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「たとえ25分でも」4年•珍田 遼太郎

初めて新砂に練習に行ったあの日から、約4年が経ち、遂に引退が自分の番に回ってきてしまいました。

この4年間で新砂から見えてたどデカい塔はいつの間にか解体されて、南砂の駅は大きく変わり東西線で乗るべき車両は1号車1番ドアから2号車の4番ドアへと変わりました。遠すぎるzozoでの21時に終わる夜練はなくなり、部室を半分失い、そして迎賓館の周りを走ることもなくなりました。

引退ブログではそんな変わりゆく4年間の中、この上智大学体育会サッカー部での経験を振り返っていきたいと思います。ただ文章を書くのが苦手なもので、思うように手が進みません。たすく、締め切り間に合わなかったらごめん笑
拙い文章となりますが、ご一読いただけますと幸いです。

上智の皆は信じられないと思うけど、俺は高校ではキャプテンを務めていました。キャプテンに選ばれたのは、1年の時にトップチームに絡めていたから。それが選ばれた主な理由。昔からチームを引っ張る立場ではなかった俺が、急にキャプテンに抜擢された。

うん、何していいかわっかんない。みんなに嫌われたくないし。

2学年上に、心底尊敬するキャプテンがいたからご飯連れてってもらい話を聞いて、真似してみたり、ランメニューでは誰よりも走ったり、周りに厳しく言ったり、力不足なことだらけでお世辞にもいいキャプテンだったとは言えないけど、当時の自分が出来る最大限のことをやったと思う。

でも高校でのサッカーは自分にとっては孤独で、不安で、大好きなサッカーをしてる時でさえ、ずっと何かに追われているような感覚だった。

サッカーを心底から楽しめてないのがすごく嫌で、チームメイトがサッカーを純粋に楽しそうにやってるのが純粋に羨ましかった。

大学受験が終わって上智大学体育会サッカー部に入部することを決めた。高校の経験があったから、「ここではサッカーを心底楽しむことを忘れない」これは俺が大学4年間で貫いてきたスタイルだ。

1年目。Iリーグ初戦からスタメンに選ばれ、Aチームの練習にも参加させてもらえた。
今まで一緒にサッカーしたことないレベルというか、高校の選手権で負けて引退する時期に選手権の初戦があるような強豪校出身の人ばかり。そんな身に余る環境下で、今まで積み上げてきたサッカーは通用しないことだらけ。視野の広さも、タッチの繊細さも、パスの精度も、スピード感も、パワーも何もかも別次元。誇張抜きで、8割くらいのダッシュでスライドしても、ジョグでポジション取りしているはずの辰丸君の方が速かったし、松本君のシュートをブロックした時は本気で足もげるかと思った。Iリーグ出場したあたりから、都リーグもこのまま頑張ればメンバーに入れるんじゃないかと淡い希望を抱いてたけど、現実はそんな甘くなかった。Aチームでの2週間に、圧倒的な実力不足とともに現実を突きつけられた。そして、それと同時に、あの高いレベルでのサッカーがすごく楽しく、自分の知ってた「サッカー」が大きく変わった。

そして再びAチームを目指して頑張ろうとしたその矢先、左足首を靱帯部分断裂。人生初の救急車と松葉杖生活を経験した。そこから復帰できたのは約二ヶ月後。復帰後は、しばらく思うようなプレーができなくて苦しい時期が続いた。


2年目。この年は苦しい一年だった。けれど、サッカーについて知ることができた一年でもあった。おぐ君が指導者になり、BチームにもAチーム同様ポゼッションの戦術が取り入れられ、戦術理解が求められるようになった。それまでカウンターサッカーしか知らなかった自分にとって、まさにゼロからのスタートだった。うまくプレーできないことが多くて落ち込んだり、不貞腐れてしまうこともあった。

3年目。春休み中の成城戦は自信になった忘れられない試合だ。Bチームで一緒にやってきた基希と共にカテゴリーが上がり、Aチームのスタメンに大抜擢された。重要な試合やカテゴリーが上がると緊張して本来のプレーができないことが多かった自分が、この試合では自分の持ってる力をそのまま発揮することができた。そんな手応えを得た試合は、これまでになかった自信をくれた。

その一週間後に行われた成蹊戦は、自分のターニングポイントとなった試合である。大学で磨いてきた止める・蹴るの基礎技術に、少しは自信があった。しかし、大学入学からの短い期間ではこれまでのサッカー人生で生じた差を埋められない。そんな現実を突きつけられた試合だった。相手の速くて統一されたプレスに焦り、トラップミスからロストし、ピンチを作る。しかし、チームメイトは戦えてる。ボールを受けるのが怖くなり、球際での強度の低さやフィジカルの弱さが次々と露呈する。自分の実力が都1部レベルでは通用しないことに直面した試合だった。

都1部の壁を痛切に感じて、自分の未熟さを突きつけられた成蹊戦。その途方もない道のりを前にサッカーすればするほど、「差」を感じさせられる。自分の限界がすぐそこにあるような気がして、どこかで「どれだけ頑張っても無理なんじゃないか」と思うことが増えた。ふと、自分ができる範囲で楽しくやればいいかという気持ちになっていた。

そこから半年はAチームに絡めなかった。

先輩達の引退を皆が意識し始める頃、自分のカテゴリーが一向に上がらないことに焦りを覚えた。そしてそれはだんだん自分に対する苛立ちに変わっていった。
この苛立ちのエネルギーをサッカーへのエネルギーに変換できたのが一歩前進のきっかけへと繋がったと今では感じる。サッカーに再び正面から向き合い始め、弱点だったフィジカル面はこのままじゃ通用しないと思い、筋トレの強度を上げた。ベンチプレスでは部内TOP5くらいに入る重量を扱えるようになり、試合でも球際で勝てる回数が増えた。
そして着実に「差」を埋めるために、サッカーの本質とはどういうものかについて詳しく知ることが成長への糧に繋がると感じ、戦術やフォーメーションの特性について書かれている本をひたすらに読んだ。自分のプレースタイルやチームの戦い方に当てはめながら整理し直したサッカーノートに毎試合ポイントを振り返り始めた。

だんだんと実を結び始め、東大との練習試合で同期の陽生と賢真と中盤を組んだ時にはキャリアハイと言えるほどの良い動きができたし、3人で試合を支配している実感があった。自分が納得できるプレーを出来たことは大きな収穫だった。ただ、それ以上に”谷間の世代”と言われてきた同期と一緒に都リーグピッチの上で活躍できたことがなにより誇らしかった。哲太に「今まで上智で見てきたどの試合よりもワクワクした」と言われた時は本当に嬉しかった。


4年目。念願の都リーグ出場。そしてサタデー準優勝。サッカーノートを書き始めてから、一時的な好調とは異なり、自分でも成長を実感できるほど安定して良いプレーができるようになっていたと思う。東京カップは怪我でメンバーから外れてしまったが、怪我がなければ出場する可能性は十分あったと思う。そしてアミノは出場こそなかったもののメンバー入りを果たした。

そして東京都1部リーグ前期第8節 vs帝京大学

後半30分  憧れだった都リーグ出場を果たした。
上智大学体育会サッカー部に入ったからには誰もが目指す、都リーグという舞台についに立つことができた。トレセンにも選ばれたことがない、逗子開成高校というお世辞にもサッカーが強いとは言えない高校出身の選手が、昌平や市船といった名だたる強豪校で試合に出てた選手と同じピッチに立てることなんて想像できただろうか。

都リーグに出た時間は、計3試合で約25分。

その中でも成蹊戦の勝利は間違いなく大学サッカーのハイライトである。猛暑の中始まったこの試合は、前半に直人のゴラッソで先制し、1-0のまま前半を終えた。久しぶりにチーム全体が「この試合は勝てるかもしれない」という雰囲気に包まれていた気がする。後半が始まり相手チームは、いつも練習している慣れたグラウンドで猛攻を仕掛けてきた。ボールの支配率もシュート数も明らかに押される一方的な展開。ギリギリのところで耐える時間が続いていた。

そしてラスト5分、ついに自分に出場の指示が出た。この短い時間での役割は明確だった。ひたすら走ってプレスをかけ続けること。ここまで戦ってきたチームのために、少しでも相手のチャンスの芽を潰すために、ただひたすら走り続けた。
ついにタイムアップの笛が鳴り響く。スコアは1-0のまま。初めて都リーグの勝利をピッチの上で手にした瞬間だった。

ボールに触った回数は僅か2、3回。自分じゃなくても務まった仕事かもしれない。けれど、ピッチ内から都リーグの勝利に貢献できたことは、自分にとって誇りだった。

同じ週に行われたサタデーリーグやJrリーグでは、Bチームが2勝1分と好成績を残していた。都リーグで勝てず、チーム全体の雰囲気がなかなか上がらない中、Bチームが「勝利」という結果で運んできたチーム全体への勢い。それが間違いなく、成蹊戦の勝利に繋がったのだと思う。4年間で唯一全カテゴリーが勝利した1週間であった。自分が長い時間を過ごしたBチームのメンバーが、なかなか都リーグに出れず日の目を浴びないメンバーが勝利を掴み、共に都リーグの勝利に貢献したことが、自分のことのように本当に嬉しかった。

2024.10.19  東京都1部リーグ最終節vs大東文化を終えて引退するはずだった。

しかし、サタデーリーグでの成績が4位だったことで、サタデーチャンピオンシップへの出場が決定。思いがけず与えられたこの3週間は、長い間Bのカテゴリーで一緒に練習してきたメンバーで戦った、かけがえのない時間であった。チームのために全員が戦い、仲間のミスをカバーし、鼓舞し合い全力で攻撃、守備をすることが今まで以上に一体感を強めた。そんな一体感の中で戦ったこと、格上相手に勝利を掴めたことは、本当に「サッカーをやっててよかった」と心から思えた瞬間が詰まっていた。

結果は準優勝。優勝の景色をこのメンバーで見たかった。それでも、間違いなく自分にとってこの3週間は大学サッカーで最も充実した、神様から特別なプレゼントを貰ったような時間となった。


大学サッカーを経て、足りなかったと思うことがある。それは自分にベクトルを向け続けること。
人間は生きていく中で良くも悪くも、様々なことに慣れていき忘れていく。
だから漠然とした願望だと、どうしても忘れてしまう。
そしていつの間にか願望が叶わない理由をどこかに作り始める。
目標は出来るものだと思っていたが、作らなくてはならないものだと気づいた。
上手くいかない時、自分自身にがっかりし、その失望から逃れるように頑張ることをやめ、楽で楽しいサッカーをする。そして目標が達成できない理由を外の事象に擦り付ける。
苦しい上に、成長もない。
自分にベクトルを向け続けるために、目標を作って日々の練習に取り組むべきだったと思う。
実際、上手くいかないことが多くてモチベーションがない人もいると思う。
そういう人には、ただ純粋にそれを達成するためだけに頑張れる目標を見つけることを頑張って欲しい。
朝早く起きて練習に行くことだって、
高い交通費かけて遠い会場まで時間を費やして行くのだって、
チームのために荷物を運ぶのだって、
頑張ってやってる事も当たり前のように感じてしまいがちだけど、頑張ってる自分を認識することもとても大事な事だと思う。

これは自分を甘やかしたり、頑張りの基準を下げろって言いたい訳じゃなくて、「あんだけやったから大丈夫」って思えるように、いつか大事な試合の時、メンタル面で自分が本来の力を発揮できないことがないようにするために。


この4年間、たくさんの人に助けてもらい、様々なことに気づき、多くのことを学んだ。

もっと早く気づけていたらなと思うこともあるが、それでも大学でのサッカーを誇りに思っている自分がいる。

上智大学体育会サッカー部、そしてサッカーを通して巡り会えた方々、本当にありがとうございました。

最後に、
まず同期へ
サッカーが下手くそで「谷間の世代」と言われることも多かったけど、それでもこのメンバーで本当によかったと思います。引退した今も活発に学年グルが動いてるのは、本当に仲が良い証拠だと思います。
なぜか99年から02年までレパートリー豊富なメンバーが揃っているこの学年に、同期として関わったこと、それぞれがさまざまな思いを抱えていたと思うが、誰一人辞めることなく4年間をやり切ったこと、それは自分にとって大きな誇りであり、かけがえのない財産です。
4年間、サッカーを通して一緒に戦い、笑い、悩みながらも歩んできた日々は、自分の中で一生の宝物です。本当にありがとう。

先輩方へ  
初めて練習に参加した日、すぐに大学の4年間をこの部活に注ごうと決めました。魅力的なこの部を作ってくださり、本当にありがとうございました。 そして ご飯に連れて行ってくださったこと、気にかけてアドバイスをくださったこと、期待してくれたこと、楽しく声をかけてくださったこと、嬉しかったです。ありがとうございました。

後輩へ
口ではなんとでも言えるしできなかった人が言うことが無責任なのはわかってるけど、都リーグで結果を残せるようなチームにできなくてごめん。
そして、多くの後輩たちが気軽に話しかけてくれたこと、本当に楽しかったです。練習の前後とか飯行ったりとか何気ない会話から真剣な話まで、たくさん笑ったし、学ぶこともたくさんありました。ありがとう。
引退してから朝早く起きることは無くなったけど、部活がない生活は物足りないです。出来れば来年も参加したいです。
親愛なるひでぇやつら達へ。いろんな思いがあるけどここに書くには収まらないので控えます。ただ、いつもふざけてるやつがサッカー真面目にやってるのはとてもかっこいいことだと思います。都リーグのピッチで活躍してたらもっとかっこいいです。そしてそんな姿を見たいです。頑張ってください。またひでぇ飲みやりましょう。

スタッフ陣、治療院へ
ラストシーズンは特にお世話になりました。自分がサッカーするわけでもないのにチームのためにテーピングやスクイズなど、まだまだプレイヤーが気がついてない仕事がたくさんあると思いますが、サポートしてくれてありがとうございました。
岩井さん、阿部さん 四谷治療院の時、本当にお世話になりました。可愛がってくれてありがとうございました。たまプラに移動してからなかなか行けなくて申し訳ないです。陽生経由で飲みいこうって言ってくれてるの耳に入ってます。今年中に飲み行って麻雀一緒にやりましょう! 四谷治療院の時はすごくお世話になりました。可愛がってくれてありがとうございました。

両親へ
まず、17年間も大好きなサッカーを続けさせてくれて本当にありがとう。  毎月の高い部費や交通費、スパイクやユニフォームなど、何ひとつ不自由なく揃えてくれたこと、いつも当たり前のようにおにぎりを作ってくれたこと、すごく支えられていたと思います。  俺のことで心配になったり、不安に思うこともたくさんあったと思うけど、それでも変わらず応援し続けてくれてありがとう。  今まで沢山迷惑かけてきたけど、もう少しだけ迷惑をかけさせてください。これからも全力で頑張ります。  


長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれてありがとうございます。

次のブログは横田公平です。
一見、モラルがなく人の気持ちを考えないやつだと思ってる人が多いでしょうが、相談事を持ちかければ、まるで自分のことのように真剣に考え、的確なアドバイスをくれる心優しい男です。
(モラルは本当にありませんが。)
頭の回転が早く、口が達者な彼がどんな文章を書くのか。公平の素顔が垣間見える、そんなブログになるはずです!
乞うご期待!

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