夫。」と送り出していただいた奥村さん。

本当にお世話になった人が多すぎて書き切れないのでこのくらいに留めておきます。
人生で1番苦しかったこの時期も、復帰してからも支えてくださった方々には頭が上がりません。本当にありがとうございました。


それからも書き切れないほど色々あった。

とにかくできることを片っ端からやった。


2022年7月13日。
全体練習に復帰した。半年が経っていた。


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もちろん苦しい時間だけではなく、素晴らしい瞬間もありました。

8戦目にして1部初勝利を手にした玉川大学戦。
復帰してからは、上位陣に完敗続きだった中逆転勝利した東京経済大学戦。
素晴らしいサッカーを表現することができ、Jリーグ内定者を複数人擁する相手から勝ち点を獲得した山梨学院大学戦。

どれも素晴らしい試合で、サッカーをやっていて良かったと心から思える瞬間でした。

だけど、それでも現実として手にすることができたのは僅か2勝。
それをもとに3年前からは成長したじゃないかと、全力を尽くしての結果だからしょうがないじゃないかと、自分を納得させることはどうしてもできないです。





復帰してからは、こっからは余生だと思ってやろうと思いました。
サッカーできるだけで最高じゃないかと。
でもそれは無理でした。

1部の舞台でチームを勝たせることができる、そんな逞しくチームにとって必要不可欠な選手になると。それだけを誓ってこの4年間を捧げてやってきました。
俺ならできると、必ずできると、そう信じてやってきました。

そしてこの舞台にやっと戻ってきました。文字通り待望の舞台でした。
でも蓋を開けてみればプレーできたのは僅かな期間で、その舞台に立っている自分はこの4年間望んできたようなチームを勝たせることができる逞しい選手の姿ではなかった。

そして自分を信じきれなかった時の自分は想像以上に脆かったです。

自分が取り組んできたものは間違いだったのではないかと。
根本から、何かを、どこかで間違えてしまっていたのではないか、
それはサッカーに対する姿勢だったのか、振る舞いだったのか、それとも日常なのか…
だとしたら多くの時間を費やしてきた時間は何だったのか、無駄だったのではないか、

そう思う度にそんなはずはないと、間違ってなかったはずだと、
日々サッカーに真摯に向き合ってきたはずだと、

何度も自問自答する度に、

日々の練習でも、都リーグでも残酷なまでに露呈する

日に日に低下していくパフォーマンス。

周囲の期待、何よりも自分の期待を裏切り続ける日々だった。

練習や試合の動画や杉村やケンセイが出してくれてたパッキングとかのデータ、途中から見れなかった。ほんとごめん。

本当に情けなくて、悔しくて、どうしようもない毎日だった。
本当に受け入れ難かった1年でした。






今振り返れば
もっとこうすれば良かった、こうできたんじゃないか、
みたいなことばかりだけど、その時々での自分が信じるベストは尽くしてきた。

それでも、

毎年多くの人が残していく「甘かった」という言葉。
絶対に残さないようにすると決めてたんだけど、
個人としてもチームとしても望んだ結果を手にすることができなかった以上、どこか甘かったんだと思う。


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「必ず」繋ぎます。


この経験をどこかへ。


簡単に「良い経験をした。意味があった」と言いたくないです。

経験したことを美化することなく、卑屈になることもなく、事実を事実として真摯に受け止めたい。

そしてこれから先、ふとした時にこの経験が何かに繋がったと思うことができれば、本当の意味で「意味があった」と思えると信じています。

そういう人生にしていきます。




「何か」を成し遂げることができた学生サッカー人生にできなかった。


それでも、自分がそれぞれの岐路でしてきた選択と、歩んできた道のりだけは誇りに思っています。
自分がこれまで所属してきたチームでサッカーをする時間は、どれも自分が想像していたよりも何倍も充実した時間でした。
毎年が人生で1番の年でした。
2022年も例外なく、です。
サッカーを通して出会ったチームメイト、指導者の方々、柿生SC、GA、川和高校サッカー部、そして上智大学体育会サッカー部。
この場を借りて伝えさせていただきます。
本当にありがとうございました。





最後に。

今年掲げたチームスローガン、「史上最高の上智」

ピッチ内外において上智大学体育会サッカー部史上最高を目指す。

例年設定されていた理念を排して、スローガンを設けることにした。

多少抽象的でも構わないからシンプルかつメッセージが明確で、チームに共通の言葉として浸透しやすいものにしたくてこのスローガンにした。
今年の上智大学体育会サッカー部は「史上最高の上智」だったのか。

組織として、一つのサッカークラブとしての充実度や取り組み内容は間違いなく史上最高だったと思う。

だけど、最後の慰労会のスピーチの場でみんなに伝えたようにピッチ内の結果が伴わなかった。
試行錯誤して、必死にやってきたつもりだけど全く足りなかった。

達成ができたか、できなかったかの2択では、間違いなく史上最高の上智を達成できなかった。

全ての取り組みは結果を出すことを目的としてやってきた以上、この1年間の挑戦は「失敗」だった。

受け入れ難いことだけど、現実だ。




だけど、失敗は無意味を意味しない、と信じています。


上智大学体育会サッカー部の今後を担っていく人たち、頑張ってください。

MTGとか色々な場で何度も、くどいほど伝えてきたように上智大学体育会サッカー部は大きな発展の最中に今、いる。

自分に言い聞かせるようだけど、これからも上智大学体育会サッカー部は続いていく。

自分がもうそこにいることがないのが言いようがないほど悔しいけど、心から応援しています。


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文字通り、今まで人生=サッカーだった。
これまでもこれからもサッカーが大好きです。


だけど学生サッカーが終わりこれからは新しい人生が待ってる。


真摯に、逞しく、今を生きていきます。





これをもって今シーズンの部員ブログを終了します。

長く苦しいシーズンを一緒に闘ってくれた部員、
上智大学体育会サッカー部に携わってくださった、OBOG、保護者の皆様、応援してくださった全ての方々、改めて感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

今後とも上智大学体育会サッカー部をよろしくお願いいたします。



2022年度 主将 髙野 陽

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