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「感謝」4年•江嶋 駿太

同期の児玉瞳から紹介に預かりました。彼女は自分にとって総務課の最強のビジネスパートナーです。上の代は彩子さんに押し付けて誤魔化し、下の代は籾井くんを登録し損ねたたじりきであることを考えれば最強は俺らです。毎週のように降ってかかる仕事のうち、めんどくさいものをいかにして相手に押し付けるかをお互い考えた3年間でした。そんなシゴデキマネージャーが同期にいてくれてよかったです。引退したら1回も会いそうにありません。 

上智大学理工学部4年の江嶋です。
今年から副将という立場になり、サッカー部が多くの方々のご支援、ご協力のもとに活動できていることを肌で感じました。中迫さんをはじめ、ご迷惑をたくさんおかけしました。本当にありがとうございました。

ブログを書いている今、帝京の残留と同時に、上智の降格が決まってしまいました。片道3時間かかる会場からの帰りの電車で、ある程度書いた文章を消しました。申し訳ない気持ちもあるが、申し訳ないと思うのも違うという、この虚無の感情をどう表現していいかわかりません。

一字入魂しましたが、谷しかないサッカー人生でどこが谷だか見失うほど大した選手ではないので忙しい人は閉じてください。

chapter1  2番として

自分のサッカー人生の事実上の始まりは中2の10月からだった。何でもないただの部活の練習で怪我をした。「膝がとても痛いので休みます。」と夜のトレセンの練習を休んだ。診断は脱臼。すぐ治るはずだった。けど、膝は外れ続けた。リフティングとか体育の持久走とかでも。こうして中学サッカーは終わってしまった。

高校入学と同時に手術をして、やっと治ってきた2月4日。けんしんさんのいるA1で始めてプレーした時に逆膝を脱臼。膝のお皿はあらぬ方向にあった。仕方なく、もう1度手術をして1年かけてリハビリをした。高校最後の3カ月ぐらいはプレーできた。けれども、選手権の初戦は、ラストワンプレーで相手キーパーにヘディングを打たれ失点。そのままPKで負けてしまった。涙さえ出てこなかった。

その時はそうでもなかったけど、浪人中ずっと悔しかった。集中できないぐらい。このままでは終われないと思い、迷わず大学サッカーへと進んだ。

大学1年目
最初の練習。「浪人なので動けません」と先輩に伝えたところ、「大丈夫。こいつでもやれてるから」と紹介されたのが、3浪の同期であった。その日の帰りの小田急線で、公平と都リーグで活躍することを誓った。
そして、ちゃっかりデビュー戦ゴールを決めた。
当時は、「嫌でも出られるサタデーリーグ」と扮して、上位カテゴリーで必要とされていないギリギリの人数のメンバーで試合をこなしていた。浪人明けの同期が多い中で、「頼む、90分出てくれ」と毎試合頼まれる始末であった。今では考えられないが、この経験を通じて多くの試合に出場できたおかげで、体力が戻り、大学サッカーの一端に触れることができた。
そして、9月3日。練習でこうきの足を踏んで、手術を受けた膝を再び脱臼。1度も勝利を経験することなくシーズンは終わった。

大学2年目
この頃からテーピングの介助によるプレーが始まった。また、Bにおぐくんが監督としてついたため環境も改善された。しかし、実力が足りない自分は同じポジションの先輩の永遠のサブであった。転機は、上南戦に負け、メニュー間ランが始まったことであった。メニュー間ランとは、メニューの間の給水時間が走りとなるクソキツトレーニングである。毎日の練習は、グランドの走り心地を確かめに行っていた。所沢は走りやすい。俺が死ぬか、おぐを消すかの2択だった。いらついて走っている時にボールを蹴り上げ、南砂町の海にボールを葬ったこともあった。けど、このメニューを頑張れてしまう自分は、当時層の厚かったJrリーグにスタメンで出ることができ、学習戦の勝利や亜細亜での勝ち点1を経験させてもらった。まあ、メニュー間ランも悪くないかと頭をバグらせていった。
そして、9月3日。サタデーのキャプテンとして出た試合で膝を脱臼。シーズンは終わった。

大学3年目
病院の先生に、「もう無理だね。」と言われた。このときの自分はただ単純にやめる勇気がなかった。こうして、同じ境遇で最後都リーグに出たきょうすけくんに憧れて36番を選んでプレーすることを選択した。そして、隼太郎くんに言われた通り、練習に早く来てケアをするようになった。
シーズン序盤は順調であった。アミノバイタルカップの準決勝でAチームデビューをすると、続く決勝で試合途中に大雨となり、ボールが転がらないからという理由でたっぷり出場機会をもらい、多少なりとも優勝、関東大会出場に貢献できた。また、都リーグ玉川戦の勝ち試合に出させてもらってリーグ戦デビューもすることができた。
しかし大した実力もない自分は、A2で出たアミノ関東大会本戦で0-5で名指しの戦犯。同じくA2で出た上南戦、翌週のサタデー帝京戦では2試合連続の前半交代をかました。また、同時並行で進んでいたJrリーグもほぼ全ての試合を1点差で負けた。自分が出たら勝てない。そう感じる3年目であった。

大学4年目
迎えた最終学年。東京カップ、創価との1戦。チームは1点差で負けていた。自分がベンチで呼ばれたときは本当にうれしかった。始めて、戦力として試合に出た瞬間だった。チャンスは作ったがチームは負けてしまった。このとき、トップチームの責任が少しではあるが分かった。
ここからはひたすらきつい記憶である。結局、自分はゲームを作る側ではなく壊す側である。信じられないぐらいサッカーが下手である。ただ、闘えるというイメージだけで一定の評価があった自分は、ちゃんとしたサッカーをやるには不要だった。冬合宿ではCチームのサブを経験した。その後もカテゴリーを行き来し続けた。ベンチに入ったり、入んなかったり。教育実習で全部リセットされたりもした。部を代表して都リーグのピッチにも数試合立たせてもらったが、ボールにはほとんど触れられなかった。そして何よりチームは勝てなかった。

そんな、自信のなかった自分であるが、サッカー人生ラスト2ヶ月で突如天から何か降ってきたかのように活躍し始めた。サタデー国際武道を皮切りに、今までやれたことないようなことがたくさんできた。対外試合をすれば点を決め、紅白戦をやればハットトリックをした。途中Aチーム出禁とかはあったが、本気で都リーグの勝ち点に貢献できると自分を信じていた。
けど、その瞬間は最後までこなかった。「えじ出せよ」と言ってくれる人がいて本当にうれしかった。人生で1番やれていたときにチャンスは来なかった。この4年間でAでもBでもCでも手を抜いたことはない。それだけはきっと仲間も認めてくれる。全てサッカーのために過ごした。だからこそ何もない4年間だった。そんなことを慰労会で公平と話した。

chapter2 副将として

自分は、小中高とずっとキャプテンをしてきた。特に高校は、70人を超える組織の部長であった。でも、結果は出なかった。よく、自分の母校は弱小だったと言う人がいるが、自分はその言葉を使いたくなかった。だって、自分でチームを弱くしたから。サッカーが楽しくなかった。キャプテンにいい記憶は本当にない。そして、キャプテンであることが自分の選手としての価値を紛らわしていると感じていた。
だから、大学では絶対にやらない。そう誓って入部した。1年のときに、そういちくんとの面談で、「幹部興味ないの?」と聞かれ「絶対やりません。」と答えた。2年になったときのたいしんくんのときも、3年になったゆうとくんのときも「絶対にやりません。」と答え続けた。
だから、同期ミーツで副将の話が出たとき、当然断った。前述した2試合連続交代をかまし、選手として最も自信がなかったのもあった。
忘れないのが夏合宿。監督がつかず、選手だけで4日で6試合を戦った。流経や順天といい試合をする中で久しぶりにこのチームで勝ちたいと感じた。思い返せば、大学のここまでは、都リーグの勝敗はさほど興味がなかったし、自分の出てる試合に負けても自分が良かったら満足だった。ずっと個人競技をしている感じ。
断れなかったっていうのもあるけど、そんな自分を変えたくて副将になることを決意した。

この決断が合っていたかは今は答えられない。チームは考えられる限り最も悪くなっていった。羽藤さんの代が残してくれた東京1部、あきらくんの代が残してくれた組織のシステムの礎、ゆうとくんの代が残してくれたピッチ内の厳しさ。その全てが失われていくのを目の当たりにしながら、自分は何も出来なかった。ただ単に身の丈に合わない役なだけだった。ひたすら、自分の力不足を感じる日々だった。そんな自分ができることは、練習からプレーで戦うことと声を出すこと。特に声は、アップから練習でも試合でも。ベンチに座っているときも場外でメガホンを持っているときもずっと出した。1mmでもチームが勝てるように。部活にサッカーをしに来てないと感じる日々もあった。楽しそうに部活に来てる同期を妬むこともあった。それでも、その日の自分のやれることは全てやった。
ずっと出ているメンバーや、幹部のりょう、哲太に申し訳なさを感じながら過ごしていた。多分こいつらは、俺に何も思っていないだろう。そう思われていることが悔しかった。

最終節が終わったとき、涙が止まらなかった。それは、負けた悔しさとかやりきったからとかじゃない。りょう、哲太、健太や試合に出ている後輩に責任を感じさせてしまっている申し訳なさからだった。
そして、選手として同じような境遇を送ったりょうたろうと話しているときにも泣いた。「俺ら全然試合出られなくて悔しかったもんな」って。ずっと、選手としても悔しかった。自分が出られなくても勝てればいいと思っていたが、サッカー一生分ぐらいは悔しかった。都リーグで活躍したかった。


chapter 2.1 サタデーキャプテンとして

引退した後、アナザーストーリーが待っていた。
初めて出場したサタデーのチャンピオンシップで自分たちは準優勝をした。
このチームには魔法がかかっていた。普段は大量失点大敗のチームが横国、大東に勝ち決勝まで進んだ。大東に勝てる日がくるなんて。
この2勝は本当に嬉しかった。
決勝戦でゴミプレーで交代させられたところまでできっちり自分のサッカー人生の集大成だった。
それでも、キャプテンとしてここまで勝ち上がれたのは入部して唯一胸をはれることであった。

結局、自分の人生は、
「自信こそ最大の力である」
ことを知らなかった。
「勝てるチーム、仲間を信じてるチーム」
を知らなかった。
「苦しいときに楽しむ」
ことができなかった。
そんな気づきを最後に与えて、小3から始めたサッカーは終わった。

この4年間、サッカー人生は苦しいことしかなかった。
この4年間、サッカー人生は楽しかった記憶はほとんどない。
ずっとつらかった。
もう一度人生を歩めるなら、サッカーは選ばないし、上智を選ぶことはない。

それでも、膝の怪我のおかげで、サッカーをすることが特別好きでない自分が大学まで1つのことに努力し続けてこれた。怪我がなかったらどこかでやりきって違う道を歩んでいたかもしれない。 
自分の座右の銘は、
「出会いは奇跡であり、別れは運命である」
サッカーを通じてたくさんの人に出会い、スパイクと別れるその日まで成長させてもらった。
そう思うと今世の、この4年間、このサッカー人生はこれでよかったと思える。

そう思わせてくれた人たちに感謝を述べてこのブログをしめたいと思います。


先輩
UTくん
サタデー強くなりました!

あきらくん
永遠の目標

ひかるくん
勝手にこの人抜いたらAチームだなと目標にしていたけど1回も勝てませんでした。

こうたくんやまさくんの代のBチームの4年生
こうやってまとめるのが申し訳なくなるぐらい上手かったです。引っ張ってくださってありがとうございました。

秋葉くん、まさのりくん
合宿のチーム最高でした。

がくとくん、もみいくん
絡んでくれて、ありがとうございます。

りゅうごくん、ゆうせいくん
機創でお世話になりました。レポート参考になりました、、
りゅうごくんに至っては逆に自分とけんしんに感謝すべきです。

後輩
れんたろう、ゆうと、トム、てっぺい、直人、かなと、そうた、ちか、ゆうき、ゆうし
あと何年やっても敵わないと思うぐらいスーパーだった。唯一伝えられることがあるとすれば、このメンバーが、練習で手を抜いたり、試合で諦める姿を見るのが悔しかった。いろんなところで歯を食いしばっているチームメイトの分も頑張って欲しい。

木下、うのれん、ちひろ、はく、りく、たじ、あつや、きょうた
最後あそこまで連れてってくれてありがとう。
サタデー準優勝の自信と悔しさ持って、続きは都リーグで!
めっちゃ応援してる!

最後、あんま一緒に出られなかったりん、ゆうじろう、もときとかも応援してる!


スタッフ
隼太郎くん
口ごたえたくさんしてごめんなさい。隼太郎くんのおかげで選手をやめずに続けられました。
本当にありがとうございます。

浅井さん、りゅうせい、らいき、ひとみさん、みやびさん、瞳、(ほ)、みゆきちゃん
テーピングを巻いてくださったおかげでラスト2年間は怪我なくできました。まさか、あそこから2年間膝が外れないとは思ってもいませんでした。恩返しできなくてごめんなさい。本当に感謝してもしきれません。

かいとくん
数試合使っていただきありがとうございました。

おぐくん
恩師

同期
素晴らしい時間をありがとう!

来栖
ラスト2年は来栖の、「えじま!」の怒号が記憶の大半である。まじいいキーパー。

浅野
こいつの壁が高いせいで都リーグに出られなかった。選手としてめっちゃ尊敬してる。

公平
泰晴と3人で下手くそ3銃士。「都リーグ出ようぜ」みたいな話下級生からしてたのにどっちもだめだったわ。まじ悔しい。

はるき
パス出してくれるから一緒に出たかった。最後続けてくれてありがとう。

けんしんさん(高校では先輩)
研究つらそうでくさ。  

家族
最後サタデーに残ったのは、4年間レギュラーになれなくて試合を見せられなかったからです。サタデーにはなってしまったけど見にきてもらって幸せでした。
中高大の朝練。おにぎり2つもありがとうございました。本当にお世話になりました。もうちょいお世話になります。
大河!サッカー頑張れよ!!

 


以上で自分の長く読みにくいブログを終わらせていただきます。
母校上智の活躍をいつまでも応援しています。
4年間大変お世話になりました。

24年2番副将 江嶋駿太




続いては、副将大池哲太です。入部して最初の練習で彼が同カテゴリーの同じポジションだと知り、うますぎて絶望しました。あたりまえです。平河悠とめた男ですから。
今でこそ選手としても幹部としても、頼れる彼ですが、チーム荷物を粗大ごみに出したり、1番家近いのに新砂練習を寝坊したりしていました。
都リーグ終了後毎回一緒に帰ってくれてありがとう。お楽しみに!

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