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「中村憲剛」2年・土井源也

平素より大変お世話になっております。
理工学部物質生命理工学科2年、土井源也と申します。

まずはコロナ禍という未曾有の事態に直面しているにも関わらず、2020年度シーズンのリーグ戦の運営に尽力して下さった方々に深く感謝申し上げます。
今シーズンは、そのような方々に結果で恩返しできるよう精一杯努めますので、応援宜しくお願いいたします。

今回課されたテーマは「これまでのサッカー人生と今シーズンの目標について」ですが、ただ私のサッカー経歴を綴ったところで面白みのない文章になってしまいますので、プレイヤーの目線だけでなく、いちサッカーファンとしての目線も交えながら自分のサッカー人生について書いていきたいと思います。
そこで、私のサッカーにおける環境や仲間、ポジションなどが変わっても、常に私のヒーローであり続けてくださった中村憲剛選手について綴らせていただきます。
長文ではありますが、是非最後まで読んで頂けたら幸いです。



2020年11月1日。引退会見日。

突然、中村憲剛選手の公式アカウントにてLINEライブが行われていた。
「イベントでもあったっけ?」そんな軽い気持ちで画面をタップした先にはスーツ姿で会見をしている彼の姿があった。
そこには、いつも彼が見せてくれている笑顔から覗くすきっ歯は影を潜めていた。
電車の中で驚嘆し、周りの人に言いたくても言えなかったあのもどかしさを、今でも鮮明に覚えている。

その日は奇しくも、私の大学サッカーにおける「公式戦デビュー」の日でもあった。


東京都リーグ第7節 vs武蔵大学

この日は、自分に出番が回ってくるだろうという予感がしていた。久我山時代からの同期である祐成が万全な状態ではなく、いつ壊れてもおかしくない状況でプレーをしていたからである。
2点ビハインドの後半30分、予感していた通り名前が呼ばれた。それも祐成と交代で。
今思えば非常に感慨深いことであった。高校時代、自分より上のカテゴリーで活躍していた仲間に代わって自分の出番が回ってきた。
あの時はトップチームで活躍しているチームメイトみんなに嫉妬し、結果を出せない自分に対して責めたり、指導者のせいにしてみたりと苦しんでいる期間が長かった。
そんな挫折を経て、私は大学サッカーという舞台での新たな1歩を踏み出そうとしていた。
このようなご時世ということもあり、観客は非常に限られていたとはいえ、久しぶりにトップチームとしてピッチに立ったあの経験を忘れることはないだろう。



新たな1歩を踏み出そうとした自分。
一方で現役を退く決断をした私のヒーロー、中村憲剛選手。



彼が私のことを認知しているはずもないが、深い縁を感じたとともに、どこかバトンタッチをされた感じがした。


「26」
現在の私の背番号。
この26番というのは中村憲剛選手のデビュー時に身に纏っていた背番号である。
中村憲剛選手といえば14番を連想する人が多いが、26番こそ彼の原点なのではないか。
私はそんな彼の背中を追うように26番を選択した。

ポジションも違えばプレーの質も違う。
しかし、私が彼の背中を追い続けているのには数え切れないほどの理由がある。
まだ戦術も理解していないような幼い頃から現在まで、私にサッカーの偉大さを教え、熱狂させてくれた彼とは様々な思い出が心に刻み込まれているのだ。

小さかった頃、試合後にスタンドで手を振っていた私にハイタッチをしてくれた彼。


試合後の出待ちで、周りの人に押されながら伸ばした小さな手の上にサインを書いたカードを優しく渡してくれた彼。

夢の中で俺に沢山のアシストをしてくれた彼。
その夢に出てきた、大久保嘉人選手と中村憲剛選手と土井源也選手のトライアングルは、Jリーグ史に残る最強の攻撃陣だった(昔はFW。小林悠選手をベンチに追いやるとは、なんて生意気な野郎だ)。


長い年月に渡って週末の楽しみを提供してくれた彼。


シルバーコレクターと揶揄されたチームも、悪夢の8連敗を喫したチームも、念願のJリーグを制覇したチームも、全て中村憲剛選手のチームであった。

あるときは暴力的ともいえる超攻撃サッカーで。そしてあるときは緻密なショートパスを駆使し、敵陣に畳み掛けるサッカーで私を楽しませてくれた。


サッカーはただ試合に勝つだけでは面白くない。
一方で、ただ面白いサッカーをしても、勝つことが出来なかったら意味がない。
そしてまさに、その両面を兼ね備えたチームこそが2020年度の川崎フロンターレだった。

人を楽しませるサッカーをした上で勝つという美学は、母校である國學院久我山高校のスローガンと一致するものがある。


「美しく勝て」


現在の私のプレースタイルが美しいかと言われたらそうではないかもしれないが、自分のプレースタイルは間違いなく観ている人を楽しませられるという自信がある(学生監督である南出直人くんの目線から見たらヒヤヒヤしかしないプレイヤーかもしれないが)。

ここで自画自賛させていただくと、上智大学体育会サッカー部の中で、自分以上にドリブルを仕掛け、点を取れるディフェンダーはほとんどいないと自負している。
これは高校時代から自信を持っていた部分である。


しかし自分はAチームに所属させてもらってはいるものの、上智大学体育会サッカー部のスタメンには名を連ねられていない。
高校時代も、結局一度も目立った活躍をすることもなく引退している。

勿論、理由は分かっている。


ショートパスのミスが散見されることや、
今のサッカーに仕掛けるサイドバックはさほど必要とされていないことなど、、

いくつか挙げるとキリがないが、「攻撃的すぎるがゆえに守備がお粗末である」という事実は見過ごすわけにはいかない。



サイドバックというポジションは、あくまでもDFである。
DFの役割は失点をしないということ。
それを出来ることが前提で、攻撃でも貢献する。

当たり前の話をするが、サッカーというスポーツは点を取らなければ勝つことは出来ないが、失点しなければ負けることはない。

しかし、守備に重点を置くことによって自分の特徴である攻撃面での良さを生かすことが出来なくなってしまうのであれば、本末転倒である。
ディフェンダーは余程のことがなければ、交代カードを切りづらいポジションであるが、自分がベンチに座っている際、そういった考え方も変えさせるようなプレーヤーになりたい。

そこで、今シーズンは「守れて、かつ、ワクワクさせられるプレーヤーになる」という目標を設定した。


このまま終わってもよいが、最後は本題である中村憲剛選手に向けて感謝の言葉を送り、本ブログを締めさせて頂くことにしよう。


幾度も指導者に怒鳴られ、練習に行くのが憂鬱になった日も、

ライバルが次々と上のチームで頭角を現していき挫折した日も、

何をやっても上手くいかずに逃げ出したくなった日も、

サッカーを大好きで居続けることが出来たのは紛れもなく、貴方が見せてくれたサッカーが私を勇気づけてくれたおかげです。
常に私の憧れで居続けてくださったこと、感謝しかありません。
私のヒーローであり続けて下さり、本当に有難うございました。



サッカーで苦節を味わっても、勉学を放棄したくなっても、体調を崩しても、週末には必ずJリーグが開催される。
そこで何度も何度も勇気を貰った。

東京都2部リーグのプレイヤーが言うのは相当図々しいかもしれないが、自分も人を魅了し、勇気を与えられる存在になりたい。

そんな存在になるために、そして多くの人に観てもらえるように、残り3年で関東リーグに昇格する。
無理だと嘲笑してくれても構わない。

しかし、私がこのチームを引退するときにそんな人達に言ってやりたい。

「ほらね」と。


次回のブログは、攻守の切り替えと喋るスピードがめちゃくちゃ早いで有名な高野陽くんです。

#上智大学 #サッカー #國學院久我山 #部員ブログ

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