「初心を忘れずに上を目指す」4年・鴨下友哉
こんにちは。外国語学部ドイツ語学科4年の鴨下友哉です。
今回は今までのサッカー人生を振り返るというお題なので簡単に自分史のように振り返ってみます。
3歳〜7歳
お父さんの仕事の関係でイギリスに住む。サッカー大国イギリスで友達を作るためにサッカーを始める。幼稚園の頃のイギリス人は、体格もそこまで日本人と変わらないため、そこそこやれた。「俺もしかしてサッカー上手い??」とか勝手に驕り高ぶっていた。
小学生
イギリスから帰ってきて小学校のチームに加入。その頃から悪癖「ボールの持ちすぎ」が始まる。
ルーレットやダブルタッチにハマりまくり、小学校のコーチにルーレット禁止令を出される。それなりに楽しくサッカーをやっていたと思う。
中学生
サッカーが強いところに行くために中学入試を受け、桐朋中学に入学。また、キャプテンに任命され中学1年生からチームをまとめることになった。正直言って全くまとめられていた気はしない。ただ、中学3年生の夏の大会では都大会ベスト8、公式戦13試合無失点記録など、なかなかの実績を残すことができたと思う。
そして公式戦に出れていなかったBチーム主体で出場した私学大会。出場はしていないが、サッカー人生の中で1番感動したと言っても過言ではない。今でもこの大会の全ての試合を覚えている。
高校生
とにかく大変だった。1年生はバレーコートで練習を強いられ、思ったような練習ができなかった。キャプテンとして練習メニューを考えていたが、今振り返ればもっと基礎練習を大切にしていればと後悔している。高校3年生になると最高学年として80人近くの部員をまとめた。正直キャプテンとしてしっかりできていたかは自信がない。ただ、最後のTリーグと選手権に向けて全力で、一致団結して臨んだあの感覚は今でも忘れられない。本当に恥ずかしい言い方になるが「青春」していたと思う。多くの同期が大学でサッカーを続けているのもこの感覚が忘れられないからだと勝手に思っている。サッカーが好きだと改めて感じさせられた。
大学生
1年の浪人期を経て上智大学に入学。高校で終わりにしようと思っていたサッカーだが、上記したようにあの感覚が忘れられず、体育会サッカー部に入部。今までのレベルとは比較できないほどレベルの高い環境だった。ここで挑戦していこうと心に誓った。そして今に至る。
私はこのようなサッカー人生を送ってきました。さてここで、もう一つのテーマである今年の目標に移ります。
目標は題名にもあるように
「初心を忘れずに上を目指す」
です。
サッカーの自分史を書いて改めて、何故上智大学体育会サッカー部に入ったのかを考えさせられました。
このサッカー部に入ったのはもう一度あの感動を味わいたかったから。今のままでは絶対に叶えることができないことです。そのため、ラストシーズンは「初心を忘れずに上を目指す」ことを目標に貪欲にサッカーに向き合っていきたいと思います。
次は自分が大学2年生の時からの推し選手、小堀くんです。