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「成長」4年・古宮 由視

17年近く、サッカーが中心にあった生活を終え、10km走ってみると足に筋肉痛が来るようになった、古宮 由視です。1番最初に執筆した「エンドレスチャレンジ」というブログを書いたことがついこの間の様ですが、部の公式サイトが生まれ変わり、読めなくなったことが少し悲しいです(保存していないことが悪いのですが笑)。
 
 
引退ブログということで、サッカー部での4年間をざっくり振り返ります。
 
 
1年
入部して一か月も経たずに公式戦に出場し、その後も当時の4年生はコンスタントに私を起用してくれました。まだ相手と体格の差もありながら、必死に私ができることを模索し続けた年でした。前期は最下位だったものの、後期で巻き返し、5位になれたことに微力でも貢献できたことは今でも忘れられません。
 
 
2年
大逆転で残留し、1部リーグに挑んだ2年目は、苦しい年でした。ほぼすべてのリーグ戦に出場するものの、チームが勝てない状況が続きました。何をしても勝利を掴むことができず、個人的に無力さを感じさせられた年でした。ただ、この年から、チームの代表として出る責任感や応援してくれる仲間に対する感謝の気持ちを持つようになりました。なぜなら、高校まで毎回の試合にスタメンで出場することはなく、あまり周りを見ることができなかったからです。
 
 
3年
1年で復帰することを掲げたこの年は、あと一歩の詰めの甘さがありました。コロナもあり、一個上の先輩は大変だったと思います。その中でも、来年、再来年を見据えた戦術を取り入れました。勝つ試合も多くありましたが、負けた試合もあり、さらにあと少しで昇格できたという事実から、後悔が残りました。あの試合で足を一歩出していれば、あの試合で勝てていれば、言ったらキリがないですが、もう一度1部リーグを経験できない悔しさは、こう見えて人一倍ありました。
 
 
4年
満を持して挑んだラストイヤー、昇格が絶対条件の中で結果と内容にこだわる年でした。私はGM課長として役割を担いましたが、それまでのGM課長とは少し違う存在でした。なぜなら南出が学生監督としてチームを指揮するようになったからです。そのおかげで仕事量を分担することができ、ピッチ内に集中できました。また怪我をしている期間、Cチームの指揮を執ることにも挑戦しました。詳しい経緯は河野のブログに書いてあります。コーチとして何の資格もないですが、その立場を経験できる環境は非常に素晴らしいと思います。自分で考えた仮説が上手くいくときやCチームの選手が生き生きとしているプレーを見ることにはまた違ったサッカーへの面白さがありました。
 
 
1年のときの最高学年がチームを引っ張る大切さ、2年の時に感じた不甲斐なさ、3年の時に感じた悔しさ、全ての経験が活かされた今年を優勝で終えることができ、素直に嬉しいです。こういった結果が生まれたことは、多くの人の支えがあったからです。
 
 
OBの方々の多大なる御支援
 
 
先輩方が経験させてくれたリーグ戦の舞台
 
 
練習できる環境があること
 
 
常にチームのために動いてくれるマネージャー
(特に俺の練習メニューはころころ変わって、大変だったと思うけど、うまく対応してくれたことは本当に感謝しています)
 
 
いきなり監督やるって言いだしたのに、受け入れてくれたCチームのみんな、ユーティー
 
 
熱い試合を見せてくれたアイリーグのみんな
 
 
多くの練習や試合をしたAチームのみんな
 
 
4年間、苦楽を共にした同期
 
 
暑い中、寒い中でも試合を見に来てくれる家族
 
 
本当にありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最後に後輩へ
チームとしても個人としても成長することに貪欲になってほしい。というのも、俺は、この4年間でサッカーが上手くなったと実感していて、力強さも増したと思っている。けど欲を言えばもっとうまくなれたし、パワーもまだまだつけられたと思う。みんなは頭がいいから、自分自身に対する可能性を決めているような気がする。みんなは思っている2倍も3倍も、もっともっと強くなれると思う。だから、成長に貪欲になって、来年、1部の舞台でたくさん勝利している姿を見ることを楽しみにしています。
 
 
次回のブログは、練習中常に気を配り、部員からの人気もかなりアツいアイドル的存在、鈴木 沙季です。お楽しみに!

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